28
ラッコ鍋が起こした奇怪な出来事から一夜明け、杉元一行はアシㇼパの大叔母に別れを告げコタンを出発した。昨日みょうじが寝ている間に再会したというキロランケも一緒である。釧路を出れば網走監獄まであと少し、だというのに杉元達の間には酷く重苦しい空気が漂っていた。それもこれも昨夜繰り広げられた会話のせいである。
――――キロランケニシパが私の父を殺したのか?
――――この女、鶴見中尉と通じてるぞ
みょうじは昨夜の会話を思い返しながら、キロランケ、そしてインカㇻマッへと視線を移し最後にアシㇼパを見た。誰が敵で誰が味方なのか、何を信じればいいのか、皆が疑心暗鬼に陥っている。特にアシㇼパにとってこの状況は堪えるだろう。父親を殺した疑いのある人間と旅を続けるだなんて。
「それで……どうすんだよ。みんな疑心暗鬼のままだぜ?」
「誰かに寝首をかかれるのは勘弁だな」
白石、そして尾形の言葉でその場の空気はより鋭く重たいものになった。尾形の言う通り、もしこの中に裏切り者がいれば自分の命さえ危ないのだ。皆が警戒するのも当然のことだ。息苦しささえ感じる雰囲気の中、みょうじが沈黙を破るように口を開いた。
「裏切り者と言うなら私だってその可能性はある。師団に全て情報を流しているかもしれない」
皆の視線がみょうじに集まると、彼女は一人ひとりに目線を配りながら「鶴見中尉の命令で、皆寝ている内にあの世行きということもあるかもなぁ」と乾いた笑みを浮かべた。
白石が戸惑った様子で「ちょっと、何でわざわざそういう事言っちゃうの」と声を上げる。ただでさえ不穏な空気をこれ以上掻き乱して欲しくなかったのだ。そんな白石の気持ちを知ってか知らずか、みょうじは言葉を続ける。
「敵とか味方とか、裏切りだとか命の危険だとか……今更だということだ。仲良しこよしで始めた旅なのか?怖いなら生きてるうちにこの旅から降りることだな」
「……それは、そうだけど…………」
「それで、どうするんだ?目的の網走監獄までもうすぐだろう」
彼女の問い掛けにその場が一瞬静まり却って、しかしすぐに杉元が「行くしかねぇだろ」と力強く言い切った。
「のっぺら坊がアシㇼパさんの親父なのか違う男なのか……会えば全部はっきりする」
混沌と化していた空気が杉元によって払拭される。皆の表情が途端に引き締まったようにも見えた。ただそれも「インカㇻマッとキロランケ、旅の道中もしどちらかが殺されたら……俺は自動的に残った方を殺す!」と続けられた言葉によって再び白けてしまったが。すぐに冗談だと笑い飛ばした杉元だったが、誰の目から見ても全くそうは思えず、皆は唖然とした顔で彼を見た。
何はともあれ、こうして杉元一行は当初の予定通り網走監獄へと向かうことになった。ちなみにこのすぐ後に杉元とみょうじの間で「寝てる内にあの世行きってのは冗談だよね?」「さぁ、どうかな」という会話が交わされたのはまた別の話である。
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数日後、杉元達は塘路湖のコタンを経由したのち屈斜路湖のとある温泉旅館に来ていた。コタンで耳にした、最近この近辺に現れるという盗賊――――その親玉であり刺青囚人の1人、都丹庵士の情報を得るためである。なんでも都丹庵士率いるその盗賊達は全員が盲目だそうで、闇の深まる新月の夜を狙って襲ってくるのだという。
新月まであと2日。一行はそれまでに盗賊たちの寝床を見つけようと意気込んだ。情報を仕入れるにしても英気を養うにしても、この温泉宿はまさに誂え向きだった。
「あれ、皆は?」
「温泉に行ったぞ」
皆より一足先に入浴を済ませたみょうじが部屋に戻ると、そこにはアシㇼパとインカㇻマッ、そして按摩の男しかいなかった。どうやらその按摩は丁度帰るところらしく、杖を廊下の先へと伸ばしていた。「お先にどうぞ」「すみませんね」みょうじがそっと壁の方に避けて道を譲れば、按摩は器用に廊下を進んでいく。アシㇼパがその背中に「1人で大丈夫か」と声を掛けた。
「ありがとう。夜道はお嬢ちゃんより得意だよ」
曰く、目の見えない彼らにしか見えないものがあるのだという。それは真っ暗な中で転がった小銭を拾えるほど確かなものらしい。みょうじはぼんやりと
それから按摩は思い出したように夜の下駄の音に気を付けるよう言った。なんでもそれは件の盗賊達が発する音らしく、下駄の音によく似ているが実際は舌の音なのだと言う。舌を鳴らし、音の反響でものを見る――――まさに盲人ならではの手法である。
「舌を鳴らすってどんな風に」
アシㇼパの問いに、按摩は実際にそれをやって見せた。カンッ、と小気味よい音が廊下に響く。途端、アシㇼパの顔が分かりやすく強ばった。
「! なまえ、杉元達のところへ行くぞ」
「え、まだ温泉じゃ、」
「それどころじゃない!――――昨日、私はこれと同じ音を聞いた!」
昨日の晩、杉元の捕らえたシマフクロウが騒ぎ立て、皆で慌てて辺りを警戒したのは記憶に新しい。アシㇼパが舌の音を聞いたというのが本当なら、あの時近くにいたのは盲目の盗賊達だったということだ。
「私達は屈斜路湖に来た時からずっと……見られていた!」
そう言って勢いよく走り出したアシㇼパの背中を、みょうじは慌てて追いかけたのだった。