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白石奪還に鈴川を利用する、と決まってすぐにその当の鈴川が逃亡した。自ら危険に飛び込むことになるのだから、当然と言えば当然だろう。だがそれは杉元達も予想していたことで、彼らは難なく鈴川を捕獲した。牛山の尻に下敷きになった鈴川を見下ろしながら、みょうじは「やっぱりコイツらから逃げるのは難しいか」なんてことを考えた。とは言え、流石に鈴川よりはもっと上手く逃げられるから――――
「二千メートル以上俺から逃げ切れるか試してみるか?」
鈴川に向けられた尾形の言葉に、うん、やっぱり辞めておこうとみょうじは潔く結論付ける。そして良い判断材料となった鈴川の行動に胸の奥でこっそり感謝したのだった。
「俺にどうしろって言うんだ!」
「お前が樺戸監獄に潜入して熊岸長庵を脱獄させたように第七師団から白石を助けだせ」
「方法を考えろ!お前は詐欺師だろ」
土方と永倉の言葉は無茶振りとしか言いようのないものである。その無茶振りに命が掛かっている鈴川にみょうじは同情を禁じ得なかった。だからと言って助けてやることもできないのだが。鈴川を不憫に思いつつ、みょうじは男たちがああでもないこうでもないと話し合う様子を部屋の隅でぼんやり眺めていた。部外者の立場を維持するためである。第七師団を敵に回す作戦など特に関わりたくない内容だった。
「白石が旭川第七師団の兵営のどこにいるのか……中に潜入して探らなければなるまい」
「関係者に成りすますか?」
無謀としか思えなかった課題であったが、思っていたよりも早い進捗でその手段は練られていった。なんでも鈴川が犬童四郎助という男に成りすますらしい。変装のため髪を切り眉を剃った彼の姿は、まるで別人のように様変わりしている。みょうじは犬童四郎助を知らないが、土方達の反応を見る限りかなり似ているらしいことは分かった。
そうやって皆の表情を見回す中で、アシㇼパがうつらうつらと船を漕ぐ姿が目に入った。この状況で寝入るなど随分と肝の座った子である。彼女はついにカクリと倒れ込み、みょうじが「あ、」と声を漏らしたと同時に土方の背中にぶつかる。
土方は優しく彼女を抱き上げると、自身の膝に寝かせてやった。「やれやれ、この子は大物だ」とまるで孫を見るような目で彼女を見下ろしながら。殺伐としていた雰囲気が途端に緩んでいくのを感じつつ、みょうじは静かに立ち上がると土方の元へ近寄った。
「向こうに寝かせます」
「ん、あぁ。頼んだ」
起こさないようできるだけ丁寧に彼女を抱き上げて、みょうじは再び部屋の隅へと移動する。ふにゃふにゃと柔らかい寝顔を見せるアシㇼパを見つめながら、ふっも彼女の頬が緩む。
そんな様子を杉元がじっと見つめていた。
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「なまえさん、ちょっといいかな」
その日の夜、夕食を終え皆がチセでまったりしていたところに杉元がいそいそとみょうじのところにやってきた。「なんだ?」「ここじゃちょっと」杉元は視線を逸らし親指で外を指し示す。特に断る理由もなく杉元の後を追うようにチセを出ると、しばらく歩いて森の近くまで来たところでようやく彼が振り返った。しかし気まずそうな顔をするばかりで一向に話を切り出さない。結局先に口を開いたのは痺れを切らしたみょうじだった。
「話すことがないなら戻るぞ」
「あ、いや……その、なまえさんの意志を聞きたくて」
「意志?」
首を傾げるみょうじにやっぱり杉元は口ごもって、ちらりとチセの方へと視線をやった。
「なまえさんは……アシㇼパさんを気にかけてくれてるだろ。あんたはアシㇼパさんにだけは心を開いてる」
