02

 そう、あの入学式の日、跡部景吾、跡部先輩を見てから私はテニス部、特にキャラ達とは関わらないことを決めた。いや、正確に言えば、関わることなんてできない。
 ようやくこの世界で生きる決心がついているのに、これは現実だと認めたのに、彼らを見てしまえばここは漫画の世界だということを認めざるを得ない。私はこの世界では異端だということを、思い知らされる。この世界で生きていくという決心が、崩れていく。

 集会や何かで跡部先輩が話すならば、すぐさま俯いて耳を塞ぐ。廊下ですれ違おうものならば俯いて視界から外すか、踵を返す。兄が友達と言ってキャラを家に呼んで遊ぼうというのなら、私は自分の部屋に閉じこもって鍵をかける。友達がテニス部のキャラの話をしようものならば、私はすぐさま会話から抜ける。絶対にキャラとは関わらない。いや、関わらないなんてものじゃない。私はキャラ達の存在を、無視する。
 幸いにも、私のクラスにはテニス部はいたがキャラはいなかったため、一年間、一切キャラと関わらずにすんだ。

 彼等の噂なんて、聞きたくない。彼等の姿なんて、見たくない。彼等の存在なんて、認めたくない。絶対に。
 テニスの王子様なんて知らない。ここは、私の世界だから。あの人達に、それを邪魔なんてさせない。
 それがたとえ彼等を侮辱し、貶している行動だとわかっていても。

 なのに、どうして神様はこんなにも意地悪なのだろうか。
 私はクラス分け表を見て、思わず下唇を噛む。嘘でしょ、と。イヤだよ、私は。
 私が氷帝に入学してから1年がたった。跡部先輩は今年度から、3年生。つまり、原作が始まる。テニス部のレギュラーというものは引退するまでは普通3年生が多い。つまり、キャラも3年生が多い。
 私は今年度から、2年生になる。2年生のキャラは、少ない。そして、氷帝学園は人数が多くて、クラスも多い。だから、キャラと同じクラスになるなんて確率は薄いはずだ。なのに、

 2年C組。鳳長太郎。
 その名前を認識することを嫌だ、と体が拒む。恐怖する。
 はっきり言って私は友達と一緒のクラスになれるかどうかより、キャラと一緒のクラスになってしまうかどうかのほうが大切だった。
 クラスが一緒になってしまえば、嫌でも話さなければいけないことがある。必然的に、彼の声を、姿を、見なければいけない。

 私は、彼等の姿を見るだけで、涙が零れた。私は本当はこの世界の人間ではないということを思い知らされて。
 彼等の声を、噂を、名前を、聞くだけで体が震えた。此処は漫画の世界で、私の友達たちも皆、その中の登場人物にしかすぎないということを思ってしまって。
 彼等のことを、考えるだけで頭が痛くなった。何もかもが、怖くなって。何も、わからなくなってしまって。考えることを、放棄したかった。

 転校。もちろん、考えた。
 でも、こんなこと、誰にも言えない。理由を話すことなんてことも、できない。両親はきっと、心配する。ここまで私を愛し、育ててくれたあの人達に迷惑をかけたくない。期待を裏切りたくない。
 私が暫くの間、我慢すれば、済む話なのだから。

「舞、今年も同じクラスですわね」

 私はそう声をかけられて、ようやく自分の背後に誰かがいることに気がついた。

 振り返ると、そこには絶世の美少女と言ってもおかしくないほどの美貌の持ち主、そして私の友達である大塚(おおつか)優奈(ゆうな)がいた。
 彼女の容姿には同性の私でさえ目が奪われる。成績優秀、運動神経抜群。そしてーー男子テニス部ファンクラブの会長。
 何故そんな非凡な彼女が転生したということ以外には平凡でなんの取り柄もない私と仲良くしているのかというと、それは単に私が大人びているから、という理由らしい。

 彼女は凄くお嬢様で、常に礼儀正しい。そして生真面目な性格の彼女としては、私達が入学当初のテニス部ファンクラブは許せないほど横暴だったらしい。だから彼女は、自身がテニス部のことを特別好きなわけでもないにも関わらず、この氷帝学園の中でも跡部財閥の次に権力を持つ財閥の娘の権力を駆使して、自らがファンクラブ会長となったのだ。

 彼女は凄い。
 彼等の練習の邪魔にならないような制度を設け、彼等と仲良くしている女子がいても、決して苛めなどが起きないようファンの人達を上手く制御した。そしてファンクラブの人達が優奈の言うことを聞くのは、優奈の言うことが、利にかなっているからだ。
 彼女には、跡部先輩でさえ一目置いているそうだ。

 そんな彼女は、私がテニス部が嫌いなことも、テニス部の話が嫌いなことも、いち早く気づいてくれた。この学校には、テニス部の話となると周りが見えなくなる人が多い。だから誰も私の異常に気づかない。なのに、彼女は気づいた。そして、私に声をかけ、気遣ってくれた。だから、私は彼女と一緒にいる。彼女なら、たとえテニス部のファンクラブの会長でも、一緒にいれる。

 氷帝は、クラス数が多い。だから、仲の良い人と同じクラスになるなんて確率は、限りなく低い。
 だから、私は優奈と同じクラスなことが純粋に嬉しかった。

「沙梨は、違うクラスなのですわね」

 彼女が口にしたのは、私達のもう一人の友達、小野寺(おのでら)沙梨(さり)。男子テニス部のただ一人のマネージャー。彼女とは、去年も違うクラスであった。

 彼女はきちんと真面目に仕事をこなしていて、男好きでもなくて媚びてもいない。まさに理想的なマネージャーとも言えるだろう。
 沙梨はマネージャーであるため男子テニス部ファンクラブ会長の優奈とは関わりがあり、私は優奈を通して沙梨と仲良くなった。

