遅すぎる後悔
放課後、美術室で絵を描いていたら、思いのほか遅くなってしまった。これからスーパーに寄るのも面倒だし、夕食は冷凍食品のチャーハンとかにしようかなあ。
そんなことを考えながら自宅であるとあるマンションの一室に向かっていれば、背後から誰かにポン、と肩を叩かれた。
後ろを振り向けば、そこには胡散臭い笑みを浮かべた今時珍しい丸めがねをかけた男。彼も部活帰りなのか、肩にはテニスバックを背負っていた。
「由加ちゃん、今帰りなん? こんな遅くまで、どうしたん。もしかして補習とか?」
そう、なにを隠そう私はこの男、忍足侑士の隣の部屋に住んでいるのである。
トリップした当時には、え、これってトリップ特典ってヤツ!? なんて呑気に喜んでいたが、今では悩みの種の1つとなっている。
「部活、です」
「部活? 由加ちゃん、またテニス部のマネージャー、始めたん?」
笑みを絶やさずにそう言う忍足くんに私は背筋が寒くなった。
彼は、私のことを間違いなく好いていない。それどころか、嫌っている、と思う。いつからかはわからない。気づいたのは、立海の彼等に拒絶され始めた頃。
だって表面上では笑っていても、目が、冷たい。笑って、いない。
なのに彼は私のことを由加ちゃん、なんて名前呼びにするし、事あるごとによく私に絡んでくる。それは私を面白がっているからだろうか。それとも哀れんでいるから? こんな無様な私を。
きっと同情はされていない。むしろきっと、彼は私のことを嘲笑っている。
「美術部に入り直したんです」
最初は嬉しくて、私から何度も彼に絡んだ。だけど、彼のその垣間見える本心に気づいてからは、嫌悪しか抱くことができなくなった。
漫画では、好きだったのに。会ってみたい、って思っていたのに。なのに今は、一刻も早く彼から離れたい。
こんな、冷たい目を見たくない。
「へえ? でも、今から入っても他の人達と馴染めないとちゃうん?」
ほら。こうやって彼は私の心を抉るように、でも優しく、傷つける。それでいて、彼は私の反応を見て楽しんでいるんだ。
傷ついたような態度をとったら、負け。怒っても、負け。忍足くんを喜ばせるようなことは、したくない。だから、冷静に。落ち着け。まるで、彼の言動の真意に気づいてもいないかのように、振る舞え。
なんにも、知らないくせに。そう思う。
私のこと、なに一つとして知らないくせに。
神様、こんなトリップ特典、いらなかったよ。なんて思うのも馬鹿らしく、いっそのこと元の世界に返してほしかった。
「馴染めなくたって、問題ないです。じゃあ忍足くん。私、夕飯の支度しなきゃいけないので」
私がそうぶっきらぼうに言葉を返せば彼はスッと目を細めてまた胡散臭い笑みを浮かべた。
「つれへんなぁ、由加ちゃん。越したばかりん時は俺んこと侑士って呼んで、あんなに話しかけてくれてたのに。自分、なんかこの頃、冷たくなったやろ」
煩い煩い煩い。
ねえ、目障りなの。私が嫌いなら、早く私の前から消えてよ。なのに、なんで関わるの。
「自分、なにか勘違いしてるみたいやけど、今さら態度変えたって遅いんよ。俺は由加ちゃんに対する態度を変える気はあらへん」
そう言って彼は私の横を通り過ぎて、自分の部屋へと入っていった。
勘違いなんて、してない。
私にだって、わかっているよ。もう手遅れなんだ、ってことくらい。
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