嫌いじゃない

「工藤先輩!」

 家に帰ろうとする途中、背後からそう声をかけられて、私はバッと振り返った。
 そこには何故か切原くんが立っていて、私は少なからず戸惑った。

「……何か、用?」

 少し冷たく、低い声が出る。でも切原くんはそれを気にした様子は見せず、漫画で見たよりもまだ幾分か幼い笑みを浮かべた。

「この前は幸村部長に邪魔されてきちんと挨拶できなかったんで!」
「……私に関わったら、先輩達に怒られるよ」

 切原くんの屈託ない純真な笑みに私はやっぱり動揺した。最近ずっと、人からこんな笑みを自分に向けられることなんて、なかったから。
 なぜ切原くんがそんなことをするのかが、ちっともわからなかった。
 だって私は学校1の嫌われ者で、切原くんは後にこの王者立海で、2年生にしてレギュラーになる人。

「怒られる理由が分からないっスよ。工藤先輩、良い人そうだし。他のテニス部の一年も、なんで工藤先輩があんなに嫌われてるのかわかんねーって、言ってたっスよ?」
「それは……っ!」

 段々と泣きそうになってきた。
 なんて言って良いかわからない。けど私は嫌われて当然の人間だ。大体、この世界の人間ですらないのだから。

「私が、猫被っているからだよ。みんなは、私の猫被っていない姿を知っているから、嫌っているんだ」

 これは本当のことだった。私はこれ以上、嫌われたくないから、だから良い子ぶっている。それを切原くんは知らないだけ。ただ、それだけ。
 なのに切原くんは納得していない様子でまた何か言おうと口を開きかけた。けど、

「おい、赤也。何やってんだよぃ」
「あ、丸井先輩……」

 現れたのは赤色の髪を持つ彼。丸井、ブン太。
 彼は私をチラリと見ると、不快そうに眉を潜めた。

「工藤、おまえ今度は赤也狙ってんのかよぃ。男好きも大概にしろよな」

 違うよ、そんなじゃないよ。そんなつもり、ない。
 その言葉は声となって届くことはなく。

「赤也、行くぜ?」

 丸井くんが切原くんを促す。切原はそれを振り切るようにして、私を見て、言った。

「工藤先輩! 俺、切原赤也って言います! 俺は先輩のこと嫌いじゃないっスから!」
「お、おい、赤也! 何言ってんだよ!?」

 慌てて切原くんを連れて私の目の前から去る丸井くん。私はただぽかんとその場に突っ立っていることしかできなかった。

 嫌いじゃない。
 その言葉に私は思わず目頭が熱くなる。

 そんな言葉をかけられるのは随分と久しぶりのことで。名前もわからない温かい感情が胸を渦巻いた。


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