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ヒグマを送る儀式から一夜明け、杉元一行はアイヌ達に別れを告げ釧路へと向かった。数日かけてようやく釧路町に辿り着くと、そこで無事に白石達とも合流することができた。はぐれた際は釧路の街で待つようにと予めアシㇼパが彼らに伝えていたのだ。
釧路町は北海道東部沿岸に位置する町である。そこにはアシㇼパの祖母の15番目の妹が住んでいるとのことで、一行は早速そのコタンへと向かった。
「おぉー!海だ!」
目の前に広がる海を前に、杉元達は童心に返ったようにはしゃぎ始めた。波打ち際まで駆けて行く皆の背中を見送って、みょうじはその微笑ましい光景に薄らと口元を緩ませた。手を繋いで一斉に飛び上がった彼らに、隣にいた尾形が「子どもか」とぼそりと零す。
「楽しいのはいい事だ」
「呑気なもんだな」
ふん、としらけた笑みを浮かべる尾形をみょうじが目の端で盗み見る。お前も行ったらどうだ、と言いかけたその時、一人の老婆が近付いてきてアシㇼパの名を呼んだ。先程紹介されたアシㇼパの大叔母である。彼女は「エチンケ!エチンケ!」と海の方を指さした。
「婆ちゃんなんだって?」
杉元の問いに、アシㇼパが「海亀の事だ」と答えた。曰く、海亀が顔を出しているのが見えたから一緒に獲りに行かないかと誘ってくれているらしい。
「海亀漁?わざわざそんなことしなくても……インカㇻマッちゃんに奢ってもらおうぜ」
「アシㇼパさん海亀食べたいの?どうしてもってわけじゃないならやめようよ」
白石と杉元は見るからに遠慮したいようだった。和人は海亀を食べる文化にあまり馴染みがないから、その抵抗感もあるのだろう。
しかしアシㇼパは姉畑支遁が釧路のカムイを穢して回った分、海で1番大切にされている
「獲りに行こうかアシㇼパさん。鶴も食べたし亀も食べりゃ縁起がいい!」
杉元はアシㇼパの意図を汲み、船に乗ることを決めたらしい。きっと彼の言葉はアシㇼパにとって心強かったに違いない。
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船の人数制限もあり、海へ出たのはアシㇼパ、杉元、白石の3人だった。みょうじは彼らを見送った後もじっと海の方を眺めていた。その背中に「なまえさん」と声が掛けられる。振り向いた先にはインカㇻマッの姿があった。
「行かなくて良かったんですか?」
「行こうにもあの船は満員だろう」
「白石さんは気が乗らないようでしたけど」
「……あの3人の邪魔はしたくない」
傍から見てもあの3人には特別な絆がある。杉元とアシㇼパほど分かりやすくはないが、白石も彼らとは確かな信頼関係で繋がっている。旭川の第七師団兵営から脱出する際、飛行船での彼らのやり取りから見てもそれは明らかだった。いや、むしろあの時に絆がより深まったと言うべきか。いずれにせよ、最終的には師団に戻る気でいるみょうじには敵わない強固な繋がりである。
「なまえさんはアシㇼパちゃんを特別視していますね」
「…………ああ、インカㇻマッは占い師だったか」
「ふふ、占わなくても見てれば分かります」
「とても優しい目をするから」と微笑むインカㇻマッに、みょうじは特に言葉を返すことなくゆるりと視線を落とした。しかし「私もアシㇼパちゃんの平穏を願っています」と続けられた言葉に、再び彼女へと視線を戻す。
「まさかそのためにフチに……」
「占いの結果は本当ですよ。アシㇼパちゃんの同行者に危険な裏切り者がいる――――だから彼女にはコタンに戻って欲しい。なまえさんもそう思ったんじゃないですか?」
みょうじはふさわしい言葉を探すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私は、アシㇼパの……やりたいようにやらせたい。――――自分の信念に従えないことが……死ぬより辛いことだってある」
「信念のためなら死んでも構わないと?」
「そりゃあ良くはないが……仕方ないだろう、その時は。……私はそういう生き方しか知らない」
鬼殺隊にいる人間は鬼の滅殺を渇望し、そしてその殆どが瞬く間に死んでいく。その生き様が、死に様が、不幸だと思ったことはない。思いたくもない。命をかけてでも成し遂げたいことがある――――その気持ちは痛いほどよく分かる。
インカㇻマッはしばし黙り込んだ後、空気を切り替えるように少しばかりわざとらしい明るい声で「なまえさんのこと占って差し上げましょうか?」とみょうじに向かって掌を差し出した。
「あら、アナタ随分と遠くから来たようですね」
「…………元は東京にいた」
「イイエ、もっと遠いところです。そこに大事なものを置いてきてしまった……違いますか?」
みょうじは問い掛けには答えず、ただじっと彼女の薄く弧を描いた両目を見つめ返した。それから差し出されていた腕を掴み、下ろさせる。それでもインカㇻマッの笑みは消えない。
「アナタの探し物がどこにあるか、占いますよ」
そう言ってこてんと首を傾げるインカㇻマッ。みょうじは掴んでいた彼女の腕を離すと海の方へと視線を移した。その視線の先には無事に海亀を捕まえたらしいアシㇼパ達の姿があった。嬉しそうな顔を携えて、こちらに向かって船を漕いでいる。みょうじは彼らの姿をまるで眩しいものを見るような目で見据えると、ようやく口を開いた。
「占わなくていい。どうせ結果は分かってる。……もう十分探したんだ」
この胸にぽっかり空いた風穴を何で埋めようか。そもそも埋められるのだろうか。みょうじはまだその答えを見つけられずにいた。