02

尾形の見舞いののちにみょうじの見舞い、それが月島の日課に組み込まれるようになって早3日。今日も今日とて月島は未だ目を覚まさぬ尾形の病室を出て、次にみょうじのいる病室へと向かった。扉を3回叩いて「はい」と返事が聞こえてからドアノブを捻る。あれだけ安静にしていろと言ったのに、彼女は寝台の脇に立ち窓の外を眺めていた。

「この辺りは鴉を撃つ習慣でもあるのか?」

こちらを振り向いて開口一番紡がれた彼女の問いかけに、月島は一瞬呆気に取られて首を捻った。そして少しばかり考えてから言葉を紡ぐ。

「そんな習慣はないが。普通に飛んでるだろう」
「でも、……なんでもない」

みょうじは何かを言いかけて、すぐに口を閉ざした。もう一度ちらりと窓の外に視線をやってから、どこか諦めたような顔で寝台に腰を下ろす。そして月島の手元を一瞥して「それは?」と顎をしゃくった。

「……今日の新聞だ。読むか?」

みょうじがこくりと頷くのを見て、月島は四つ折りのまま新聞を手渡した。彼女はそれを受け取って、小樽新聞と書かれた表紙を見て分かりやすく怪訝な顔をした。「何か?」「……いや、なにも」彼女お得意のだんまりである。どうせ答えないであろうことは分かっているから、月島は早々に諦めて別の話題を口にした。

「今日は会って欲しい人がいる」
「あぁ……"鶴見中尉殿"?」
「……そうだ。先に軍医と話をしてくると言っていたが、すぐに来られるかと」

みょうじは「そう」と短く呟いて、そこで2人の会話はぷつりと途切れた。途端、病室にしんとした空気が流れる。如何せん月島は堅物な朴念仁であるし、それはみょうじも似たようなものである。つまり、仲良く雑談するような2人では決してないのだ。

とは言え月島からすれば保護した以上彼女が何者か知る必要があったから、情報を得ようとこれまで何度も話しかけては来た。しかしそれとなく彼女の素性を探ろうとするも途端に口を閉ざされてしまうのだ。

あの珍妙な装束は何か、家はどこか、家族はいるのか、何を生業としているのか、山ではぐれたという"仲間"とは一体何なのか。月島の問いかけに彼女はひとつとして答えなかった。

おそらくはサンカ――――山々を点々とする漂泊民――――ではないかと月島は予想していた。中には犯罪を犯し生計を立てている集団もいるから、自分たち軍人にはその正体を明かさないようにしているのではないかと。

しかしそんな月島の考えを、上官である鶴見は「はて、どうかな」と実に愉快そうな笑みを浮かべただけで否定も肯定もしなかった。きっと他の考えがあるに違いない。が、彼の頭の中など月島には分かるはずもなかったし、知ろうとも思わなかったから聞かなかった。ただ彼の指示通りに動くだけ。ただそれだけである。

「月島、サン。いや……軍曹?」
「……呼びやすいように呼べ。なんだ」
「じゃあ、月島。私を第七師団の兵舎へ連れて行って。ここに居ては身体がなまる」

呼び捨て。敬称に迷っていたのではないかと少しばかり引っかかりを覚えつつも、月島は「いや……まだ傷も完治してないだろう」とだけ返した。

「別に動き回るとは言ってない。療養しながらでもできるような、裁縫とか……何でもいいから仕事をさせて欲しい。暇すぎて気が狂いそう。兵舎にも医務室くらいあるだろ」
「……しかし、」
「なに、裁縫ができないとでも思ってるのか?試しにそれ、縫ってやろうか。ほらここ、ほつれてる」
「そういうわけでは、」