「……何が言いたい」
「分かってるだろ。このまま第七師団に戻るなら俺たちは敵同士になる」
「…………あぁ」
「アシㇼパさんの敵になるなら、俺はなまえさんを殺すことになるかもしれない」
杉元は先程までの気まずそうな顔が嘘のように真っ直ぐみょうじを見据えてそう言った。既にその覚悟をしているのだろう。それを感じ取ったみょうじもまた、彼の目を真っ直ぐ見つめ返したまま口を開いた。
「鶴見中尉が私を前線にやるとは思えないけど。私はただの雑用係だ」
「でも、現になまえさんは江渡貝の家に送り込まれただろ。これから先も会敵する可能性はゼロじゃない。それでなくとも……、あんたはアシㇼパさんの敵と分かっていながら鶴見中尉に付くのか?」
「…………」
「アシㇼパさんだってなまえさんには気を許してる。敵として再会なんてことになったら……きっとすごく傷付く」
杉元にはみょうじが何を考えているのかさっぱり分からなかった。彼女は師団に戻るつもりでいながら、アシㇼパをまるで大切なものを愛でるような目で見るのだ。他には見せないような優しい顔をするのもアシㇼパに対してだけである。それなのに何故、と思わずにはいられなかった。
「――――なまえさんはアシㇼパさんと鶴見中尉、どっちを選ぶんだ?」
杉元の言葉に、みょうじは視線を落とすとそのまま黙り込んだ。杉元には彼女が何か考え込んでいるように見えて、その沈黙を受け入れじっと話し出すのを待った。ぷつりと途切れた会話を誤魔化すように木々のざわめきが2人を包む。
しばらくして、彼女がふっと顔を上げ夜空を仰いだ。
「どうしたんだらいいんだろうな」
ぽつりと零された彼女の言葉に、杉元が「えっ」と声を漏らす。
「私はあの年頃の遺体をおびただしい程見てきた」
「…………遺体、?」
「鬼は若い女の肉が特に好物でね。一番に狙われるから被害も多いんだ」
「待ってなんの話……っていうか鬼って、迷信じゃ、」
「食い散らされて跡形もないものが殆どだけど、残った肉片や骨で何となく歳や性別が分かるんだ。それから死に際に会うこともある。為す術なくただ冷たくなって行くのを見届けて、最後は土に埋めてやるんだ」
戸惑う杉元を他所に、みょうじはつらつらと話を続けた。それは殆ど独り言のようで、自分自身に話しかけているようでもあった。
「なんて無力なんだろうなぁ。してやれることは土に埋めることだけ。酷く惨めな時間だよ」
「…………」
「死に顔はどれも恐怖にまみれて固まったものばかり。ついさっきまで平穏の中にいたはずの、幼い少女の、……」
そこでようやくみょうじは言葉を止めて、ふっと杉元の方を見た。動揺した顔の杉元と、目の据わった彼女の視線が絡み合う。
「アシㇼパが楽しそうに笑う顔は酷く眩しい。あの力強い綺麗な目も。平穏を奪われるまで"私達"もああだったんだと思うと余計に。私はあの子の目から輝きが失われることが恐ろしくてたまらない」
「……じゃあなんで尚更、鶴見中尉に…………」
「鶴見の事は私も信用してない。でも、あの人は私に居場所を与えたんだ。全てを失った人間はな、なんであろうとそれに縋りたくなるものなんだよ。それがどんな場所で、どんな目的であれ」
みょうじは一歩二歩と杉元に近付いて、ずいとその顔を覗き込んだ。感情がごっそり抜け落ちたような彼女の表情に、杉元は思わずぞっとして後ずさる。「なあ杉元、」彼女は問う。
「私はどうしたらいい」
すぐそこに迫るぽっかり空いたほら穴のような両目に射抜かれて、杉元はごくりと固唾を飲んだ。無言のまましばらく2人の視線が絡み合う。それから少しして「喋りすぎた」とみょうじがついと顔を逸らした。
そのまま踵を返し去っていた彼女の背中に、杉元はかける言葉を持ち合わせていなかった。