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あの日のことはよく覚えている。いつもの様に鬼討伐後の処理のため山の奥深くで仕事をしていたら、突然熊に襲われ仲間とはぐれてしまったのだ。近くに隊士がいればヒグマ程度どうとでもなるのだが、既に彼らは帰った後で、その場には隠しかいなかった。なんとも運のない話である。

とは言え長年こういう仕事をしていればこんな状況にも慣れてくるわけで。とりあえずこの場は逃げて明日の朝また合流すればいい話だと、その時はそう考えていた。

しかし朝になって仲間を探してみるも、これが一向に見つからない。それどころか鬼と争った痕跡さえも消えている。なぎ倒されたはずの木々も、血に濡れた草木も、抉られた地面も、どこにもなかった。

訳も分からぬまま山の中を彷徨い歩いていれば、ある一帯にアイヌ式の罠があちこち仕掛けられていることに気付いた。それだけならいつものことだから気にも留めないのだが、どうにも様子がおかしい。普段見掛ける物に比べ随分と大掛かりなのだ。

小さな違和感が鬼の情報に繋がることは往々にしてある。それを確認するのはもはや癖のようになっていた。隠は事後処理部隊ではあるものの、鬼の情報収集も仕事のひとつなのだ。そこで仲間との合流を一旦後回しにし、その周辺を調べてみることにした。

そうしてすぐに、罠に掛かった刺青男と、罠を仕掛けたであろうアイヌの少女と軍帽を被った男を見つけた。そっと彼らに近付いて、その会話に耳をそばだてる。いつも五感の優れた鬼相手に仕事をしているのだから(それも戦えないから見つからないよう命懸けである)、人間相手に気配を消すなど実に容易いことだった。

「入れ墨」「金塊」「暗号」「皮を剥ぐ」

彼らの会話はなんとも物騒なものだった。興味深い話ではあるが、どうやら鬼には繋がりそうにない。肩透かしを食らった気分でその場を離れようとしたその時だった。拘束されていた刺青男が頭を撃ち抜かれ、どこからか現れた軍人とあれよあれよという間に戦闘が始まったのだ。

こんなところで巻き添えは御免である。どうしたものかと様子を窺っていれば、あっという間に勝負はついて、軍服を着た男が崖の下へと落ちていった。ドボンッという大きな音に、結構な高さから川へ落ちたのだと理解した。

――――このままだと死ぬだろうな。

あまり関わりたくはなかったが、そのまま見過ごす事も出来ず、僅かな逡巡ののち結局は崖を降り川の中へと入ってその軍人を助け出した。そうしたら、またどこからかやって来た別の軍人に腹を撃たれた。つい先ほど巻き添えは御免だと思ったばかりなのに。

なんとも運のない話である。



「俺を助けたあの日、あんたは杉元とアシㇼパの話を聞いてただろう」

尾形の言葉にみょうじは数ヶ月前の記憶を手繰り寄せながら、さぁどうしたものかと思案した。少なくともここで動揺を悟られてはいけない。

「そりゃあ、金塊の話自体は知ってる。私が鶴見中尉に信用されてないって事を言いたかっただけだ」

みょうじはそう事も無げに言ってのけた。それでも一度向けられた疑いの目は収まらず、なんとも余計なことを言ってくれたものだと静かに尾形を見つめる。

「ていうか、俺とアシㇼパさんの話って……何?いつの話?」
「小樽の山で刺青を書き写していたことがあっただろ。尾形を川に突き落とした日だよ。私もあの時あそこにいたんだ」
「えっ、……じゃあもしかして、尾形を助けてたら兵士に撃たれたって……俺のせい?」
「…………まぁ、そうかもな」

途端、坊主の男(白石と言うらしい)が「杉元!なまえちゃんに謝れ!」と騒ぎ立てた。しゅんとした杉元が素直に「ごめんなさい」とぺこりと頭を下げる様子に、みょうじは些か呆気にとられた。というより、戸惑った。

「別にいい。過ぎたことだし……私が勝手にやったことだ」

あの日尾形と取っ組み合っていた男とはまるで別人のようだ。易々と人の腕を折る姿を見た時はまるで鬼のようだと思ったものだが、今目の前にいる彼はただの人のいい青年である。

「……それで?そのお嬢さんが本当に知らないとして、結局偽物の判別方法は分からないままじゃないか」

そう話に割り入ったのはアイヌの男だった。彼らの焦りようを見る限り、どうやら江渡貝は実に良い仕事をしたらしい。いや、ここは彼に取り入った鶴見を褒め称えるべきなのか。

「……ちなみに江渡貝さんは?」
「奴は死んだ」

被せるように放たれた尾形の言葉に、みょうじの眉が僅かに上がる。「えっ」と戸惑いを含んだ声がやけに部屋に響いた。

「逃げた先の炭鉱事故に巻き込まれてな」
「…………そう」

それだけ言うと彼女はじっと押し黙り、お椀に盛られたなんこ鍋に口をつけた。頭のおかしい奴ではあったが、悪い人ではなかった。ぷりぷりと怒る彼を思い出しながらみょうじはそんなことを思う。鬼殺隊での日々で人の死に慣れすぎて、悲しみに暮れるようなやわらかな心はもはや持ち合わせていなかった。残念だ、とは思うけれども。いつの間にか随分とささくれてしまったものだと自嘲する。

みょうじが静かに食事をとっている間にも、彼らの話は進んでいく。どうやら月島の生死はまだ分からないらしい。しぶとそうな奴だからそう易々と死にはしないだろう、とみょうじは思った。なにせ月島は鶴見の右腕のようだし、今回だって江渡貝のお目付け役を任されるくらいなのだから。それだけで彼の能力は伺い知れる。

「私……思い当たる人物がいます」
「贋物を見抜けそうな人物が?」
「熊岸長庵という男です」

話題は再び刺青人皮の判別方法の話へと戻り、その辺りでみょうじはある違和感を抱く。なぜ私がいる前で今後の計画を話すのか、と。

「ちょっと待ってください。……私は解放、」
「するわけねぇだろ」

みょうじが言い終える前に即答した尾形。それに付け加えるように「こっちの情報が伝わると困るから……ごめんねぇ?」と眉を下げて杉元が言った。

だったら私のいるところでそんな話をするなよ、とみょうじはそう思わずにはいられなかった。