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杉元達の姉畑探しは困窮を極めていた。谷垣を捕らえたアイヌ達から与えられた猶予は3日、その最終日になってもまだ姉畑に繋がる手掛かりすら見つけられていなかった。強力な助っ人であるリュウ――――谷垣が持つ銃の元の持ち主の猟犬だそうだ――――が加わって希望は見えてきたものの、それでも安心できる状況ではなかった。なにせ刻限がもうすぐそこまで迫っている。

「間に合うか厳しいな……」

皆の気持ちを代弁するように、杉元がぽつりと呟いた。その顔には焦りと若干の諦めが滲んでいる。

「ギリギリまで粘ってみよう。いざとなったら尾形が……」
「……アシㇼパさん、もし俺が谷垣みたいな状況になったら、尾形にだけは託さないでくれよ?」

姉畑捜索に出向く直前、アシㇼパはある保険を掛けていた。もし3日以内に姉畑を連れて戻れなかった場合、谷垣を守って欲しい――――その願いを託した先は尾形である。後に杉元が「あんなの1番信じちゃダメな奴だよ」と零していたのだが、それにはみょうじも同意だった。どうにもあの男は何を考えているのか分からないのだ。仮に助けるにしてもきっと極端な方法をとるに違いない。というか、当の本人がそれを仄めかしていたくらいだ。その上で彼を信じ託したアシㇼパは大物と言うべきか、理想論者と言うべきか。みょうじは前者だと思っているけれど。

「杉元に何かあったら私が必ず助ける」
「ほんとにぃ?頼むぜアシㇼパさん」

ハハハ、と力なく苦笑う杉元に対しアシㇼパの表情は真剣そのものだ。みょうじはそんな2人のやりとりを見ながら、その強い絆を少し羨ましく思った。そしてやはり、彼女の力強い視線に些か圧倒されてしまう。どこまでも真っ直ぐなそれはみょうじからすれば眩しくてかなわなかった。

「安心しろ杉元。何があっても私は……」

アシㇼパがそう続けようとした時、まるでそれを遮るかのようにリュウが動き出した。リュウを繋ぐ紐を持っていたアシㇼパが見事に引きずられていく。何かに反応したらしいその様子に、杉元達は慌てて後を追いかけた。

「見てみろ!リュウがいいもの見つけたぞ!」
「嬉しそうだね。ウンコかい?」
「ウンコじゃないぞッ!見てみろ!」

そう言ってアシㇼパが指さした先にあったのはヒグマの糞だった。「ウンコじゃんウンコじゃん!」「ウンコだ杉元……ウンコだ」何故か楽しそうに戯れ始めた2人を、みょうじはなんとも言えない気持ちで眺める。

とはいえその発見は実に意味のあるものだった。ただ子どもが糞を前にふざけてはしゃぐのとは訳が違う――――と信じたい。アシㇼパ曰くその糞はまだ新しく、しかも誰かがその上で暴れ回った跡があるのだという。「姉畑支遁しかいねぇだろそんなの!」杉元の言葉に、ただでさえ冷めきっていたみょうじの表情が今度は不快感で歪められていく。彼女の頭を過ぎったのは、やはりあの気色の悪い衣装を纏った江渡貝の姿だった。

「犯人は近いぞリュウ!」

尾形や白石と共にコタンに残った方が良かったかもしれない。そんなみょうじの後悔は残念ながら幾らか遅かった。糞の発見から程なくして、リュウが再び興奮した様子で駆け出したのだ。



リュウの向かった先にはヒグマの姿があった。そして探していた姉畑支遁と思われる男の姿も。このままではヒグマに食べられてしまう。3人は慌てて駆け出して、アシㇼパが真っ先に弓を構えた。

「リュウ離れろ!矢に当たるッ!」

彼女がそう叫んだ直後、姉畑の持っていた銃が暴発する。それは事もあろうにアシㇼパの頭部を掠り、彼女の矢は大きく的を外れ空高く飛んで行った。かと思うと、よろめいたアシㇼパが「あっ」と大きな声を上げてすっ転ぶ。そのすぐ後ろに水面が見えて、杉元とみょうじは慌てて彼女へと手を伸ばし――――3人同時に川に落ちた。

「ぷはっ、……!」

頭から川に突っ込んでしまったみょうじがなんとか水面から顔を出した時、既に杉元は川から這い上がっていた。「あいついつの間にか下半身脱いでる!」衝撃の言葉に思わず姉畑の方を見れば、確かに下半身をさらけ出した彼がヒグマの腹にしがみついている。「何であんな馬鹿をヒグマから必死で守らなきゃならないんだッ」杉元の言葉にみょうじは内心大いに同意したが、そんなことを言っている場合でもなく。

杉元は咄嗟に銃を構えるとヒグマへと狙いを定め、引き金を引いた。が、バガンッといつもと調子の違う爆発音が響く。どうやら壊れてしまったらしい。「杉元!!ヒグマが襲ってくるぞッ!」アシㇼパが叫ぶ。銃を失い丸腰となった彼にヒグマが物凄い速さで向かっている。杉元が死んでしまう、とみょうじは全身から血の気が引くのを感じた。

杉元はすんでのところで川へ飛び込み事なきを得た。一瞬鶴の舞を見せたようだったが全く意味を成さなかったらしい。とりあえずは一安心、ではあるがまだ気を抜ける状況ではない。ヒグマが川に潜った杉元を狙って水中を覗き込んでいるのだ。

「……くそっ」

みょうじは腰にぶら下げていた小太刀を握り締めると、勢いよく川から這い上がった。

「なまえ!!やめろッ!死ぬぞ!」

アシㇼパの引き止める声には聞こえない振りをした。自分がヒグマに敵うとは思わない。しかしここで杉元に死なれては困る。この先もアシㇼパを守れるのは自分じゃなく杉元なのだ。ヒグマを殺すことは出来ずとも、少しでも弱らせさえすれば"不死身の杉元"ならなんとかしてくれるかもしれない。そう信じてヒグマ目掛けて走り出す。

ヒグマは杉元に気を取られているし、こちらは完全に背後を取っている。いける――――みょうじは小太刀を振りかざした。

その時、みょうじの真横を勢いよく何かが通り過ぎ、ヒグマの足元にボトリと落ちた。蛇だ。彼女と時を同じくしてヒグマもそれに気付いたらしい。「バヒーッ」と心底驚いたような鳴き声を上げると、まるで石化したように体を硬直させた。直後、みょうじもヒグマと同じように固まってビタリと足を止める。彼女の眼前に姉畑支遁の尻が現れたのだ。

――――ヒッ、」

みょうじの喉から引きつった声が漏れる。それと姉畑がヒグマの尻に向かって腰を打ち付けたのは殆ど同時だった。

「やりやがった!!マジかよあの野郎ッ!やりやがったッ!姉畑支遁すげえッ!!」

杉元が興奮した様子で叫ぶ中、それ――――ウコチャヌプコロ――――を誰よりも至近距離で直視してしまったみょうじは、腰が抜けたようにその場にへたり込んだのだった。