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つい先程まで殺し合いをしていたはずの2人は、何故か一緒になって絵描きに興じていた。一行を襲った狙撃手が日本語の通じないロシア人だったために、絵を用いて意思疎通を図ったのである。

彼の描いた(異様に巧みな)似顔絵とそれを使った身振り手振りから察するに、どうやら男は以前尾形に撃たれたことがあるらしい。恨みの強さ故か、彼の描いた尾形の似顔絵は何枚もあった。

「あ〜、白石とアシㇼパさんがいたから」

似顔絵は尾形の他に白石とアシㇼパ、キロランケのものもあった。4人が一緒に行動していたことを知っているのだろう。白石を撃ったのも尾形をおびき寄せるためだった思えば合点が行く。つまり、一行を襲った理由はこの男の単なる勘違いだったというわけだ。

「白石もとんだとばっちりだな」
「でも撃たれたのがアシㇼパさんじゃなくて良かった」
「まァ……ウン、そうだな」

可哀想ではあるが、こればかりはみょうじも頷く他なかった。なにかと不運に見舞われがちな白石に同情はするけれど。とりあえずはこの男の勘違いを訂正しなければと、杉元は「この2人は関係ない」と白石とアシㇼパの似顔絵を尾形の似顔絵から離した。

「悪いのはこいつだッ」

杉元が声を荒らげて尾形の似顔絵を打ち叩けば、男もそれに倣うように似顔絵をドンッと叩いた。どうやらこちらの言わんとすることはそれなりに伝わっているらしい。

「俺も尾形に撃たれたんだ。分かるか? バァン!」
「?」
「たぶん分かってないぞ」
「待て、描いてやる」

そう言うと杉元は鉛筆を手に取り「網走監獄で尾形は俺の頭を撃ち、そんでアシㇼパさんを連れて行った」と説明を交えながらカリカリと何かを描きだしていく。その説明もきっと伝わってないけどな、と思いつつもみょうじは口を挟むことなく絵が完成するのをじっと待った。男が真剣な眼差しで杉元の言葉に耳を傾けていたからだ。

「尾形はキロランケと組んで俺とのっぺらぼうを撃った」

ようやく描き終えた絵と、尾形とキロランケの似顔絵を手に杉元が言う。しかし彼の描いた絵はお世辞にも上手いと言えるものではなかった。

「それは……なんだ? 妖怪か?」
「どう見ても俺だろ!」
「どう見ても……?」

その絵はみょうじだけでなく目の前のロシア人にも伝わらなかったらしい。「違う! 蜘蛛じゃない」男が確認のために描いた絵を見て杉元が言う。しかし彼は懲りずに新しい絵を描き始めた。今度は絵の隣に「オガタニゲタ」と書かれていたから、お陰で何が描かれているかは理解できた。が、日本語が分からないこのロシア人には些か難題すぎるだろう。なにせ尾形と思われる人物と、その人物が乗っている馬の身体が一体化しているのだ。これぞまさしく妖怪である。

「アシㇼパさんの毒矢が尾形の目を射ったんだ。俺は目を抉って助けた」

杉元の描いた実に奇天烈な絵でいくらか和んでいた空気が、途端重苦しいものへと変わる。流氷源での出来事を振り返る彼の言葉によって、自然とみょうじの頭にもあの時の光景が浮かび上がった。尾形の目を抉り抜き、毒を吸い出す杉元―――それを呆然と見守るアシㇼパ。「あの子を尾形の死で汚したくないから」そう落とされた言葉に、やはり杉元も同じ考えだったのかとみょうじは思った。

「アシリパさんを見てると、俺のなかにも子供の頃に確かにあったようなきれいな部分がまだ残っているんじゃないかって思えて……救われる」

それは誰に言うでもなく自分自身に語りかけているようで、同時にみょうじの思いを代弁するようでもあった。

自分達が失ったもの、或いは自らの手で捨ててしまったものを、あの子はもっている。それが何かと問われれば、明確に言葉にすることはできないけれど。真っ直ぐに信じるこころ、純新無垢なひたむきさ、そしてある種の万能感―――言葉にした途端、陳腐なものに成り下がってしまう。もっと感覚的な、羨望と懐かしさを同時に抱くような何かを彼女には感じるのだ。それをまざまざと映し出すあの青く綺麗な瞳に見つめられると、少しむず痒くて、そして心地いい。

「私も同じだよ、杉元」

そう零した言葉に返事はなかったものの、何故だか杉元には受け入れてもらえたような気がした。彼には一度、アシㇼパへの想いを吐露したことがあったから。「"私達"もかつては彼女と同じだった」―――そう思うだけでどれだけ救われることか。

