「苗字、頼むから来てくれ。」
岩泉から懇願された数十分後。私は岩泉の住むマンションに来ていた。
「悪いな、こんな時間に。」
『・・・ほんとだよ。』
インターホンを押すと、少し顔を赤くした岩泉がドアを開けて迎えてくれた。時刻はとうに23時を過ぎ、もうすぐ日付を越えようとしている。何故私がこんな夜遅くに岩泉の自宅に来ているかというと。
「及川ほら、愛しの名前チャンが迎えに来てくれたぞ〜。」
「マッキー!勝手に名前呼びしないで!」
「あーあー、そんなにデカい声出すと苦情来るからやめろって。」
リビングにて(主に一人で)ギャーギャーと騒いでいる男、及川徹を迎えに来てほしいと岩泉に頼まれたからである。
「喧嘩してんのに迎えに来てくれたんだろ?」
『・・・岩泉に頼まれたから。』
揉みくちゃになっている花巻と徹をよそに、声をかけてきた松川に応える。電話越しに感じた切実さ。あの岩泉にそう頼まれたのだ、来ないわけにはいかないだろう。ましてや彼氏が迷惑をかけているらしい状況だと分かったのだ、情けない話ではあるが、行かないという選択肢はない。例え、絶賛喧嘩中であっても。
「クラス会行くの反対されたんだって?」
どうやら話の大筋は把握しているらしい。私と徹の喧嘩について。
私は今日、高校の時のクラス会に参加していた。高校3年生の時のクラスは比較的他のクラスよりも仲が良かったこともあり、時々みんなで集まろうという話が出てくる。バレー部で集まろうという話とクラスメイトで集まろうという話との両方が同じ日に予定されてしまった私。ここにいる4人とはいくらでも集まれるということもあり、4人に謝りクラスメイトに会える貴重なタイミングを優先させてもらった私ではあったが、この事について徹が機嫌を損ねたのが始まりだった。
クラス会の準備を進めていると、横で徹が「そんなにばっちり化粧しなくて良くない?」「男もいる飲み会なんだからスカートは駄目だからね!」「その洋服見たことないんだけど!?」とやたらと文句を言ってきたのだ。別に化粧はいつも通りだし、昨日買った新しい服は早く着たい。他意はない。それなのに徹は、クラス会に行くなとは言わないものの、何を気にしているのか、やたら口うるさく私に言うのだ。
しびれを切らした私が、『クラス会に行くだけなのに何でそんなに文句ばっかり言うの?』と徹に言うと、徹はまるでドラマのワンシーンのように「あーもう!名前なんて嫌い!」と言い、売り言葉に買い言葉、私も『あっそ!徹の事なんてもう知らない!』と言って家を出たのが事のあらましである。
「及川が悪いわな。」
『・・・。』
「まあ、及川の気持ちも分からんでもないけど。」
『え?』
隣で缶ビールを煽る松川の言葉の意味が分からなくて、松川の方を見る。けれど、松川は何も言ってくれなかった。
「ちょっとまっつん俺の彼女とイチャイチャしないで!」
「苗字ー!早くこいつどうにかしてくれー!」
「おい、声のボリューム下げろって。」
するとその様子を見ていた二人がこちらに声をかけてくる。呆れた様子の岩泉に同情しつつ、徹を撤収しようと隣に座る。
『岩泉に迷惑かけないで。帰るよ。』
「・・・岩ちゃんじゃなくて俺の心配してくれなくちゃやだ!」
『・・・何言ってんの。ほら、早く。』
徹の腕を掴んで立たそうとするけれど、駄々をこねるように徹はそこから立ちあがろうとしない。
「及川、学生の時より何倍も可愛くなった苗字がおめかししてクラス会に行くのが嫌だったんだと。」
「マッキー!」
「あ、せっかく俺黙ってたのに。」
花巻の言葉に真っ赤になる徹。さっき松川の言ってた"及川の気持ち"とは、このことなのだろうか。
「鈴木に取られるんじゃないかって泣きそうになってた及川、苗字にも見せてやりたかったわ〜。」
「言わないでって言ったじゃん!」と怒る徹をよそにケラケラと笑う花巻。鈴木とは、卒業式の時に私に告白してきたクラスメイトである。既に私は徹と付き合っていたからその時も告白は断ったし、卒業して数年経った今でも、お互いに恋人がいてそのような事態は起こらないのに。まあ確かに、陸上部の爽やかイケメンエースと名高かった彼のかっこよさにはさらに磨きがかかっていたけれど。
『鈴木がいるから色々文句言ってきたの?』
「・・・もん」
『何?』
口を尖らせてぶつぶつと小声で何かを言っている徹。何を言っているのか全く分からなくて聞き返すと、ヤケクソになった様子で徹がこちらを見る。
「だって名前、どんどん可愛くなってくんだもん!高校の同級生が・・・鈴木が見たら、絶対好きになっちゃう!」
そんな徹を見てブヒャヒャと大笑いする花巻と、苦笑いする松川と、黙って空き缶やおつまみの袋を片付ける岩泉。そして、そんな事を言われるとは思っていなくて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているであろう私。
『・・・好きにならないから。徹、早く帰ろう、ね?』
これ以上恥ずかしい思いはしたくないと思い、早く帰ろうと徹に促す。
「俺、名前が可愛くなってくの、嬉しいんだけど、でも、なんか、遠くに行っちゃう気がして。」
アルコールが入っているからか、普段なかなか言わない素直な気持ちを吐露する徹。恥ずかしい。既に恥ずかしい。ニヤニヤしている花巻と松川。むかつく。早く帰りたい。岩泉、いつまで掃除してるの。素知らぬ顔される方がむしろ恥ずかしいから。早く、帰ろう。
『遠くになんていかないから。だからもう一緒に帰ろ。』
「・・・嫌いって言ってごめんね。許してくれる・・・?」
『仕方ないから許してあげる。だから帰るよ。』
「俺のこと、知らないなんて言わないで。」
『私もごめんね。大丈夫だよ、こうやって迎えに来たんだから。』
帰ろう帰ろうと促す私の言葉を聞いていないのか、文脈を無視して会話をし、ぎゅう、と私にしがみつくように抱きついてくる徹。あ、この状況はまずい。本当に早く帰らなくちゃ・・・
『徹、早く帰』
「おれのこと、すき?」
終わった。
私の予感は的中し、この飲み会の後しばらく、私が好きだと言うまで(しかも徹が満足するまで)、抱きついて離れず帰れなかった私達を映した動画でいじられ続ける事になるのだった。