03
みょうじが姿を消したことはすぐに鶴見と月島の耳に入った。何でも夜間の巡回時には既に布団がもぬけの殻となっており、鶴見が返した荷物も全て無くなっていたのだという。
「荷物を返したのは早計だったか」
顎をさすり首を捻る鶴見は、その言葉に似合わぬ笑みを携えていた。どこか楽しんでいる節のある彼を月島は一瞥するだけに留め、彼女のことを思い返す。腹の傷は到底癒えたと言えるものではなく、普通であればまだ歩き回れるような状態ではないはずだった。ただ、彼女がその"普通"に収まるかは別として。
とは言え、何故手厚い治療を受けられる環境を捨ててまで出ていったのか。やはり軍人の傍にいられないような後ろめたいことでもあるのだろうか。しかし昨日、彼女は自ら兵舎へ連れて行けと言い出したのだ。あれは単にこちらを油断させるための策に過ぎなかったのだろうか。
そう言えば、初めて会話を交わした時に「仕事に戻らなきゃ」と言っていたから、元々無理をしてでも仲間の所へ戻るつもりでいたのかもしれない。逃亡を決行したきっかけは、鶴見の言う通り荷物を返したからなのか、それとも――――
「……新聞」
ぽつりと呟いた月島に、鶴見が静かに視線を寄越す。暗に続きを促すようなそれに、月島は素直に口を開く。
「昨日、彼女に新聞を渡しました。そこで初めて今の日付を知ったのかもしれません」
あの時彼女は新聞を見て確かに怪訝な表情を浮かべていた。見知らぬ年号の銅貨を持っていた彼女は――――俄には信じ難いが――――後の時代を生きる人間なのだろう。もし、彼女自身が昨日初めてここが過去であると気付いたのなら。新聞を受け取った時のあの反応が、(彼女にとって)昔の新聞を渡されたからだとしたら。あくまで想像でしかないが、その線もなくはないだろう。しかし、だとしたら自分の落ち度ではないか。月島はそんな結論に辿り着いてぎゅっと眉を寄せた。
「申し訳ありません」
「いや、謝ることは無い。仮にそうだとしても、いずれはこうなったということだ」
鶴見は「そもそも後の時代から来たなど予想もつくまい」と付け加えた。月島を咎める気持ちはこれっぽっちもないらしい。何せその顔はいまだご機嫌である。
「追いますか?」
「いや、まずは杉元の捜索だ。縁があれば彼女にはまた会えるさ。運命を信じよう」
縁、運命――――この男がそんな曖昧なものに頼る者ではないことを月島はよく知っている。同じような言葉を用いて鯉登を誑かす姿をそのすぐ傍で見てきたのだから。どうせ自分の預かり知らぬ所でなにかしら手は打つのだろう。
彼女もまた鶴見劇場の役者となってしまうのか。そこまで考えて、どこか儚げな彼女の横顔が月島の脳裏を掠めた。
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月島がみょうじと再会したのは、それから2週間と立たない内のことだった。二階堂兄弟が杉元を捕らえたという報告が入り、急いで現場の蕎麦屋へと向かっている途中で彼女の姿を見かけたのだ。
みょうじは脱走時に着ていたであろう入院着でもなく、発見時に着ていた珍妙な黒子装束でもなく、一般人に溶け込むような地味な着物を着ていた。そうして少し離れたところでじっと月島達の様子を伺っていたのだが、月島は走りながらもすぐ彼女に気付いた。その視線が一般人のものとは似ても似つかない程に酷く研ぎ澄まされたものだったから。背中にぞくりと寒気を感じるような、例えるなら戦争から帰ってきたばかりの兵士のそれによく似ていた。
「月島軍曹!何処へ!」
「他用だ!そのまま二階堂の元へ迎え!」
そう言って走り行く集団から早々に離脱し、月島は彼女の元へと向かった。
「やっぱり月島だった。似てるなと思ったんだ」