 勿論、最初は沙梨がテニス部にマネージャーと言うこともあって、私は関わりをなるべく避けようとしたのだけれども、沙梨はそれを許さなかった。
 「舞ちゃん仲良くできないくらいなら、テニス部のマネージャー辞める!」とまで豪語したのだ。沙梨がどうしてそこまでして私と仲良くしようとしたのかはわからないけど、私は沙梨を受け入れた。沙梨には、テニス部のマネージャーと言うことを差し引いても、私が仲良くしたいと思う魅力があった。
 私は決して、テニス部が嫌いなわけではない。“テニスの王子様”に出てくるキャラクターが嫌なのだ。そこに存在しているという事実が私を恐怖させる。そしてそれは榊先生相手でも例外ではなく。
 沙梨もなんとなく察しているから、私の前ではなるべくテニス部の話はしない。他愛のない話をする。私とテニス部ができるだけ接触しないように、してくれる。

 だけど、二人は何も私に聞かない。その優しさが胸に染みた。



*****




「うぅー、舞ちゃんとも優奈ちゃんとも違うクラスだなんて……」

 その後沙梨と合流して、それぞれのクラスに行く途中、沙梨は肩を落としながらそう言った。
 彼女はF組だった。C組とF組の差は激しい。少なくとも、授業の合間にある休み時間で簡単に会いにいけるような距離ではない。

「大丈夫ですよ。お昼は一緒に食べましょう?」

 優奈はふんわりと微笑んだ。道行く人が皆、振り返るような微笑み。
 優奈は絶世の美少女だ。沙梨だって、一般的に可愛いほうに分類される。そんな二人と一緒に平凡な私がいていいのか。そう、時々考えてしまう。
 彼女達と仲良くなりたい人なんて大勢いるのに。なのに、私が。
 2人には、感謝してもしきれない。

 私と優奈が沙梨を励ましていると、沙梨はまぁいいか、とようやく笑った。

「F組には渡辺くんも日吉くんも斎藤くんだっているし!」

 彼女がさりげなく言った数人の男子の名前。
 男子テニス部の部員達。日吉。日吉若。その名前に私の体は異常に反応した。
 優奈ちゃんはそれにいち早く気づき、沙梨を目で注意する。すると沙梨は、いかにもしまった! という表情をした。
 そう、たまに彼女は抜けている所がある。

「ご、ごめん舞ちゃん!」
「舞、大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ。保健室に、行きますか?」

 心配する二人に私は首を振って大丈夫だという意思表示をした。
 きっと沙梨は、そういえば舞ちゃん、日吉くんも駄目なんだったけ。いや、渡辺くんが駄目だったんだっけ。とでも思っているのだろうか。
 ごめんね、と私は心の中で謝る。私の我儘のせいで、気を使わせてしまって、ごめんね。
 私は困惑する二人に、必死に大丈夫だよ、と安心させるよう笑みを浮かべた。

「大丈夫だから、行こう?」

 まずは、彼と席が離れていることを願おう。同じ班、委員会、係にでもなったらそれこそ一大事。話すこと、ましてや目を合わすなんてとてもできない。彼の姿を視界にいれることも、彼の声を耳にすることも、したくない。嫌だ、と全身が拒絶する。

 沙梨と別れて、2年C組と書かれたプレートのある教室のドアを、意を決して開けた。

 何故、テニスの王子様など読んでいたのだろうか。友達に勧められたからって、読まなきゃよかった、なんて今さら後悔してももう遅い。
 でも。あれさえ前世で読んでいなければ私は今、こんなに苦しむことはなかった。此処が漫画の世界で、彼等がキャラクターだなんていうことを知ることもなかったのに。こんなに怯えて暮らすことも、なかったのに。

 私は座席表を見ながらホッと息を吐く。どうやら、名前順のおかげで、彼とはそこまで席が近くない。

 慣れなきゃ、いけないのだろうか。でも、それに慣れてしまえば私がどうにかなってしまいそうで、怖い。彼がまだ教室に来ていないのが唯一の救いだ。
 私は吐き気がするのを感じたが、グッと堪えた。

 彼、が教室に入ってくるのが視界に入って、私は体が震えた。
 気にしなきゃ良いのに。彼等の存在なんて、無視できればいいのに。反応なんて、しなければいいのに。
 そう思っても恐怖は消えてくれない。体の震えをなんとか止めようとしながら、私は思わず視線を窓のほうへとやる。彼の声も聞こえてきて、私は両耳を手で抑える。

 時折、考えていることがある。
 何故、私はこの世界で生きているのだろうか。もしかしたら、死んだ人間というのは皆転生しているのかもしれない。でも、何かの間違いで私は前世の記憶を持っている、とか。それとも、実は皆も前世の記憶を持っていて、隠しているだけ、とか。
 そう考えていると怖くなる。どうして皆、あんなにも平然と生きているのだろうか、と。

 神様がどこからか現れて、此処は漫画の世界だ、もう元の世界には戻れない、と言うのならよかった。それは、自分が異端であるということを認めることにはなるが、何故自分がそこにいるのかが、存在理由を、証明するとがでできるから。
 でも、私は神様になんてモノには会ってないし、やらなければいけない使命も役目も義務もない。じゃあ、どうして私は生きているの? どうして此処にいるの? どうして、どうして。


 私はこの世界で生きている。それは、本当なのだろうか。

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