36


ついに仮免試験の日がやってきた。とは言っても私に出来ることはないので、皆の乗るバスに手を振って送り出しただけだ。どうか全員無事に合格できることを祈るばかりである。敵襲撃のせいで合宿は中断され訓練期間は大幅に短くなってしまったので、きっと皆不安を抱えていることだろう。

夏休み最後の10日間は圧縮訓練となり、かなり無茶な内容となっていたがそれでも皆必死に食らいついていた。仮免試験がどれだけ厳しいものなのか私には計りかねるが、2度も敵襲撃を切り抜けた彼らなら乗り越えられるはず。きっとそうだと信じたい。

そうやってふとした時に彼らに想いを馳せつつ、先生達に依頼された仕事をひたすらこなしていたその日。とある機材をサポート科の開発工房へと運んでいる途中で、ポケットに手を突っ込んで気怠げに歩く山田さんの後ろ姿を見つけた。前を歩く彼を遠目に、相変わらずすごい髪型だな、セットどうしているんだろう、なんて事を考えていると、彼がポケットから手を出すと同時にぽろりと何かが零れ落ちるのが見えた。

「あ、山田さん!」
「Huh?」

慌てて彼の元へ駆け寄って、「何か落としましたよ」と足元に落ちたその"何か"を拾い上げる。それは彼がいつも常備しているのど飴だった。「個性的にも仕事的にも喉の不調はアウト」というのは随分前に聞いた話である。

「あ、悪ィ悪ィ!サンキューな!」

差し出した飴を受け取ろうとした彼の手が、一瞬私の手のひらに触れる。その瞬間、思わずぱっと手を離してしまった。「あ、」私が漏らした声と、飴が床にぶつかる音が重なる。

「ご、ごめんなさ、」

やってしまった。再び地面に転がった飴を慌てて拾い上げつつ、何も言わない彼に気まずさが湧き上がる。サングラス越しに向けられる彼の視線が痛くて堪らなかった。

「……どうぞ」今度は手に触れられまいと、手のひらに乗せてではなく指先で摘んだ状態で差し出した。無言のままゆっくり彼の手が近づいて来て――――飴ごと私の手が包み込まれた。

「えっ、ちょっと、」
「なに?」
「なに?じゃなくて。手、離してください」

ぎゅっと手を握られて、その間には小さな異物。どうにか手を振りほどこうとするも、それを許してはもらえなかった。手のひらに感じる人肌に、じわじわと焦りが募っていく。しかもこの人、絶対分かってやっている。八木さんから何か聞いたんだろうな、と10日前の出来事を思い出す。

「なんで?」
「なんでって、」

なんでも何も、私は飴を渡したかっただけなのに。それがどうしてこんな廊下のど真ん中で仲良くお手手を繋いでいるのか。こちらが「なんで?」と言いたいくらいである。それに、もし個性が暴発でもしたら、

「ただの手だ」
「っ、」

「違う?」そう言って首を傾げる彼に、なんと言って良いか分からなくなってしまう。繋がった手から視線を外し彼を見上げれば、目が合ったと同時にニッと笑みを向けられた。

「俺のさ、個性が出現した時の話したことあったっけ」
「え?いや、ないと思います、けど……」
「産声で両親と先生の鼓膜破ったんだとよ。ま、流石に覚えてねーけど」
「え、ええ……それはなんとも、壮絶な出産ですね」

そんな会話を交わしつつも、繋がれた手は解かれない。振りほどこうとずっと力を入れているにも関わらず、だ。おかげでお喋りしているその手元では力一杯の攻防が続いていた。力の差は歴然なので、彼が辞めてくれない限りは終わらない戦いである。ところでこの手はいつ離してくれるんですか?喉まで出かけた言葉は何故か言えないままでいた。

「俺のヴォイスにかかりゃ遠距離だろうと人の鼓膜なんて簡単に破けるわけよ」
「はぁ、」
「で、質問です。なまえチャンは俺と話すのは怖い?」

彼の言いたいことが段々分かってきて、少しの沈黙の後「怖くないです」と小さく答える。周りのざわめきにすら埋もれてしまいそうなほど、我ながら小さな声だった。「What's? 聞こえねーな」「怖くないです!」手に力を入れている事もあって、思いのほか大きな声が出た。

「ん、合格」
「わっ!?いっ、だ……ッ」

パッと手を離されて、全力で腕を引いていた私はそのまま後ろにすっ転んでしまった。途端、紙にした機材達がバサリと音を立てて宙を舞った。お尻を強く打ち付けたせいで、じんとした痛みが背中辺りまで伝播する。尻もちをついたままその場で悶えていると、彼はそんな私を見下ろし実に愉快そうに笑い、飴を包みから取り出し口の中へと放り込んだ。

「……痛いんですけど」
「悪ィな」

そう言う彼の顔には未だ笑みが張り付いていて、悪びれているようには少しも見えなかった。そんな彼にじとりとした視線を送れば、すっと手を差し出される。

「Plus ultra、だな」
「簡単に言ってくれますね」

ふうとひとつ息をついて、彼の手を取る。恐怖心は拭いきれていないけれど、それでも私にとっては大きな進歩だった。勢いよく引っ張りあげられたのち、2人でいそいそと床に落ちた紙を拾った。見た目はただの紙だが元はそれなりに大きな機材なため、もし風にでも飛ばされたら大変なのだ。こう、学校の損害的に。

「……ありがとうございます」
「まァ、俺が散らかしたみたいなモンだし」

そのことじゃないんだけどな。訂正しようと思ったけれど、きっとこの人は分かった上でそう言ったのだろうと思い直して口を噤んだ。雄英の先生達は本当に何でもお見通しだよなぁと、胸の辺りがむず痒くなった。



- 36 -

*前次#

top