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杉元と鯉登の勝負はすぐに決着がついた。というより、鯉登が優勢だったところにアシㇼパの矢が飛んできて、更には白石から飛び蹴りをくらい飛行船から吹っ飛ばされたのだ。

落ちていった白石と鯉登を見て、みょうじは思わず息を飲んだ。白石は予め綱で自身と飛行船を繋いでいたらしくそのまま宙ぶらりんとなり、鯉登だけが一人落下していった。慌てて下を覗き込むと「みょうじ!」鯉登の手が真っ直ぐ彼女に伸ばされた。その顔には悔しさが滲み出ていた。

どんどんと小さくなっていく彼の姿を注視していれば、どうやら木に引っかかって無事らしいことは分かった。あの高さから落下して生きているとはなんとも運の強い男である。みょうじは安堵のため息をついた。



「肩の銃弾は貫通してるが左胸にはまだ弾が入ってる。あとで取り出さないと」

ふと聞こえてたアシㇼパの言葉に視線をやると、丁度彼女が杉元の傷を見ているところだった。みょうじはだらだらと血の流れている杉元の胸元を少しの間じっと見つめて、逡巡ののちに立ち上がった。

「撃たれたのは2発だけか?」
「うん」

彼女は杉元の傷をまじまじと観察したのち、腰の雑嚢を漁って鑷子ピンセットと手拭いを取り出した。「ここでやる」とそれだけ言って、杉元の口に手拭いを含ませる。意図を察した杉元が彼女に見えやすいよう軽く胸を逸らし、それからぐっと手拭いを噛み締めた。

「こらえろよ」
「…っ゛、」

杉元の呻きが手拭いに染み込んで、くぐもって聴こえてくる。ぴりりと張り詰めた緊張感が2人を包み込んだ。暫くして、コンッと銃弾が床にぶつかる音が響く。すかさずみょうじが脱脂綿やら包帯やらを取り出して止血を行った。脱力したのか、杉元の口から噛んでいた手拭いがはらりと落ちる。

「慣れてんだな」
「銃弾を取り出したのは初めてだ」
「……ありがとう、助かった」

このとき杉元と尾形だけが、彼女が治療に慣れている理由を何となく察していた。以前彼女が口にしていた"鬼" ――――何かの暗喩かもしれないが――――の存在である。それと戦っていたのか、それとも逃げていたのかは分からないが、少なくとも"おびただしい程の遺体"と遭遇するような場に身を置いて居たのは確かだ。怪我の治療に長けているのも、鈴川が潜伏していたコタンで女達を守って戦えたのも頷ける。ただ、アシㇼパと白石のいるこの場でする話ではないだろうと、杉元も尾形も口を閉ざしたのだった。

少しばかり不自然な沈黙が流れそうになったその時、白石がどこか気まずそうな顔で話を切り出した。

「こんな危険を冒してまで俺を取り戻しに来るなんて……俺は脱獄王だぜ?自分で逃げられたのに……」

彼の声色も、表情も、助けてもらったことを喜んでいるようには到底見えないものだった。戸惑いと不安――――そして僅かな畏怖が張り付いている。キロランケが言っていた通り、彼が杉元達から逃れようと救いの手をわざと払い除けていたのは事実なのだろう。

「網走では白石が必ず俺達の役に立ってくれる。お前を信じてたから助けに行こうと決めた」

でも、と杉元は言葉を続ける。途端に彼の纏う雰囲気がずしりと重たくなった。

「お前……土方と内通してたな?ずっと土方にこっちの情報を渡していたんだろ……」

白石は杉元の言葉に分かりやすく顔を強ばらせた。コウモリは自分だけではなかった、とみょうじは静かに視線を落とす。このまま優柔不断な態度を貫けば、きっと自分は今の白石のように行き場を失ってしまうのだろう。そう思うと、彼の置かれた状況を他人事とは思えなかった。

まるで演劇の山場のような2人のやりとりに、みょうじはじっと耳を傾けていた。「待てシライシ逃げるな!これを見ろ!」飛行船から飛び降りようとした白石を杉元が呼び止める。釣られるように彼女も杉元の方を見れば、その手には刺青人皮の写しが握られていた。

「あっ、それは……」
「白石が札幌で牛山に手渡した辺見和雄の刺青の写しだ」

杉元の手元で、写しが風に煽られパタパタと音を立てて揺れている。それはついに杉元の手を離れ、勢いよく空を舞った。

「デタラメの写しだった」

みょうじは空を泳ぐ刺青人皮の写しを目で追いながら、「あぁ、」と胸の内で独りごちた。どうやらコウモリは自分だけらしい。



燃料切れを起こした飛行船はしばらく風に乗って移動したのちに木の上に不時着した。岩場にぶつかりでもしたらひとたまりもなかったので、いい所に降りたものだと皆でほっと胸を撫で下ろした。とは言え悠長にしている暇はない。尾形曰く兵士の追っ手が来ているとのことで、追いつかれる前にと一行は先を急いだ。

「なまえちゃん、こっちに来てよかったの?」

ふと、隣を歩いていた白石が気遣わしげにみょうじに声を掛けた。「ここに残れば第七師団と合流できるんじゃない?」続けられた言葉に彼女はじっと黙り込んだ。代わりに口を開いたのは尾形である。

「網走監獄の画策をわざわざ師団へ漏らす気か」

彼の言葉に杉元が「えっ」と声を漏らす。念の為彼女の前ではその計画を話さないようにしていたはずだったからだ。

「こいつの諜候の能力はずば抜けてるぞ。こちらの計画は殆ど把握されてると思った方がいい」

杉元、白石、そしてアシㇼパが同時にみょうじへと視線をやった。しかし彼女は黙り込んだまま否定も肯定もせず黙々と歩みを進めるのみ。まさかとは思うが、尾形の言葉は妙に説得力があった。なにせ彼女は既に一度、杉元とアシㇼパに全く気付かれることなく金塊の話を盗み聞いているのだから。

「大体さっき自分でも言ってただろうが。"網走では白石が役に立つ"――――ってな。脇が甘いんだよ」

杉元は尾形に指摘されて、「あー……」とさも今気付いたと言わんばかりの声を上げ、気まずそうに頬を掻いた。それからしんとその場が静まり返って、なんとも重たい空気が流れ始めた。しかしその沈黙を破るように、ようやくみょうじが口を開く。

「師団に戻ったらまた小樽の兵舎で働く日々になる。その前に……私もアシㇼパがのっぺら坊に会うのを見届けたい」
「……なまえ、」
「網走まで、私も連れて行ってくれ」

それは自身が杉元達の情報を把握していると自白するようなものだった。同時に、鶴見ではなくアシㇼパ側に付くという宣言でもある。アシㇼパは不安気な顔で杉元を見た。

「どうせ鶴見中尉の元へ戻す訳にはいかない。……正直まだ信用しきれないけど……、」

杉元がみょうじを真っ直ぐに見据えたまま言った。

「行こう、なまえさん。網走に」