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杉元達が大雪山にて十勝方面への下山を試みる中、小樽の第七師団兵舎では鶴見、鯉登、月島が一室に会していた。白石を逃しはしたものの彼の刺青は写してあること、犬童に成りすましていた囚人の刺青を手に入れたことを鶴見へ報告するためである。

興奮しながらもなんとか(月島を介して)報告を終えた鯉登は、鶴見から頂戴した小言に分かりやすく項垂れていた。「鯉登少尉、お前は旭川の任務を外れろ」そんな鶴見の命令にさらにへたり込む。しかし、

「小樽で私の囚人狩りに参加するのだ」

と続けられた言葉で一気に顔を輝かせたのだった。その表情を携えたまま「精進いたします」と耳打ちしてくる鯉登に、月島は面倒くさいと心から思った。なぜこの男は鶴見を前にすると普通に話せなくなるのか不思議で仕方がない。そう心底呆れる月島を他所に、鯉登が再び彼の耳元へ顔を寄せる。

「みょうじも杉元達と一緒にいました。……が、また尾形に連れ去られました」

月島はぴくりと反応したのち、彼の言葉をそのまま鶴見へと伝える。

「ほお、まだ生きていたか。良かったな月島」
「……なぜ私に振るのです」

鶴見は「お前はあの女を気に入っていただろう」とにっこり笑った。一拍置いて、月島が「それは鶴見中尉殿でしょう」と返す。

「ふふふ、そうだな。甘味仲間を手放すのは惜しい。パンケーキもまだ作ってもらってないしなあ」
「……甘味仲間?パンケーキ?どういう事だ月島ぁ!」
「私に聞かんで下さい」

鯉登に肩を揺さぶられながら、月島は鶴見をじっと見つめ「彼女が欲しいのはそんな理由じゃないだろう」と心の中で呟く。もちろん、鯉登のいる前で本当の理由を明かす訳もないことは彼もよく分かっている。

みょうじについてまず目を引くのはその身体能力の高さで、それは一人で隊員数人分の力仕事を軽々こなしてしまう程のものである。料理の腕も申し分なく、瀕死の尾形を応急処置できる程の医療の知識もある。頭は切れるし、度胸もある。欠点らしい欠点と言えば、愛想のないことくらいか。基本何をやらせても優秀すぎる人材であるが、それ以上に重要なのは彼女が8年後の未来を知る人間と言うことである。

しかしここで懸念がひとつ。

「彼女なら自力で逃げ出せそうな気もしますが」

月島の言葉に鶴見が「あのお転婆娘も流石に銃には敵わんか」と零す。過去に一人の隊員を打ちのめしたことのある女ではあるが、彼女との縁は師団の人間が彼女の腹を撃ち抜いたことから始まったのだ。いくら彼女の強さに目を見張るものがあろうと銃には勝てないのだろう。まぁ、銃が通用しないとなると流石に化け物じみているから当然と言えば当然の話だ。

頭を過ぎるのは尾形の存在である。あの男の遠距離射撃の腕は相当なものだ。みょうじを二度も連れ去ったことを考えるに、尾形が彼女の逃亡に目を光らせているのかもしれない。いや或いは、と月島は思考を巡らせる。

「……あちら側に寝返った可能性は」
「いや、見た限り脅されているようだったぞ」

鶴見はしばし考える素振りを見せたのち「人質か、利用価値を見出したか……情報がこちらに漏れるのを警戒したといったところか」と、顎を擦りながら宙を見上げた。それから「まぁいい」と零して立ち上がる。

「杉元達と同行しているのなら、いずれまた彼女とも会えるだろう」

その言葉で彼女の話が締め括られると「旭川で飛行船に乗っていたのは間違いなく尾形百之助だったんだな?」と今度は尾形の話題へと移り変わった。早速その問い掛けに答えるべく、鯉登が月島の耳元でぼそぼそと話し出す。彼の言葉を通訳しながら、月島はぼんやりとみょうじの姿を思い浮かべた。

――――あの酷く短い髪もいくらか伸びた頃だろうか。



師団の打合せから数日後、月島が思いを馳せたみょうじはと言えばとあるコタンでの騒ぎに巻き込まれていた。なんでもそのコタンの周辺ではここ最近、動物が穢された上に殺されるという奇怪な事件が頻発しており、杉元の知り合いでもある谷垣という男がその犯人として連行されたのだ。しかし情報を照らし合わせたところその真犯人は別にいて、さらには刺青脱獄囚――――動物学者、姉畑支遁――――の可能性が高いとのこと。そこで杉元一行は谷垣の濡れ衣を晴らすため、且つ姉畑の刺青を入手するため動くことに決めたのだった。

「姉畑支遁と出会った夜に奴が話してたことがある」

檻の中に捕らえられた谷垣が姉畑探しの手掛かりとなりそうな情報を杉元へと託す。彼の話によると、なんでも姉畑はヒグマへ強い関心を寄せているらしい。つまり、ヒグマを追えば姉畑と出会える可能性も高いという訳だ。実に有用な情報ではあるが、同時にこの問題が喫緊の対応が必要であると知らしめるものでもあった。

「それやばいやばいッ!!ヒグマに恋しちゃったら……刺青ごと喰われちまうだろうがッ!!」

恋は既にしているのでは?みょうじは杉元の言葉にそんなことを思いつつ、すうっと胸の辺りを冷たいものが通り過ぎていくのを感じた。生理的嫌悪感、不快感、拒否感。そういった類のものが這っていったのだ。ヒグマと――――アシㇼパの言葉を借りるならウコチャヌプコロ――――する気でいるなんて。みょうじはふと江渡貝のことを思い出した。実に気色の悪い趣味、という印象が合致したのだ。

あまり関わりたくはないのが本音ではあったが、みょうじはコタンに残る尾形ではなく杉元とアシㇼパに同行することに決めた。コタンにいてもやることはないし、それなら囚人探しに着いて行った方が役に立てるだろうと思ったのだ。

「姉畑支遁がヒグマと出会う前に……!ウコチャヌプコロしようとする前に捕まえないと!!」

使命感に燃えているらしい杉元とアシㇼパを他所に、みょうじの顔は普段にも増して冷めきっていたのだった。