じっと力強い視線に射抜かれて、月島は思わずたじろいだ。どうしたものかと少し考えて、眉間に指を押し当て諦めたようにひとつため息をつく。

「俺の一存では決められん。鶴見中尉殿に相談しよう」



「うん、まぁ、いいんじゃないか」

しばらくして病室に訪れた鶴見は、事も無げにそう言ってのけた。あまりにもあっさり許可したものだから、月島が思わず「えっ」と声を漏らしてしまったくらいだ。

「しかし得体の知れぬ者を兵舎に置いておくことはできん。君のことを教えてくれ」

鶴見の言葉に押し黙ったみょうじを、月島は無表情のままじっと見つめた。隠せば隠すほどに怪しさは増すというのに、彼女は一体なぜ頑なに口を閉ざすのか。今もまた答えないつもりなのか。上官はどうするだろうかと月島が視線を移せば、丁度鶴見が手に持っていた鞄をどさりと机に置くところだった。そして鞄の中から黒い布を取り出して口を開く。

「深くは聞かない。答えたくなければそれで構わない。……まず、この装束はなんだ?」
「……制服。それを着て仕事をする」
「仕事とは?」
「…………裁縫、料理、怪我の手当……なんでもやる」
「ふむ。……初めて見る生地だが何でできている?随分と頑丈そうだが」
「仕入れは私の担当じゃないから仔細は分からない」

これまでずっと口を閉ざしていた癖に、それが嘘のように淡々と答えていくみょうじに月島は些か呆気にとられた。鶴見はみょうじが身につけていたものを全て持って来たらしく、それらを取り出しては「これは?」「これは?」と矢継ぎ早に質問を繰り返した。その度にみょうじは「軟膏。切り傷に効く」「それは包帯代わり」と簡潔に答えていく。

「これは?」
「…………香袋。御守りみたいなもの」

薬、包帯、毒、小刀――――実用的な物が溢れるその中で、唯一それだけが異色を放っていた。鶴見はそれを鼻に近付けくんくんと香りを嗅いだのち「藤か」と呟いた。みょうじが小さく頷く。

「怪我が治ったらまた仲間と合流するのか?」
「そのつもりでいる」
「……兵舎に来たいとのことだが、こちらとしても君には借りがあるからできるだけ要望には応えたい。ただ、軍医の意見を聞いてからだ。あまり無理はしない方がいい」

鶴見はぽんぽんと軽く彼女の肩を叩いてから「これらは君に返そう」と散々質問しまくった荷物にちらりと視線を向けた。そして「また来る。月島、行くぞ」と言って病室を出た。月島もみょうじに軽く会釈をしたのち、すぐにその後を追った。

「良いんですか。兵舎に彼女を置いて」
「むしろ好都合だ。彼女についてはまだ知りたいことがあるからな」
「……とは言え怪しすぎるでしょう、流石に」
「ふふ、賢い子だよ。彼女は」
「は、?」

鶴見の言葉を上手く飲み込めなかった月島は、伺うような視線を向けた。

「包帯代わりと言った四色の細い布――――おそらくあれはトリアージのためのものだ」

トリアージ。野戦病院で行われる負傷者の振り分け。大災害でも起こらない限り、こんな街中ではまず用いることなどないだろう。

「薬の量から見ても、負傷者が出るような場に身を置いていたんだろう。……それも、大量に」
「……彼女が、ですか。確かに尾形を川から引き上げるくらいですから、普通の女ではないのでしょうね」
「何者なのか……気にはなるが、中々口は割らないだろうな」
「? 鶴見中尉殿の問い掛けには全て答えていたではありませんか」
「全て聞かずとも予想できた範囲でな。こちらが荷物を調べているのを見越した上で答えたに過ぎない」
「……彼女の何にそんなに惹かれているのですか」

鶴見は実に愉快そうに笑みを零すと「これを見ろ」と月島に掌を差し出した。そこに乗せられているのは一見何の変哲もない一銭銅貨。月島はそれを手に取って「これが何か?」とまじまじと観察した。

「彼女の財布に入っていたものだ。年号を見てみろ」
「! これは、だい……たい?せい……?」

大正2年。月島が読めないのも無理はなかった。何せ大正2年は今から6年後の年号である。鶴見はふふふと不気味に笑い、額から垂れてきた脳漿をハンカチで丁寧に拭った。

――――その日、みょうじは陸軍病院から忽然と姿を消した。