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白石奪還作戦の決行日となったその日、みょうじは唇を尖らせて不機嫌さを隠そうともしなかった。

「なんで尾形と同行なんだ」

鈴川と杉元が27聯隊の兵舎へと潜入している今、尾形は不測の事態を想定し狙撃に備えていた。そんな尾形に半ば連行される形で彼女も付き添うことになったのだ。木の上から建物の様子を窺う尾形と、その更に上の枝に座り込むみょうじ。2人の間には冷えた空気が漂っていた。

「逃げられてはかなわんからな」
「アシㇼパか土方さん達の方でも良かっただろ」
「はっ、随分と嫌われたもんだ」

双眼鏡を覗き込んだまま応酬を交わす尾形の頬の隅には皮肉な笑みが浮かんでいる。なんとも不愉快なその表情に、みょうじはふいっと彼から視線を逸らした。

「お前が何をしたか忘れたとは言わせないからな」
「包帯巻いてやっただろうが」
「それで帳消しになるわけないだろ」

むすりとした彼女とは対象的に尾形の表情はどこか楽しげですらある。そんな彼にみょうじは益々苛立ちを募らせていく。おかげで早々に2人の会話は途切れてしまった。しばらくして、その静寂を破るように「あ、」と尾形が声を上げる。それに釣られるようにみょうじが兵舎の方へと目を凝らす。

「鯉登少尉が慌てて入っていった。まずいぞこれは」

鯉登少尉、の言葉にぴくりと反応した彼女は、軽々と枝を移り尾形の隣まで来ると「貸せ」と一言放って双眼鏡を奪い取った。同時に双眼鏡の紐が尾形の首を引き寄せて、彼のこめかみがみょうじの肩にぼすっとぶつかる。

「おい、見えんだろうが」
「杉元達の所へ向かったんだろうか」
「……だろうな。鶴見中尉に言われて来たんだろう。想定より話が伝わるのが早かったようだ」

みょうじは双眼鏡を尾形へ押し付けると、そのまますとんと地面に降り立った。尾形は建物から目を逸らさぬまま「どこへ行く気だ」と彼女に言葉を落とす。

「作戦は失敗だ。今から狙撃に入るんだろ?お前と一緒にいるところを見られて仲間だと思われたら困る。私は逃げる」

その時、兵舎の方からガシャンッとガラスの割れる音がして、2人分の人影が窓から飛び出した。杉元と白石である。続けざまに窓から顔を出した人物に向かって尾形がすかさず発砲すると、すぐに木から飛び降り彼女の隣へと着地した。それと殆ど同時にみょうじがぱっと踵を返す。が、即座に腕を捕まれて制止されてしまった。

「大義名分を与えてやる」
「……大義名分?」
「アシㇼパの傍にいたいんだろ?」

尾形の言葉にみょうじはぴくりと眉を上げると「聞いていたのか」と彼を睨みつけた。思い当たるのは先日の杉元との会話である。尾形はそれに答えることなく、薄ら笑いを浮かべながら彼女に銃口を突きつけた。

「お前も来い。さもなくば撃つ」
「…………」
「お前は脅されて仕方なくアシㇼパと行動を共にするんだ。これで師団の奴らに見られても問題はないだろ?」
「……どういうつもりだ」
「恩返しだよ。なぁ、"命の恩人"」

そうこうしている内にも兵舎の方はどんどんと騒がしくなって行く。痺れを切らした尾形が「行くぞ。本当に撃たれたいか」と僅かに語気を強めた。みょうじは苦虫を噛み潰したような顔でひとつ舌打ちすると、尾形と共に走り出したのだった。

「杉元こっちはダメだッ!南へ逃げろ!あっちだッ!」

尾形とみょうじはすぐに杉元と白石に合流することができた。そこに鈴川の姿はなく、2人は彼が殺されたであろうことを察する。白石と杉元はと言えば、尾形と共に現れたみょうじの姿に困惑しているようだった。第七師団側の人間なのに、という2人の疑問に先回りするように尾形が口を開く。

「こいつは人質に使う!少なくとも鯉登少尉には効くはずだ!」

尾形はその言葉通り、みょうじに銃を向けたまま「行くぞ!」と彼女を急かし走り出す。みょうじは半ばやけくそになってその言葉に従った。そうやってしばらく走り続けていると、4人の前に膨らみかけの飛行船が現れる。

「なんだありゃあ!!!」
「気球隊の試作機だ!」
「あれだッ!あれを奪うぞッ!」

尾形は飛行船のそばに居た兵士たちを脅し距離を取らせると、再びみょうじに銃口を向け「乗れッ」と鋭く言い放つ。大義名分だの人質だのと言っていた彼だったが、その気迫は本当に撃ちかねないものだった。みょうじが勢いよく気球に飛び乗り、その骨組にしがみつく。その後を追うように尾形達も乗り込むと、それまでおろおろと傍観していた兵士たちが一斉に飛びかかってきた。

「離せテメェら!コラッ!!」

尾形と杉元が気球にしがみつく兵士たちを振り落とそうと銃床で殴りつけている。みょうじはどちらの味方をすることも出来ず、ただその様子を見ていることしかできなかった。そんな自分への歯痒さに、骨組を掴む手にぐっと力がこもる。傍から見れば、きっと尾形が目論んだ通りみょうじは単に脅されてそこにいる人間のように見えるだろう。その事実にほっとしている自分がなにより情けなかった。

鶴見か、アシㇼパか、どちらにつくか決められぬまま尾形にお膳立てをされてしまった。これではまるで卑怯なコウモリそのものではないか。みょうじは唇を強く噛み締める。

その時、群がる兵士たちの奥に見慣れた男の姿が現れた。

「鯉登少尉……!」

まっしぐらに飛行船へと向かってきた鯉登は、塔のように積み上がった兵士たちを踏み台にすると勢いよく飛び上がる。そしてついには飛行船に乗り込むことに成功したのだった。それと同時に尾形がみょうじの背後へと周り、がばりと彼女を拘束する。

首に腕を回されぐっと締め付けられて、みょうじは軽い息苦しさを覚えた。どうやら人質の体裁を突き通してくれるつもりらしく、その拘束は幾分か手加減されたものだ。いや、実の所は本当に人質のつもりで拘束しているのかもしれないが。

みょうじからすればこの程度の拘束など簡単に抜け出すことが出来る。それでも彼女はこの状況を甘んじて受け入れた。否、受け入れることしかできなかった。

「銃剣寄越せ。俺がやる」杉元の言葉に、尾形は素直に自身の銃剣を手渡す。杉元を睨みつけていた鯉登が尾形とみょうじの方へちらりと視線をやると、ぐっと顔を顰めて「みょうじ」と小さく呟いた。

「いま助けてやる」

みょうじは真っ直ぐに鯉登を見据えたまま、きゅっと目を細めたのだった。