15
「ほら、あれがオオウバユリだ」
そう言ってアシㇼパの指さした先には大きく葉を広げた背の高い草があった。「あぁ、『ヤマギシの恋占い』か」杉元の言葉にアシㇼパが頷く。オオウバユリは昨日彼女が話してくれたアイヌの神謡に出てくる植物で、その実際の姿は皆が想像していたよりもずっと大きかった。「この鱗茎が美味いんだ」とアシㇼパは早速その根を掘り起こし始めた。
「これで恋の話を考えるんだから、アイヌは想像力が豊かだな」
「アシㇼパさんはそういう話をたくさん知ってるんだ。他にもエゾウサギの耳の先が何故黒いかとか、狐と河童の話とか聞かせてもらったよ」
「へぇ、どんな話だ?」
みょうじの言葉に、早速杉元が記憶を手繰り寄せながら話し始めた。しかしどうにもうろ覚えだったようで要領を得ず、結局はアシㇼパが話し手を引き受ける形となった。「仕方ないなぁ」と得意げにほくそ笑むアシㇼパに、杉元が眉を下げて苦笑う。みょうじは彼女の話に耳を傾けながら、オオウバユリの根を掘る作業を手伝った。
「アイヌの話は本当に興味深いな。初めて聞くものばかりだ」
「なまえの故郷にそういう話はないのか?聞いてみたい」
アシㇼパの言葉にみょうじは視線を宙に這わせ、頭の中の記憶を探り当てた。それから「あまり楽しい話でもないけど」と前置きして話を始める。
「私のいたところでは、夜の山には決して入らないようにと言われていてね。女や子どもは特に。鬼が出るからって」
彼女の話を確認するようにアシㇼパが「鬼、」と小さく呟いた。みょうじがそれにひとつ頷いて話を続ける。
「鬼は陽の光が苦手だから、夜になると動き出すんだ。そして人を喰らうため夜な夜な山を彷徨う」
「……街までは降りてこないのか?」
「降りてくることもある。でも鬼は陽の光ともうひとつ藤の香りが苦手だから、村の人間は夜になると家の周りに必ず藤の花のお香を焚くんだ。そうしたら鬼はやって来ない」
みょうじは自身の
「藤の花の香袋。私の御守りだ」
香袋を受け取ったアシㇼパが、それを鼻に近づけてくんくんと香りを嗅いだ。それから杉元、牛山、尾形の順に彼らにもその匂いを嗅がせていく。「もうほとんど香りは消えてるけどね」「でも微かに良い香りがする」「私の故郷の香りだ」みょうじがすっと手のひらを差し出すと、アシㇼパは割れ物でも扱うかのように優しくそこに香袋を置いた。
「鬼に見つかったが最後、喰われるか自分も鬼にされてしまうんだ。……これが私の故郷の言い伝えだよ」
「その話から得られる教訓は……なんだ?」
そう言って首を傾げた杉元に、みょうじが視線を手元の香袋に落としたまま言った。
「鬼には気を付けろ、だよ」
「いやそのまんま……」
みょうじは「まぁ、ただの迷信だからな」とふっと笑った。
▼
深夜、皆が寝静まる中もそもそとみょうじが身体を起こす。風のざわめきに紛れて寝息や鼾が聞こえる中、彼女は音も立てずそっとその場を離れた。そうして向かった先は、そこから程近いところにある川だった。
みょうじは纏っていた衣服を全て脱ぎ捨てると、太腿に巻かれた包帯を丁寧に解いていく。最後に現れたガーゼを捲れば、直径1センチにも満たない銃創が顔を出す。その傷の際をゆるりとひと撫でしたのち、静かに川の中へと入っていった。
奥に進むほど水深も増すそこで、みょうじは腰の辺りまで川に浸かるとそのままちゃぷんと中に潜った。それからすぐにざぶりと顔を出す。ぽたぽたと雫を落とす前髪を搔き上げたのち、自身の身体に水をかけてはそこを撫でていった。
ようやく身体がすっきりしたところで、ざぶざぶと川岸の方へと向かう。木に掛けていた手拭いを手に取り丁寧に身体を拭きながら、彼女はふと口を開いた。
「女の水浴びを覗くのはどうかと思うぞ、尾形」
すると少し離れたところからがさがさと葉擦れの音がして、ぬっと尾形が現れた。彼女は背中越しに尾形を一瞥すると、特に動揺する様子もなくそのまま着替えを再開した。普段男物のズボンを履いている彼女は、下着も男と同じものを身につけている。それをきゅっと締め付けて、さらしを巻いてシャツを羽織る。そうしてズボンに足を通す前に、みょうじはもう一度尾形の方を向いた。
「見てないで手伝え。こっちは怪我人なんだ」
そう言って彼女が差し出した手には新しいガーゼと、先程解いたばかりの包帯がある。尾形は少しの間それを無言で見つめていたものの、結局はみょうじの射抜くような視線に吸い寄せられるように彼女の傍までやってきた。
みょうじはガーゼと包帯を尾形に手渡すと、すぐそこにあった大きな岩に腰掛けて「はい」と自身の右脚を投げ出した。惜しげも無く晒された彼女の脚を尾形がじっと見下ろす。
「不用心だな。犯されても知らんぞ」
「ヒグマを素手で倒すような女を犯す奴がいるのか」
先日尾形に言われたことを嫌味のように言い返し、みょうじはしたり顔をして見せる。尾形はそれに特段反応することもなく、その場に腰を下ろすと彼女の傷にガーゼを宛てがい包帯を丁寧に巻いていった。
「痛むか」
「少しな」
「…………背中の傷はなんだ」
まるで勿体ぶるように、少しの時間を置いて彼女が口を開く。
「鬼だよ」
そこで2人の会話はぷつりと途切れた。