44


個性を暴発させ学校を紙まみれにしてしまったその日、大量の紙を元に戻す作業に半日を費やしてしまった。その殆どが体育祭会場の砂で、いっそのこと全部燃やして終わらせてしまいたかったくらいだ。

先生達には心配かけてしまったし(特に山田さんと香山さん)、すれ違った生徒たちには情けない姿を見せてしまった。冷静になった途端そのことが恥ずかしくて堪らなくなった。いい歳してあんなに取り乱すだなんて、高校生ですらあまりないだろうに。

"元の世界に帰ります"そう言った私に相澤さんが口にしたのは「帰る方法が分かったのか」の言葉だけだった。ここが漫画の世界――――本来なら紙面上の世界であると理解した時、同時に自分のとるべき行動も理解した。まるで深い水の底から浮かんでくるみたいに自然と、元々そこにあったかのように現れたその答えは、すとんと胸に落ちた。"全て紙にしてしまえばいい"のだと。いや、紙に"戻す"と言った方が正しいだろう。

この世界に生きている相澤さんにそんな事が言えるはずもなく、私は「まだ確証はないですけど」と明言を避けた。何より、全部紙にしますなんて言った日には敵扱いされて終わりだろう。今や掌以外からも紙化できるようになった私は、捕まろうがガチガチに拘束されようが関係ないのだけれど。ただまぁ、真実を語るよりも最後くらい穏やかに過ごしたいというのが本音だ。

「この世界に来て最初に出会ったのが相澤さんで良かったです。いつも気にかけてくれてありがとうございます」

紙を元に戻す作業を終えて、職員室でほっと息をついたところで隣にいる彼にそう声をかけた。

「……なんだ急に」
「いつ帰ることになるか分からないので。もしかしたら急かもしれないし」
「あぁ、来た時も急だったしな」

それから相澤さんはじっと遠くを見つめて、どうやら返す言葉を探しているようだった。しばしの沈黙のあと、ようやく彼の視線が再びこちらを向く。

「お前のことは平和ボケした奴だと常々思っていたが……」

思わぬ言葉に「ちょっと」と二の句を遮る。まさかこの流れで悪口を言われるとは思ってもみなかった。だけど相澤さんは「まぁ聞け」と言葉を続ける。

「本当に平和な世界にいる奴はそうなるんだろう。多分、ヒーローが目指す形だよ。俺もいい経験になった」
「……全く事件がないわけでもないですけど」
「それでもここより随分マシだろう」
「それは、まぁ」
「一度見てみたいと思うよ、お前の世界を」

皆が私と同じ世界の人間なら、きっと危険と隣合わせの毎日を送る必要もないのだろう。怪我や死の心配をすることもなく、毎日平穏に――――そこで彼らと出会いたかった。そうしたら、きっと皆のことを怖いと思うこともなかったのに。

だけど皆から"ヒーロー"を取ってしまったら、それは最早別人となってしまうのだろう。怖いと思うことも多かったけれど、それ以上にその強さを尊敬していたのも事実。肉体的なものではなく、心の強さの話だ。誰かのために必死になる彼らを、本物のヒーロー達の姿をこの目で見られて良かったと思う。それは紛れもない本心だった。

「私はこの世界に来れて良かったと思ってますよ」



「もしもし、すみませんお忙しいところ」

その日の夜、ホークスさんに電話を掛けた。もしかしたら繋がらないかもしれないと思いながら発信ボタンを押したのだが、予想に反して3コール目には電話に出てくれた。

"いえいえ、どうしたんですか?公安の人間が勧誘に来ましたか"
「あー……それは既に何度か。結構しつこいですね、公安も」
"ははは、仕事のために必死なんですよ。もしかして別の用件ですか?"
「はい、ちょっと伝えておきたいことがあって」
"なんでしょう"

ホークスさんに電話した理由――――もしまた私のような人が現れた時のために、ヒントを残しておきたかったのだ。

「"自分が何者か分かった"っていう言葉、なんとなく理解できたんです」
"……と言うと?"
「私はここにいるべき人間じゃないんです。だからもし次の人が現れたら、」
"ちょっと待ってください。まさかあなた――――"
「あ、ホークスさんの考えているようなことはないので安心してください」

焦ったような彼の声色に、慌ててそう付け加える。考えてみれば私の言い方はまるでこれから死に行く人のようだ。スマホのスピーカー越しに「それなら良かった」と心底安心したような声が返ってきた。

「ただ、全部元に戻すだけです」
"……どういうことですか?"
「ごめんなさい、これ以上は言えません。でも、私と同じ状況にある人ならこれで伝わると思います。……多分」
"多分て。まるで元の世界に戻るような口ぶりですね。何か分かったんですか?"
「……いえ、ただ少し試したいことがあって。それが成功したらお話します」

なんて、その時私はこの世界にはいないのだけれど。

"では、報告を楽しみにしています"
「……はい。じゃまた連絡します」

そう言って電話を切った。見慣れた待受画面が表示されたスマホを見つめながら、なんとも言えない気持ちになる。まさか最後に話すのが彼になるだなんて。

本当は先生達や生徒達ともちゃんと話がしたかったけれど、元の世界に帰ることは誰にも言わないつもりでいた。たくさんお世話になった皆に何の挨拶もせずに帰るのは後ろめたいが、かと言ってそれを伝えれば「どうやって帰るんだ?」という話になるのは必至なわけで。「皆も含めて全部紙にしちゃうんです」そんなことを言えるはずもない。

何より私の考えついた方法が正しいという確証もないのだ。私の中では確信しているのだけれど、それでも予想の範疇を出ない。皆にお別れを言って回って「帰れませんでした」なんてことになるのも避けたかった。

だからせめてものお礼として、皆宛に一通の手紙を書いた。

『挨拶もできず急なお別れになってしまってごめんなさい。ここで過ごした9ヶ月と少し、本当にお世話になりました。素性も分からない私に優しくしてくれた皆さんには感謝してもしきれません。皆さんと出会えて幸せでした。
生徒たちの行く末を見届けられないことは心残りだけど、きっと彼らなら最高のヒーローになれると信じています。なにせ最高のヒーロー達が彼らを導いていますから。』

思いの丈とは反対に随分と簡単な手紙になってしまったが、そうでもしないと夜が明けてしまいそうだったから仕方ない。もう一度手紙を読み返したのちに、開いたまま机の上にそれを置いた。

「……よし」

ふうとひとつ息をついて立ち上がる。じわりと視界が滲んだのが分かって慌てて天井を見上げた。

元の世界に帰ってしまったら、きっと二度と皆とは会えないのだろう。だけどこの世界では生きていける自信がなかった。どうしたって私は別の世界の人間でしかなくて、彼らと同じようには生きていけないのだ。

――――さようなら」



- 44 -

*前次#

top