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「とざいと〜ざい! さぁさぁお立ち会い!」

大勢の観客を前に山田が拍子木を打ち鳴らす。ついに樺太公演の開幕となったその日、会場には多くの客が押し寄せ満員御礼となった。独特の緊張感が漂う舞台袖で、鯉登がふぅと深く息を吐く。

「……よし、行くぞみょうじ!」
「はい」

最初は長吉をはじめとした山田一座の面々が会場を盛り上げ、いくらか場が温まったところですぐに鯉登とみょうじの出番がやってきた。教えられた通り両手を広げて舞台に出れば、観客が拍手で2人を迎えた。

まずは定石通り鯉登が支える役になり、みょうじが積み上がった桶の上で器用に片足立ちやら逆立ちやらをしてみせた。途中、鯉登がみょうじをむっと睨みつけきたものだから、彼女は仕方なしに投げ接吻を客席へと送った。「こんなの誰が喜ぶんだ」と内心毒づいたが、男性客がだらしなく頬を緩ませたのを鯉登は見逃さなかった。

そんな具合に2人の芸は順調な滑り出しを見せたのだが、先程長吉が見せた技に比べれば見劣りするために客の反応も控えめである。

しかし鯉登とみょうじが役割を交代すると、客席は分かりやすく盛り上がった。脅威のバランス力と華麗な柔軟性を魅せる鯉登と、男顔負けの力技を見せるみょうじ。長吉の言った通り、意外性が受けたのである。鯉登がポーズを決める度にワアッと客席が湧いて一際大きな拍手が送られた。

練習の時以上の得意顔をする鯉登にみょうじが思わず苦笑う。舞台袖では谷垣が緊張のあまり顔を強ばらせているから、2人を足して2で割ったら丁度良いかもしれない、なんてことを考えた。それと鶴見を前にした時もこれくらい堂々としていればいいのに、とも。

そうして2人の出番に一区切りついたところで一旦舞台袖に引っ込むと、袖幕を過ぎたところで鯉登が「大成功だな!」とバシバシとみょうじの背中を叩いた。「痛いです」と彼女は無表情のままそれを受け入れる。

「でもまぁ……そうですね。この調子でいきましょう」

そう薄く笑みを浮かべたみょうじに、鯉登が満面の笑みを返す。――――と、そこまでは良かったのだが。

「ちょ、ちょっと……!」

次の出番がやってきた時、鯉登が急に暴走し始めたのである。何やら紙切れを追いかけているらしい、とみょうじがそれを目で追いかけると、ちらりと人の姿が見えてその紙切れは写真であることが分かった。それが誰であるかは見えなかったが、どうせ鶴見だろうと彼女はすぐに察した。

「キエエエッ」

雄叫びを上げ、落ち着きなく周囲を見回し、舞台上で放縦を極めるその姿はまさに興奮した猿である。予定にない彼の動きに、現在進行形で芸を披露していた者たちは酷く戸惑った。何せ勝手に芸に割り込んでくるのである。そうして鯉登は例に漏れずみょうじの所にもやってきて​――――「う、ぐッ……!」――――彼女の肩に乗る男、その男の肩に乗る少年、その更に上に鯉登が着地した。突然男一人分の衝撃が乗っかって、それをもろに食らったみょうじが堪らず声を上げる。

「……あンの馬鹿……!」

すぐに別の所へ飛んで行った鯉登の後ろ姿を、みょうじがきっと睨みつける。まぁ、興奮しきった彼がそれに気付くことはなかったが。そうして一枚の写真と共に地面に降り立った鯉登。一瞬会場が静寂に包まれて――――次の瞬間、ウワァッと今日一番の歓声が轟いた。

何はともあれ、鯉登の演出(暴走)は座長の山田を感涙させる程に会場を沸かせたのである。そしてその暴走の原因はやはり鶴見の写真だった。みょうじの予想は的中したのだ。とは言え彼があれほど興奮する理由などそれしかないから、予想も何もないのだけれど。しかしその原因が不慮の事故や杉元の策略(鯉登談)ではなく、まさか月島であったとは誰が予想できただろうか。

