08

 あれから、美姫愛里紗はあっという間に学校中の人気者となった。
 最初こそはテニス部のマネージャーとなったことで陰口を言われていたりしたが、今ではもうそんなことはほとんどない。曰く、「美姫さんって美人だしそれを鼻にかけないし性格もいいよね!」だそうだ。驚いたことに、ファンクラブの人達まで彼女を認めていた。曰く、「美姫さんなら、しょうがないよ」
 確かに、そう見える。
 屈託のない笑顔。気遣いができて、誰にでも優しい彼女。沙梨と一緒に、一生懸命マネージャー業に取り組む彼女。

「愛里紗はほんまにかわえーなぁ」
「侑士ってばお世辞ばっかり言って!」
「アーン? お世辞なんかじゃねーぞ」
「景吾まで!」

 何かが変わった、と私は思う。
 美姫愛里紗は別にマネージャーの仕事をサボっているわけではない。むしろ、頑張ってやっている。沙梨を虐めているわけでもない。だけど、何かが違うのだ。
 誰にでも好かれる彼女。テニス部の人達に好かれる彼女。
 異質だ、と私は思った。彼女はこの世界の人間ではない。その考えは今でも変わらない。
 でも、だから? 気にしなければいいじゃないかと、思う。私と彼女の接点など沙梨くらいしかないのだから。でも、あの人とテニス部が一緒になって笑っていると、胸が騒ぐ。嫌な予感がする。

 その理由は、約2週間後、わかることになる。
 それは学校から帰ろうとした時の事。
 沙梨は部活のある日はマネージャーの仕事があるし、優奈はファンクラブの活動がある。(もはや私はあれは部活だと思う)だから私は大抵、一人で家に帰っている。

 そんなある日の放課後。昇降口で靴を履き替えていれば、こちらへと近づいてくる足音と、話し声が聞こえた。

「……だよな」
「そうそう! それでさー‥」

 この声は、テニス部レギュラーの、声。宍戸亮と、向日岳人の、声。
 私はいつもの癖で思わず耳を塞ぐ。考えるより先に、体が動いた。そして、ハッと気がつく。

 駄目だ。このままじゃ、今までと何も変わらない。

 私は恐る恐る耳を塞いでいた手を離した。
 ……これから、この二人はいつも通りに部活にでも行くのだろうか。大丈夫。私には何も関係ない。彼等は、ただのテニス部の部員。氷帝の、先輩。だから私は、平気。
 そんな事を思いながら、私は何事もなかったかのように下駄箱に上履きをしまい、家へ帰ろうとした。

「愛里紗ってさぁ」

 愛里紗。
 宍戸先輩から放たれたであろうその人物の名前に私は思わず足を止めた。

「本当、いい奴だよな。あんまり近寄らないでよ! とか言ってんのに結局はちゃんと俺達と仲良くしてくれるし。マネージャーの仕事もきちんとやってくれるし。可愛いし」
「だよな! 今までのマネージャーと違って、平部員の面倒まで見てるらしいし」

 ……あれ。
 私は向日先輩の言葉に違和感を覚えた。
 今までのマネージャーって、誰? もしかして、沙梨? 小野寺、沙梨?

「そうだよな。小野寺は今まで、平部員のことなんて何にもしてなかったしな。今から考えると酷いよな」

 ずきん、と心臓が嫌な音をたてる。
 沙梨が、悪く言われている? どうして?
 沙梨は、言ってた。氷帝のテニス部はすごく沢山部員がいて、とても全員分一人でドリンクを作るなんてことはできないし、平部員のことまで手が回らないって。勿論、私もそう思う。だから、仕方がなく、レギュラーと準レギュラーの分を優先的にやってるんだって。

 友達が悪く言われている。なのに、彼等の前に出て、私は否定をすることができない。まだ、怖いから。私は、黙って聞いていることしかできない。
 でも、そのまま聞いていることもできなくて、私は逃げるように昇降口から出た。

 もやもやと嫌な感情が沸き上がる。
 私は知ってる。

「私ね、テニスが好きなんだ」

 はにかむように笑う沙梨。
 昔両親とアメリカに旅行に行った時に見た、テニスの大会で好きになったらしい。
 でも実際にやるよりは、見ている方が好き。運動神経もあまり良くないから、マネージャーを選んだのだと言っていた。できるだけ近くで、沢山のテニスが見たかったから。
 不幸なことに氷帝のテニス部は人気があったため、当初、女子から大いにやっかまれ、嫌がらせにもあった。けど、テニス部に対する真摯な姿勢、たくさんの努力があってこそ、今の状態が生まれていたのだ。小野寺沙梨なら、大丈夫。小野寺沙梨は、真面目なマネージャーだと、苦労を重ねてようやく信頼を得られたのだ。なのに。

 暫くすれば、兄も部活が終わったらしく、家へと帰ってきた。
 「ただいま」と玄関を開け、自室へと行こうとする兄を呼び止める。

「どうした?」
「……沙梨って、良い子だよね?」

 私が恐る恐るそう聞けばお兄ちゃんは一瞬キョトンとした表情をした。

「…………ああ、そうだな。それが、どうした?」

 一瞬、間が合った。
 そのことが凄く悲しかった。

「なんでも、ないよ」

 私は首を振った。
 沙梨は、きちんと仕事をやってる。マネージャーが増えたから、平部員のことを気にする余裕ができた。ただ、それだけのことなのに、一部の人達は、それは美姫愛里紗のお陰で、沙梨は今まであまり仕事をしていなかったって解釈している。それで、沙梨の陰口を言い、冷たい視線を浴びせる。
 そんなの、おかしいよ。どう考えたって、おかしい。



 耳を澄ませば、聞こえてくる。沙梨を、悪く言う噂。

「小野寺さんって、やっぱり媚び売っていたのね。他の女の子とは違うと思ってたけど、美姫さんと比べると、やっぱり、って感じよね」

 違う。

「小野寺さん、今までレギュラーと準レギュラーの分しか面倒を見ていなかったんでしょ? それに比べて美姫さんは……」

 違う、違う。

「美姫さんがマネージャーになってくれてよかったわよね。小野寺さんの化けの皮がようやく剥がれたのね」

 違う。違うよ。
 沙梨は何も変わっていないし、真面目にやってる。貴女達の見る目が変わっただけ。

 元々沙梨がマネージャーをしていることに嫉妬していた人。真実を何1つ知らずただ噂を信じ込む人。美姫愛里紗を盲目的に好く人。ただ悪口を言いたいだけの人。
 みんなの注目の的のテニス部。それだけに、その話題は広まる。あることないこと、尾ひれをつけて。悪意の塊が、大きくなっていく。誰にも、止められない。

 沙梨は、沙梨は、

 沙梨は、一人になった。

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