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白石由竹は一見ふざけた男に思えるが、その実きわめて有能な人間である(ふざけた男であることは間違いないけれど)。戦う能力はほぼ皆無な上に、行く先々で何かとドジを踏む白石がなぜこの旅に同行しているかと言えば、彼が"脱獄王"の名を関する程に脱獄の能力が抜きん出ているからに他ならない。投獄されている時点で全くもって褒められたことではないが、今ばかりはその能力に助けられているのでそこは一旦置いておくこととしよう。
「侵入経路は警備の手薄な網走川に面した堀しかねぇ」
杉元一行はついに網走監獄の近傍まで辿り着いていた。今はそこから程近いコタンに潜伏しており、辺りの山を散策すれば容易く監獄を一望することができる。初めて目にしたその施設は、ざっと見渡しただけでその警備の厳重さが伺い知れた。ただ、全国の監獄を脱獄して回ったという白石がいるだけでなんと心強いことか。もちろん、感心と同時に呆れもするが。
「トンネルの入口をアイヌの小屋で偽装する」
白石の提案した侵入計画は、網走川に面する堀から監獄内へと続くトンネルを掘るというものだった。あまりに大胆な計画であるが、アイヌの鮭漁が盛んなこの時期であれば(多少強引とは言え)小屋を立てて掘削作業とその穴を隠すことが出来るのだ。
「シライシ……やっぱすげぇや。脱帽だ」
「脱獄王……やっぱりお前を網走まで連れてきて正解だった」
杉元とアシㇼパにおだてられ得意になったのか、白石は所得顔で「ピュウ」と指鉄砲で皆を撃ち抜いて行った。どうやら格好つけているつもりらしい。皆が少しばかり鬱陶しいと感じつつも彼を褒める中、尾形だけが真顔でそれを受け止めたのだった。
兎にも角にも白石の提案した侵入計画は満場一致で採用され、さっそく監獄傍の堀にアイヌの小屋が立てられた。そうしてトンネル堀りの経験があるキロランケの指揮の下、掘削作業が着々と進められていく。みょうじも時々男たちに混じってその作業を手伝った。
キロランケと谷垣が言うには、一度看守に声を掛けられ危うく気付かれるところだったそうだが、賄賂を増やすことで事なきを得たらしい。これで余程の事がない限りは目をつけられないはず、とのことだった。――――いや、それどころか。
「……看守の宿舎に出た?」
みょうじの問い掛けに、キロランケが「あぁ、それも前に声を掛けてきた看守のな」と答える。今日ついに監獄内へとトンネルが通じたのだが、土方が指示した位置はなんと看守の宿舎内だったそうだ。門倉というその男は、父親の代から土方と繋がりがあるらしい。
「中に味方が居るのはありがたい。……最後の詰めだ。今夜にでも作戦の詳細を決める」
覚悟を決めたような声色で杉元が言う。その場の空気がぴりりと張り詰める中、みょうじは腕を組んですっと目を細め、何やら考え込んでいた。
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「はい出ましたチタタㇷ゚!!」
トンネルが完成してからというものの、コタンでは普段にも増して賑やかな時間を過ごしていた。作戦決行日が次の新月に決まったことで緊張感が高まりつつも、ここ一番の大勝負を前に皆の結束感が強まっているのだろう。
「チタタㇷ゚とは本来鮭のチタタㇷ゚を指すんだ」
「チタタㇷ゚の中のチタタㇷ゚!!」
今日捕れたばかりの鮭の調理が進む中、杉元は1人やけに興奮していた。
「チタタプ言えよ夏太郎!」
「チタタプ、チタタプ……」
これでは鍋奉行ならぬチタタプ奉行である。
当初から目的の一つであったのっぺら坊との相見まであと少し。その事実を前にソワソワと落ち着かない気持ちを誤魔化しているのだろう思うと、彼の言動も可愛らしく思えてくる。やかましいから少しばかり声量を落として欲しいとは思うけれど。
「尾形〜みんなチタタㇷ゚言ってるぞ?本当のチタタㇷ゚でチタタㇷ゚言わないならいつ言うんだ?」
尾形はどうやらいつも通りらしい。アシㇼパの呆れを含んだ言葉でそう察したみょうじが彼を一瞥する。「みんなと気持ちをひとつにしておこうと思ったんだが」アシㇼパがそう零したのち――――「チタタプ」空耳かと思うほど小さな声で、しかし確かに尾形の声でそう紡がれた。