ただ、その会話をアシㇼパが盗み聞いていたことも、それによって彼女が複雑な想いを抱いていたことも、この2人は知る由もなかった。



すっかりロシア人と団欒していた杉元達であったが、狙撃が止んだことに気付いたらしい月島達が合流したことでそれも漸く打ち切りとなった。「杉元なにやってんだ!?」谷垣が思わずそう突っ込んでしまう程、3人の纏う空気は随分とほのぼのしていた。まさか狙撃してきた男と仲良く談笑しているだなんて、誰が想像できただろうか。谷垣の戸惑いも仕方の無いものである。

「尾形を追っているらしくて、ここにはいないと説明していたんだ。……杉元の絵で」
「なんだこれは……腹踊りか?」

みょうじの手渡した絵を見て鯉登が言う。杉元は「俺だよッ」とがなりながら彼の手からそれを奪い取った。

「そんなに言うならなまえさんが描いてよ」

ホラ、と杉元が紙と鉛筆を差し出す。が、みょうじはあさっての方向を見て「月島がいるのにその必要もないだろう」とそれを拒否した。

「さてはなまえさん絵が苦手だね?」
「決めつけはよくないぞ、杉元」

そんな応酬を始めた2人に月島が呆れた視線を向けて、しかしすぐ思い直したように狙撃手の方へと向き直った。そうして床に並べられた似顔絵の中から尾形とキロランケのものを拾い上げる。

「この男は国境でキロランケニㇱパを待ち伏せていたロシア兵のひとりだと思う」

アシㇼパの言葉に、月島は似顔絵を手に尾形とキロランケの現状について教えてやった。きっと鶴見が流したであろう"皇帝殺しの実行犯"の情報を受けて派遣された兵士に違いないと、「皇帝殺しには無関係だ」とはっきり口にする。が、男はじっと月島を見つめるばかりで返事をすることもなかった。信用していないのか、と思ったのもつかの間、男が目から下を覆う布を捲ったことでその理由は分かった。口を撃ち抜かれたせいで喋れないらしい。おそらく尾形にやられたのだろう。

「なまえちゃ〜ん! 痛かったよぉ」

建物から出てすぐに、みょうじは白石の足を手当てしてやった。足を撃ち抜かれたというのに誰も助けてくれなかった、と白石はまるで親に言いつける子どものように愚痴を零した。彼が地面に倒れている場面を目撃しているみょうじは「だろうな」と思ったが、これ以上泣かれるのも面倒なので「災難だったな」と労ってやるに留めた。あの状況で白石を助けに行けば新たな犠牲者が出るのは目に見えている。自分があの場にいても同じようにしただろう―――なんてことはもちろん彼に言うつもりはない。

「でもまぁ、弾が貫通していて良かったじゃないか。傷を抉らずに済む」
「ヒェッ……怖いこといわないでぇ?」

傷を抉る、を想像したのか白石はサッと顔を青くした。

「太い血管も逸れてるし、これくらいなら直ぐに塞がる。場所が良かったな」
「…………あぁウン、そうネ……」

撃たれただけでもとんだ大惨事だというのに、この旅で負傷に慣れきっているせいか誰も大して自分を心配してくれない、と白石は一人落ち込んだ。きっと主に杉元のせいだ、とこの怪我に無関係であるはずの(むしろ危機から救ってくれた)男にじとりとした視線を送る。あの男がいくら致命傷を負ってもピンピンしているせいで皆の"大怪我"の線引きがおかしくなっているのだ。まぁ、それは自分だって同じだけれど、やはり負傷者の立場になると話は別である。とどのつまり、もっと心配しろよという話だ。

「ほら、ヘンケが松葉杖を作ってくれたぞ」
「ふぇん、2人とも優しい……」

とは言え負傷した時には(例えそれが望むほどではなかったとしても)人の優しさが染みるものである。白石はずぴっと鼻を鳴らした。が、そんな感傷に浸る隙さえ与えてくれないのがこの面子だ。

「すっかり足止めを食らってしまったが……急ごう、日が落ちる前に距離を稼ぐぞ」
「はぁ……もういいよ」

白石は諦めた顔で空を仰いだ。そしてそれを気に留めるもことなく皆がせっせと荷を積み込んでいく。

「はやくロシアに帰れバカアホ」

ふつふつと湧き出た白石の怒りは、そもそもの元凶へとぶつけられたのだった。