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突っ込みどころ満載ではありつつもなんとか活動写真を撮り終えた杉元一行は、その数日後に(鯉登が金にものを言わせて借りた)芝居小屋でそれを見ることになった。

つい先日目にした情景が壁に映し出されるその様子は、この時代にはあまり馴染みのないもので、皆は物珍しそうにそれを眺めた。じっとそれに没頭していると、自分の頭に刻まれた記憶が目の前の壁に映し出されているのでは、なんて錯覚すら覚える。ただ、第三者の視点で映し出されるその光景は当然ながら自分の記憶とは少し異なる。なにせ動く自分が映っているのだから。他人から自分はこう見えているのか、と思うとなんとも妙な気分になってくる。

活動写真の出来はまぁ、悪くはないんじゃないか、とみょうじは思った。ただ脚本を知る自分達はまだしも、なんの説明もなしにこれを見せられたらきっと1割も理解できないだろうが。

そうやって皆が思い思いの感想を抱きながら活動写真に釘付けになっている最中、白石がぽつりと言葉を落とした。

「あれ? これもこないだ撮ったやつ?」

彼の疑問も当然のもので、一行の前には以前撮影したものとは異なる写真が流れ始めた。何か手違いでもあったのだろうか、と皆が内心同じ予想を立てたのも束の間、稲葉曰く「ジュレールがお嬢さんを撮影していて気になることがあったのでこの活動写真を見て欲しいそうだ」とのこと。

「これ、私の村だ!」

そこに映し出された北海道アイヌのコタンを見て、アシㇼパが驚いたように声を上げる。次いで映し出されたのは―――

「アチャ!?」

アシㇼパと同じ深い青の瞳を持つ男性と、その隣に並び立つアイヌの女性。コロコロと変わるその女性の表情は、どれもアシㇼパによく似ていた。

「ジュレールはこの女性があなたにそっくりだって」

稲葉の言葉に、皆は呆然とその活動写真に見入った。そこに映し出された二人の男女に、確かなアシㇼパの面影を感じながら。「明るくて、晴れの日みたいな人だったって、アチャが」アシㇼパはまるで独り言のようにしみじみとそう言った。

どこか懐かしむようなその声色に、みょうじがそっと彼女へと視線を移す。その横顔は少し困惑しているようで、そしていつもより幾らか幼く見えた。凛とした強さと美しさを兼ね備えた彼女の、時々見せる子どもらしいやわらかな心。今、彼女は年相応の幼い少女として母を見上げていた。

「素敵な感じの人だなぁ」

白石の素直な感想に、みょうじは視線をアシㇼパの横顔に縫いつけたまま「そうだな」と返した。きっとアシㇼパはあの優しげな顔をした両親から、目いっぱいの愛情を注がれてきたのだろう。彼女の強さも美しさも、きっとそこで育まれたきたのだ。

胸がじんわりと温まるのを感じながら、みょうじは再び活動写真へと視線を戻した。丁度若かりし頃のキロランケがこちらを振り返ったところで、まるで目が合ったように錯覚してどきりと心臓が嫌な音を立てる。と、その時。

―――バチバチッ パァァン

シネマトグラフが突然音を立てて燃え始めた。「皆逃げろ!」「ジュレール! 他の写真には燃え移すな!」その場は一気に騒然となって、避難しようと皆は慌てて出口へと向かった。視界を遮り始めた薄墨色の煙、鼻を掠める何かが焼け焦げる匂い。それらはみょうじに網走監獄での記憶を呼び起こした。

立ち込める硝煙をピカリと照らす強烈な閃光、あちらこちらから聞こえてくる鬨の声と銃声、肩を濡らす温かな鮮血、背中越しに感じるのは人が体温を失っていくその過程。活動写真の中で穏やかに笑っていた男の最期は、実にむごたらしいものだった。その命の灯火が消えていく感覚は、みょうじの背中に未だしつこくこびり付いている。

皮を削ぎ落とされゾッとするような面貌をしたあの男にも、平穏な過去があったのだ。そしてごくごく普通の優しい父親の顔も持っていた。

みょうじは出口へ向かいながら背中越しに活動写真の方を振り返った。そこには赤ん坊―――おそらくはアシㇼパ―――を抱いて微笑む女性が映っている。が、写真が燃えているのだろう、あっという間に白い光に侵食されていく。

その様子はまるで幸せが時として理不尽に呆気なく奪われていくことを表しているかのようだった。



「大丈夫か、アシㇼパ」

建物から避難した後、何やら杉元と2人で話をしていたらしいアシㇼパは分かりやすくその表情を曇らせていた。みょうじは彼女の傍に寄ると気遣わしげに声を掛けた。

「……私は、この金塊争奪戦から降りた方が良いんだろうか」
「杉元がそう言ったのか?」

こくり、アシㇼパが暗い顔のまま頷く。

「私はアイヌを守りたい。守るには戦うしかない。でも、私に人を殺す覚悟が……地獄に落ちる覚悟があるのか、自分でも分からない。……今ならまだ間に合うって、杉元が」

ぐっと拳を握り締め、地面を睨みつけて紡がれたその声は僅かに揺らいでいた。今まさに迷いの最中にいるのだから仕方のないことだろう。それも今彼女が立たされている岐路にはアイヌの未来や大勢の人の命が関わっているのだ。齢十余りの少女が抱えるにはあまりにも重い選択肢だろう。