みょうじは目を丸め尾形を凝視する。「聞いたか!?いま尾形がチタタプって!」アシㇼパが騒ぐがどうやら他の人は聞いていなかったらしい。尾形はと言えば、再び黙り込み素知らぬ顔で淡々と手を動かし続けている。
じっとその様子を眺めていると、ふっと彼の視線がみょうじの方を向いた。しかし一瞬視線が絡んだかと思うと、すぐにまた逸らされたのだった。
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夕食を終え皆が思い思いに過ごす中、みょうじは杉元の傍に近寄ると「ちょっといいか」とチセの外へ目配せした。そうして彼を連れ立って、コタンの外れまで移動する。
いつかの夜と立場が逆だ、杉元はそう思いつつ、中々歩みを止めない彼女に「あの、どこまで行くの」と少し戸惑ったように声を掛けた。そこでようやくみょうじが歩みを止めて振り返る。そうして辺りをくまなく見渡し警戒したのちに、どこか重々しい表情で話を切り出した。
「私はあの塀の向こうには行けない。万が一銃撃戦にでもなったら、私は足でまといになる。……だから、アシㇼパの事は杉元に託す」
「うん、危ないからその方がいい。アシㇼパさんのことは任せて」
「……アシㇼパの傍を離れるなよ。いいか、誰も信じるな」
「? え、っと……?」
強い眼差しに射抜かれて、杉元は思わず狼狽えた。まるで裏切り者がいる前提のような彼女の口振りに、じわじわと不安が押し寄せる。
「もしかして、何かあるの?キロランケとインカㇻマッのこと?」
「いや……今、この作戦の主導権は誰にあると思う」
「え、アシㇼパさん、じゃないの?……いや、白石か?」
「違う。よく考えてみろ、上手く誘導されてないか?直前に加わった都丹と門倉……確かに強力な助っ人ではあるけど、出来すぎだと思わないか」
「――――土方、」
杉元がはっとした顔で漏らしたその名に、みょうじが小さく頷く。
都丹も門倉も土方の息が掛かった人物であり、杉元側の人間は彼らの人となりを全く知らない。特に門倉は状況が状況なだけに頼らざるを得ないのは確かだが、馴染みの薄い人間が作戦の要に関わるなど本来であれば不安要素しかないわけで。彼を信じる根拠は、現時点で協力関係にある土方が信頼しているから――――その一点のみである。
「杞憂に終わればそれでいいんだ。ただ、警戒しておいて損は無い」
「まぁ、あのジイさんも何考えてるか分かんねぇからな」
「……それと、」
みょうじはそこで一旦言葉を止めると、逡巡するように唇を噛んだ。「まだ何かあるの?」杉元に促され、ゆっくりとその重たい口を開く。
「尾形の様子も変だ」
彼女の口から紡がれた名に、杉元は軽く首を傾げた。
「……変、か?前から怪しい奴ではあるけど」
「本人も自覚はないだろうな。それくらい微妙な変化だ」
目を閉じて考え込む杉元を横目に、みょうじはここ暫くの尾形の様子を思い返した。明確に指摘できる変化ではない。ただなんとなく違和感を感じるという程度である。その変化に思い当たる節があるとすれば、ここに来る前、写真館の前での会話――――「俺と一緒に来るか」――――意外だった彼の誘いと、それを断ったことくらいか。
なぜ尾形は突然あんなことを言い出したのか。大勝負を前に多少なりとも心境に変化があったのだろうか。不安だとか、一匹狼であることへの心細さだとか――――いや、あの男はそんなたまではないはずだ。
そしてこれまで頑なに言わなかった「チタタプ」を彼は今日初めて口にした。「みんなと気持ちをひとつに」というアシㇼパの言葉に乗せられたのか。ここに来て仲間意識が芽生えたのなら喜ばしいことかもしれない。しかしそれこそ彼らしくないように思える。
こちらに歩み寄ろうとしているのかもしれないのに流石に疑い過ぎだろうか。みょうじは気まずさに目を伏せた。しかし、ここで不用心に信用して失敗するわけにはいかないのだ。何よりアシㇼパに危険が及ぶ可能性が大いにあるのだから。
「アシㇼパの手を離すなよ。あの子を守れるのは杉元しかいない」
「――――あぁ、もちろんだ」
新月まで、あと少し。