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突然の襲撃に舞台は騒然となったが、どうやら観客達は一連の流れを全て演出だと思っているようだった。ならば勘違いしたままでいてもらおうと、山田は咄嗟に最後の挨拶と遺体の撤収を指示した。慌てて演者たちが舞台袖から飛び出し輪になって挨拶すると、観客たちから公演は大成功だったと言わんばかりの拍手が送られた。
そうしてまるで何事もなかったかのように無事に公演が終了し客が全員帰ったところで、杉元達は先程月島が伸した男を囲み尋問した。一体何の目的で杉元を狙ったのか、と。男は最初こそ頑なに口を閉ざしたものの、やがて自分の置かれた状況に諦めるしかないと悟ったらしい。つらつらと自供を始めたその男に月島がいくらか質問を重ね、情報を整理したところでようやくその内容が共有された。
「本当は山田座長を狙うつもりだったようだ」
曰く、暗殺の依頼者から「ハラキリ芸を演じるのが山田座長」としか聞かされていなかったのだという。つまり期せずして杉元が影武者の役割を果たしたというわけだ。山田にとっては実に幸運な話だが、このロシア人からすれば何と災難なことだろう。せめて相手が杉元でなければ仲間たちも殺されずに済んだだろうに。
また、その依頼者というのはロシア政府の関係者だそうだ。なんと山田は元陸軍将校でありスパイだったのである。
「ロシア政府は私の正体に勘づいたのでしょう」
「……ッたく、三流スパイだよあんたは」
そう溜息混じりに零したフミエが、火をつけたばかりの煙草を咥えて立ち上がる。それから慣れた様子で男の頭を撃ち抜いて「3つともテントの下に埋めときな」と紫煙を吐き出した。
「明日の朝には私達も立ち去って、ここは元の空き地さね」
脳天から血を噴き出しながらどさりと倒れ込んだその男を、みょうじは無表情のままじっと見下ろした。もう、人が人を殺す光景にもすっかり慣れてしまった。いちいち動揺していたらきりがないのだ。
額から溢れる男の血が、地面を伝いみょうじの足元まで辿り着く。彼女はそれを避けるように一歩二歩と後ずさり、そのまま踵を返しその場を後にした。
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結論から言えば、樺太公演に出演した成果はあまり得られそうになかった。というのも、杉元の狙いであった「豊原に杉元の名を轟かす」の結果が新聞記事の僅か2行、それも「不痔身の杉元」と酷い誤植がされていたのである。
「見事に鯉登少尉殿のことばかりですね」
「ふふふ、私の勝ちだな杉元!」
「ぐぬぬ……」
いつから勝負になっていたんだ、というか貴方が目立っても意味は無いのに、と思いつつもみょうじは言葉を飲み込んだ。今更苦言を呈したところで結果が変わるわけでもない。
「みょうじの事も載ってるぞ」
「……はぁ、そうですか」
月島の言葉にみょうじは特に興味を示すこともなく、ただ「ちきしょーッ」と地面を転がる杉元を迷惑そうに見下ろしていた。それでも月島は彼女に聞こえるように記事を読み上げる。
「『麗しき乙女が見せる脅威の怪力』……だそうだ」
「……『麗しき乙女』」
みょうじは不愉快さを表し尽くしたような顔をして、げえっと舌を出した。昨日の観客が今の彼女を見たら衝撃を受けるに違いない。記事の言葉を借りるなら、あの「麗しき乙女」の中身が実はそれと正反対の性格をしているのだから。まぁ、月島達にとってはこちらの彼女の方が見慣れているから、昨日の女性らしい姿こそ違和感しかないのだが。
あれはあれで珍しいものが見れて良かったが、やはりこちらの方がしっくりくるな。と、月島はじっとみょうじの横顔を見つめた。
「……なんだジロジロと」
「あ、いや…………昨日、お前が銃を真っ二つに斬っていたことを思い出してな。一体どんな仕掛けだ」
「仕掛け……? ただ斬っただけだ」
そう平然と言ってのけたみょうじに、月島は思わず呆気に取られた。鉄の塊を「ただ斬っただけ」? 自分で「剣の才がない」と言い「愚図と見限られた」と言っていた彼女だが、実はとんでもない剣の達人なのではないのだろうか。そんな疑問が月島の頭を過ぎる。同時に、一度彼女の実力を計る必要があるな、とも。まぁ、この旅でそんな機会はいくらでもあるだろう。