「月島お前……危うく腰をやるところだったんだぞ……」
「すまん」

全く悪びれた様子もなく真顔で謝罪する月島に怒りが込み上げる。が、「どう考えても鯉登少尉殿が目立ってしまう」からという、月島なりに当初の目的を果たすための策であったと知ると怒るに怒れなかった。たしかに練習の時点で目的意識が薄れている傾向はあったのだ。ただまぁ、そんな月島の企みは見事に裏目に出てしまったのだけれど。

「まずい!」
「どうかしましたか?」
「仕返しに手品の刀の刀身を私の軍刀のものとすり替えた」

鯉登の言葉をきっかけに、しんと3人の間に沈黙が流れる。そしてほとんど同時に舞台の方を見た。

「ハアァ冷たいッ! 冷たい冷たいッ!」

――――杉元のハラキリ芸はもう始まっていた。

「模擬刀はどこに?」「これだ」月島がすり替えた刀を手に舞台袖へと走る。鯉登とみょうじも慌ててそれを追いかけた。そうして舞台を袖から覗き込めば、杉元が今にも自身の腕を斬ろうとしているところだった。そのすぐ後ろでドンドコ打ち鳴らされる太鼓が会場の緊張感を煽っている。

杉元は観客を焦らしに焦らし、「早く斬れッ!」という野次に応え、ついに刀を腕に押し当てそのまま刃先を滑らせた。すぐに血がどろりと溢れてきて――――杉元が困惑の表情で舞台袖に視線を移す。鯉登と月島がすり替えた刀を彼に見えるよう掲げると、その意味を察したらしい杉元が驚きで目を見開いた。

しかし彼はすぐに覚悟を決めた表情を見せると、躊躇うことなく自分の足を斬りつけたのだった。

「続ける気か」

ぼそりと呟いた鯉登の横で、みょうじは思わず息をのんだ。人が自分の手足を斬りつける姿は正直見慣れている。それが不死川の戦い方だったから。しかし問題はこれが"ハラキリ"芸であることだ。彼はこのまま自分の腹まで斬るつもりなのだろうか。皮と筋肉のすぐ向こうにはハラワタがあるというのに。

そしてついに刀の切っ先が彼の腹に宛てがわれた時――――

「なんだ? あのロシア人」

杉元の目の前に1人の男が現れて、静かに銃を構えた。そこから事態は急展開を迎える。杉元が自身の腹に向けていた真剣でそのロシア人の手を切り落としたのである。直後、刀は再び振り上げられて今度は首元を切り込んだ。どさり、男は糸が切れたようにその場に崩れ落ちる。すると間髪入れずに新たな刺客が現れて、杉元に向かって銃を乱射した――――が、それはひとつも命中することなく、その男もまたあっという間に杉元によって倒された。

しかし、どうやら刺客はそれだけではないらしい。みょうじは裏口の方にも誰かが身を潜めていることに気付いた。その手にも銃が握られている。

「それ貸せ」
「おいっ、みょうじ!」

みょうじは鯉登の手から模擬刀を抜きとると、音もなくそのロシア人の方へと向かった。その背後を取り、おもむろに刀を構え「そこで何をしている」勢いよく男が振り返ったと同時に、男の持つ銃を真っ二つに叩き斬る。模擬刀と言えど斬れないのは仕掛けのある刃先の方だけで、手元に近い部分は本物の刀と同じ作りになっている、というのは先日杉元から教えて貰った話だ。

「なッ、……!」

ロシア人は持ち手だけになった銃とみょうじを交互に見やって、再び構えられた刀に身体を硬直させた。刀は真っ直ぐ男の肩に向かって振り下ろされて――――その切っ先は男の身体を通り抜けることなく、ただそこにのめり込んだ。「ぐあッ」男の口から呻き声が上がる。

「……模擬刀で良かったな」

地面に沈んだ男を見下ろしてみょうじが小さく言葉を落とす。そこへ遅れてやってきた月島が男を思い切りぶん殴った。ボゴォッと激しい音がして、男はそのまま意識を手放したのだった。