23
職場体験が始まって3日目の午後、私は誰もいない1-Aの教室で一人野球ボール片手に暇を潰していた。野球ボールは相澤さんに「これで個性訓練してろ」と渡されたものだ。ただぽーんと上に投げて、キャッチの時に紙にするだけ。できることなら心操くんとの訓練の前にこれをやらせて欲しかった。これができるようになっていればメディシンボールを重いままキャッチする必要もなかったし、両腕筋肉痛になることもなかったのに。
さて、本来なら何かしらの仕事を振られ職員室にいるはずのこの時間になぜこんなことをしているかと言うと、危惧していたことが現実となってしまったからだ。ヒーロー殺しステイン――――今巷を騒がせている敵に、飯田くん、緑谷くん、轟くんの3名が会敵した。相澤さんはその後処理に時間を取られ、私に仕事を振る余裕もなかったらしい。
3人とも命は助かった。だけど大怪我は免れなかった。ステインと接触した原因が飯田くんの勝手な判断によるものなのかは分からない。分からないけれど、そんな偶然があるものかとつい疑ってしまう。なにより、3人を受け入れていたプロヒーローには監督不行届で処分が下されたというのだから、おそらく不測の事態に巻き込まれたわけではなく……、
「WA!!」
「っ!?」
突然聞こえた大声に、思わずびくっと飛び上がる。慌てて声のした方を見れば、そこには山田さんの姿があった。心臓がばくばくと脈打つのを感じながら「もう、驚かせないでくださいよ……」とよろよろ壁に寄りかかる。
「サボってる悪い子チャンを驚かせてやろうと思って」
「サボってないです。ていうか山田さん個性使ったでしょ」
「ちょーっとだけな!俺のヴォイスはこんなもんじゃねぇよ」
「個性を使わないでって話をしてるんです!ただでさえ声大きいんだから!もー本当心臓止まるかと思った」
ドアに凭れていた彼が「悪ィ悪ィ」とブーツをカツカツ鳴らしながら私の方へとやってくる。にへらと笑うその表情には、悪びれる様子は全く感じられなかった。
「で、どーしたの。なんか浮かねー顔してるけど」
「……飯田くん達のことです」
「あー、そりゃ心配だよな。でもあれくらいの怪我ならすぐに、」
「心配も、ですけど」
「けど?」
「……それ以上に、怖いと思いました。3人のこと」
山田さんはたっぷり間を置いたのちに「そっか」と小さく呟いた。怪我をした生徒達を"怖い"だなんて不謹慎かなとも思ったけれど、山田さんの声色はとても柔らかいものだった。それはまるで子どもの話をうんうん聞いてあげる時のようなとっても優しいもので、私はそんな彼の様子に少しだけ安堵した。
「なまえチャンのいた世界にはヒーローはいないんだったよな」
「はい」
「敵もいないんだよな。てことは事件も少ない?」
「流石にここまで頻発は……」
ただ私のいた環境が事件事故とは無縁だったから知らないだけかもしれないけれど。悪どい事件などテレビの中の話でしかなかったし、それはこの世界の一般人だって同じだろう。この世界自体が異常なのか、それともこの環境が異常なのか。きっとその両方だとは思う。
「"怖い"ってのは、今ある平穏が崩れそうってヤツ?」
「……どう、なんでしょう。漠然とただ怖いんです。怪我とか、命の危険とか、そういうのとはずっと無縁でしたし」
「んー、まぁ、俺らプロヒーローにとってはさ、こういうことが日常なワケよ。怪我や死を仕方ねぇとは思わねぇけど、基本危険と隣合わせだし。だからなまえチャンのそういう反応は逆に新鮮っつーかなんつーか」
「私が慣れるしかないんですかね……」
「いや、慣れるこたねぇよ。その感情は大事にしな」
「え、」
「言ってやれよ。怖かった、心配したって」
山田さんの言葉を反芻して、少し考える。私からすれば無理無茶無謀と思うようなことをあっさりやってしまう人がここには大勢いる。ヒーローという性質上、それは大事なことなのかもしれない。雄英の校訓がまさにそれなわけだし。山田さんは私の恐怖心を肯定してくれているようだけど、"怖い""無茶しないで"なんて、彼らの歩みを阻む足枷でしかないのではなかろうか。
「私が言ったって余計な悩みを増やすだけじゃないですか?」
「あのなぁ、ヒーローは皆を笑顔にするオシゴトだぜ?怖がらせてどーすんだよ。その感覚は持ってなきゃいけねぇ」
「リカバリーガールにも似たようなことを言われた気が……」
"世間に怖がられてヒーローが務まるかい"体育祭の時に言っていたリカバリーガールの言葉が頭を過ぎる。あの時はただ緑谷くんにご立腹だったから出た言葉だと思っていたが、もしかすると皆多かれ少なかれ危うさを感じているのかもしれない。
「それによ、自分を心配してくれる人がいるって結構嬉しいモンだぜ?」
ぽすっと山田さんの手が頭に乗せられて、それからくしゃくしゃと撫で回される。相澤さんと言い山田さんと言い、私のことを犬か何かとでも思っているんじゃないだろうか。「髪が乱れる!」と慌てて彼の腕を鷲掴んで辞めさせた。
「……ちょっと、話してみようかな」
「オウ」
正直なところ、普段から生徒達と積極的に関わっているわけではない。手伝いで授業に参加しているだけなのでゆっくり話す時間もないのだ。だけど彼らの成長を日々見守っていれば、話した時間が短かろうと当然情は湧いてくる。怪我なんて欲しくないし、生死に関わることなんてもっと嫌だ。
帰ってきたら少しだけ話をしてみようと、今頃保須市の病院にいるであろう彼らに思いを馳せた。――――丁度その頃、彼らの"違反"と"功績"が人知れず処理されたとも知らずに。
- 23 -
*前 ◇ 次#
top