みょうじはじっとアシㇼパを見下ろしたのち、ぼそりと言葉を落とした。

「じゃあ私を殺せるか試してみるか?」

それは酷く無機質で、温度のない声色だった。少しの沈黙が流れたあと「え、?」と困惑したアシㇼパの声が響く。戸惑いを孕んだ彼女の目が月光に照らされて淡く揺らぎ、そこに感情を失った能面のようなみょうじの顔を映した。

「まさか忘れたわけじゃないよな、私は鶴見側の人間だよ」

途端、二人の間に不穏な空気が漂い始める。みょうじの光のない真っ黒な瞳に射抜かれ、アシㇼパは動揺してすぐに言葉を返すことができなかった。「……いや、でも、なまえは、」そう言ったきり口篭るアシㇼパに、みょうじはやはり冷めた視線を向けるだけだった。

「殺さなければ殺されるまで。尾形は杉元を殺す気で撃ったし、キロランケはインカㇻマッを刺した。アシㇼパはそういう旅をしているんだよ。私を信用する方が間違ってる」
「……なまえを殺す道理がない」
「言ったろ、殺さなければ殺される」

みょうじは腰に差していた小太刀を素早くアシㇼパの喉元に宛がった。きらりと月明かりを反射した刃の先で、アシㇼパの喉がごくりと音を立てうねるように上下する。

「……なまえ、」

アシㇼパは咄嗟に杉元の姿を探した。が、遠くで月島達と何やら話している背中が見えるだけでこちらに気付く気配もない。例えこちらを向いたところで、あの位置からではみょうじが刀を抜いていることも死角になって見えやしないだろう。

なんで、まさか。ずっと鶴見の味方だったのか? 最初から? それにしても何故、今? 混乱の最中、頭に浮かぶのは尾形の姿だった。右目に深く突き刺さる矢、地面に沈んでいくその姿​。そこには不気味な笑みが浮かんでいて―――そう、あの男もまた「自分を殺せ」と迫ったのだ。その時の彼と、今目の前にいるみょうじの顔が重なって見えて、アシㇼパは金縛りにあったかのように身動きが取れなくなった。

と、その時、みょうじの奥で杉元がこちらを振り返ったのが見えた。咄嗟に彼の名前を呼ぼうとして、ヒュッと息を吸い込む。しかしそれとほとんど同時に、みょうじはアシㇼパの首元から小太刀を離した。

「……なまえ、?」
「…………私も杉元に賛成だ。アシㇼパに殺しは向いてない」

そう言って小太刀を鞘に仕舞うのを、アシㇼパは呆然と見ていることしかできなかった。

「アシㇼパは私みたいにはなるな」
「……どういう意味だ」
「殺す覚悟、死ぬ覚悟……大層な心構えだ。だけど死に損なったら悲惨だぞ。自分がどれだけ腰抜けで役立たずな人間か、その事実をまざまざと知ることになる」

そう言ったみょうじの顔はやはり感情の読めないもので、しかし先程よりもいくらか生気を帯びたものだった。アシㇼパはそれを感じ取ったのと同時に、自身の手のひらがじっとりと汗ばんでいることに気付いた。それを外套で拭いながら「私を試したのか」と責めるような目でみょうじを見た。

「……まァ、そうだな。でもただのはったりって訳でもない。言ったろ、私は鶴見側の人間だ。―――ありえない話じゃない」

アシㇼパの顔が再び緊張で強ばる。みょうじは表情を緩めそれを憂いを帯びた目で見つめたのち、自身の雑嚢を漁って「手を出して」と優しく言った。促されるままに、しかしおそるおそるといった様子でアシㇼパは手のひらを差し出した。

「鶴見と合流した後、私はどうなるか分からない。……多分、また小樽の兵舎で雑用かな。アシㇼパともここでお別れかもしれない」

「だから、これをやる」そう言ってアシㇼパの手に何かを握らせる。みょうじの手がアシㇼパの手から離れると、そこから見覚えのある小さな袋が顔を出す。

「これ……大事なものじゃないのか?」

それは2人が出会ってすぐの頃「私のお守りだ」そう言ってみょうじが見せた藤の花の香袋だった。故郷の香りだと言っていたそれ​。帰る場所はもうないと零していた、彼女の故郷の。

「だからあげるんだよ」

アシㇼパはそれを優しく包み込むと、自身の鼻に近付けた。以前は微かにあったはずの香りももうすっかり消えている。なんだかそれが無性に悲しくて、アシㇼパはぎゅっと目を瞑った。

「なまえは死に損ないなんかじゃない。意味があって今日まで生き延びたんだ」
「…………」
「この世での役目がまだあるんだ」

みょうじは口を噤んだまま、それに返事はしなかった。その代わり、アシㇼパの視線に合わせるように身をかがめると、彼女の額にこつんと自分のそれを重ねた。「……アシㇼパは眩しいな」噛み締めるようにみょうじは言った。

「その輝きが失われることが、私はなにより恐ろしい」