そう自己完結した月島が今度は山田の方へと視線を移せば、彼は鯉登を曲芸団に引き入れようと必死になっていた。すぐに鯉登本人によって「鶴見中尉殿に叱られてしまう……ッ!」と(何故か決め顔で)一蹴されていたけれど。鯉登にきっぱりと断られた山田がしおしおと地面に崩れ落ちる。月島はそんな彼を見下ろして、淡々と声を掛けた。
「我々はある男たちを追っています。ひとりはアムール川流域の少数民族で構成されるパルチザンの男だ」
何年にも渡ってロシアで諜報活動をしている山田なら何かしら知っているかもしれない。そう思い掻い摘んでキロランケの事を話せば、予想は的中、有力な情報を手に入れることができた。
「ロシア領の港町に樺太で最大と言われる『アレクサンドロフスカヤ監獄』があるのですが……帝政ロシアに対する解放運動で捕まった極東の少数民族たちが、数年前に大勢懲役囚として移送されたと聞いたことがあります」
「……キロランケの目的地はそこで間違いなさそうだな」
彼らがそんな会話を交わす傍ら、みょうじはと言えば鶴見から告げられたキロランケの話を思い返していた。――――今から20年以上前、当時10代半ばであったキロランケはロシアの皇帝アレクサンドル2世を暗殺し、今も尚ロシアで指名手配されているのだという。俄には信じ難い話だが、情報将校である鶴見が言うのだから確かなのだろう。
きっとキロランケはそのかつての仲間とアシㇼパを引き合わせるつもりでいるのだ。「人民の意志」党、ロシア帝国の反体制組織だそうだが、キロランケは初めからその組織の思想を胸にアシㇼパに接触してきたというわけだ。そしてその思想のためにアシㇼパの父親が殺されて、インカㇻマッも死の淵を彷徨う羽目になり――――アシㇼパも攫われてしまった。
何が正しく何が間違っているのか、みょうじに政治的なことは分からない。それぞれの正義がぶつかり合った結果なのだろうが、それはアシㇼパという幼い少女を巻き込んでまで、また短い間とはいえ一緒に旅をした仲間を裏切ってまで果たさなければならないことなのか。まぁ、そう問うたところで彼らは「然り」と答えるのだろう。生半可な覚悟でやっているわけでもあるまい。
ただ、相手が正義を主張するならこちらまもまた同じようにさせてもらうだけである。そこに政治的思想などないけれど。
そこまで考えて、「あぁ、……なるほど」とみょうじは内心で独りごちた。こうやって人と人は争うのか、とようやく身をもって実感したのである。お互い譲れないものがあるから力で捩じ伏せるしかない。自分がアシㇼパの幸せを願い、彼女の奪還を目指す以上は彼らと争うしか道はない。――――いい加減覚悟を決めなければと、みょうじは未だ汚したことのない自身の手を見下ろした。
それにしても、一度この手で救った命と争う立場にあるとは何と皮肉なことだろう。しかしあの日のことを後悔するつもりはない。たらればを語っても仕方ないのである。
とは言え「自分の救った男が大事な人の父親を殺し相棒まで殺しかけた」だなんて。気を抜いた途端、悔悟の波に攫われそうになる。もしかして自分がこの任務に志願したのは、無意識下で贖罪のつもりでいたのだろうか。
そこまで考えて、みょうじは余計なことを考えるなと思考を振り払った。ただやるべきことをやる、それだけだ。そこでようやくみょうじはとりとめのない思考の渦から抜け出して、再び彼らの会話に耳を傾けた。
「樺太公演は失敗だったがヤマダ座長から重要な情報を得ることができたな……」
そう零した月島に「失敗じゃねぇよ」と杉元が言う。
「たったの二行だし誤字だけど、アシㇼパさんは賢いから読めば気付くはずだ。ひょっとしたら見つけてるかもしれない」
杉元の顔には分かりやすく希望の色が帯びている。しかし、キロランケや尾形が彼女に新聞を見る機会を与えるだろうか。そこは疑問に思うところではある。いや或いは白石なら。情報収集には長けているから、彼ならこっそり新聞を読むこともあるだろう。――――ただ、それも彼らがこの新聞が手に入る場所にいればの話だが。何せ既に国境を超えている可能性だってあるのだから。まぁつまり、向こうの動向が分からない以上は追いかける他ないわけで、結局やるべきことはこれまでと変わらないのである。
そうして一行は早速件の監獄へと向かうことになった。大雪山で経験した悪天候に負けずとも劣らない猛吹雪に襲われたのは、その道中のことだった。