「……一体どこに行ってたんだ。何故戻ってきた」
「『何故』って、ただ少し出掛けてただけじゃないか」
「2週間近くも姿を見せずによく言う……腹の傷は?」
「問題ない。少し発熱しただけ」
それを問題ないとは言わない。月島は眉間に指を押し当てながらもため息をぐっと堪え「で、どこに行ってたんだ?」と質問を続けた。
「東京」
「……は、」
月島の口から今度こそ大きなため息が漏れた。ここから?東京まで?「少し出掛けてた」と言うにはあまりにも遠い目的地である。時間も、何より金もかかる。しかし彼女の顔は涼しげだ。
「病院に行くぞ。傷を診てもらう」
「何しに行ったかは聞かないんだ」
「……どうせ、お前は言わんだろう」
みょうじは視線を落とし、どこか思案するような表情を見せた。そうしてまたすぐに「いや、話そう」と月島に視線を戻す。
「もう隠す必要もなくなった」
「……東京で何かあったのか」
「…………逆だ、月島。何も無かったんだよ」
そう言って薄く笑みを浮かべた彼女に、月島はかける言葉が見つからなかった。脳裏を掠めるのは一銭銅貨に記された大正2年の文字。月島にはそれが何年先の年号なのかは分からない。もしかすると今この時代には、彼女の探していた仲間は存在していないのかもしれない。
あの銅貨で既に彼女の事情を知っていることを伝えるか否か迷って――――結局口にはしなかった。その時機は鶴見に任せるべきだと判断したのだ。
そうして2人はここは人通りが多いからと、少し遠回りにはなるが人気のない道を通って病院へと向かうことにした。歩き出してすぐ、みょうじは周りをちらちらと確認したのちに話を切り出した。
「私は鬼殺隊という組織に所属していた」
「……きさつ、隊?」
「"鬼を殺す"と書いて鬼殺。その名の通りの組織だよ」
「鬼、というのは?」
「そのままの意味だ。超常的な力をもつ不死の存在。人を喰らい生きる人ならざる者。――――私の家族も鬼に殺された」
彼女の口から紡がれる御伽噺のようなそれに、月島はどう反応すべきか分からなかった。半信半疑どころか、全くもって信じられない。しかし今までずっと頑なに口を閉ざしていた彼女が自分から話をしているのだ。その内容に納得はしきれないものの、きっと何かを暗喩した話だろうとひとまずは彼女の話を聞くことに徹した。
「お前もその……鬼、と戦っていたのか」
「……厳密には違う。その事後処理部隊にいた」
「剣の才がなくてね」と続ける彼女に、ますます月島の中で疑いの念が大きくなる。なにせ廃刀令の交付によりもう30年も前から帯刀は禁止されているのだ。武士の残党がいないとは言わないが、彼女の言う通りその鬼が"超常的な力をもつ"のなら、刀よりも銃を使った方が懸命だろうに。
指摘したい気持ちをぐっと堪え、月島は彼女の話に耳を傾けた。
「私たちは鴉を使って伝達をするんだけど、それがずっといなくてね。仕方ないから本拠地である東京まで行ってきたんだ」
「あぁ、それで鴉を撃つ習慣がどうのと言っていたのか」
「そう。……でも鴉がいなくて当然だ。組織自体がなかったんだから」
「……帰るところがないのか」
「そういうこと」
大変な状況にあるに違いないのに、彼女の目には少しの陰りもなかった。随分と逞しい性格をしているらしい。東京まで行ったにも関わらずわざわざまたこの小樽まで戻ってきた理由は、曰く「ここでの仕事が長かったから土地勘はこっちの方があるんだ」とのことだった。どうやらこの地で生きていくことにしたらしい。
「相応の謝罪と謝礼と言っていたな。"鶴見中尉殿"のコネで就職先を斡旋、もしくは第七師団の兵舎で雇ってもらえないか」
前言撤回。逞しい性格、というより図太いと言った方が良さそうだと月島は思った。