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ついに鶴見との合流の日がやってきた。約束の時間が迫るにつれて杉元とアシㇼパは不穏な気配をその顔に色濃く映し、鯉登は落ち着かない様子で辺りをうろうろと歩き回った。鯉登のそれが「ようやく鶴見中尉殿に会える」喜びからくるものでないことは、昨日の会話から容易く推測できた。月島は落ち着きのない鯉登を一瞥しただけで特段何かを言うことはなく、それはみょうじも同じであった。

そんな具合に一行の間には朝から張り詰めた空気が漂っていた。―――否、昨夜呑みすぎたせいで酷い二日酔いらしい白石に限ってはそれどころではないようだったが。

「来た!」

一行が泊まっていた旅館からも見える港、そこに着船した船から降りてきたひとつの集団。それを遠くに認めて、鯉登が些か強ばった声を上げる。そのすぐ後ろで、谷垣が「北海道に戻ったら小樽のフチに会いにいけるよう頼むといい」とアシㇼパに言った。

「それを許さないほど鶴見中尉は話の通じない人間ではない」

気遣うように掛けられた言葉であったが、アシㇼパがそれに返事をすることはなかった。代わりに「大丈夫だよ、アシㇼパさん」と杉元の声が落とされる。みょうじがちらりと彼女の顔を覗き見れば、その瞳は見定めるように真っ直ぐ集団の方を向いていた。その様子にみょうじは少しだけ安堵した。どうやらアシㇼパは十分に鶴見を警戒しているらしい。

あの男に関してはいくら警戒してもし過ぎることはない、というのがみょうじの見解である。彼は(あくまで基本的には)表情も語り口も穏やかな男であるが、その腹の底で何を考えているのかひとつも悟らせやしないのだから。それは鶴見の右腕である月島からしても同じらしい。「本当の目的は分かりません」とは、昨日本人の口から語られたことだ。

「そちらのお嬢さんがアシㇼパだな?」

いよいよ一行の目の前にまでやって来た鶴見は先遣隊への労いもそこそこに、彼が命じたこの樺太旅の目的―――アシㇼパを見据えてそう言った。が、すぐにその視線は逸らされる。ずっと欲しがっていたはずの"金塊への大きな手掛かり"を前に、文字通り目を逸らす鶴見にみょうじは微かな違和感を覚えた。

人心掌握に長け、所作ひとつ言葉ひとつで相手を魅了する彼にしては実に不自然な仕草だったのだ。いつもであれば真っ直ぐ相手に向けられるはずのその眼差しは、故意的か無意識かは別にして、確かに彼の技術のひとつであったはずだ。

後から振り返ってみれば、この時から既に鶴見はどこかおかしかったのだ。

「よし……!アシㇼパを駆逐艦へ!」

「白石と杉元は明朝の連絡船に乗り稚内で待機していろ」と続けられた言葉に、指示された3人は驚きで目を丸くする。咄嗟にアシㇼパが抗議するものの、軽くあしらわれてしまった。曰く、定員の関係で全員一緒の船には乗れないこと、また今はアシㇼパの保護が最優先である、というのが鶴見の言い分らしい。

もちろんアシㇼパ達がそれに納得するはずもない。杉元とアシㇼパの分断が目的であることは明らかだった。そして2人が引き離されたが最後、おそらく再び合流できる可能性はゼロに等しい。この状況で「杉元とはいつでも会える」なんて鶴見の言葉を鵜呑みにする者はまずいないだろう。

「その口からはっきりと聞きたい! 鶴見中尉の考える未来にアイヌは存在しているのか!?」

鶴見が信用に値する人間か―――否、せめてその目指すところが僅かでも共通しているのか。それを問いただすようにアシㇼパが厳しい口調で鶴見に迫る。

「もちろんだ。みんなが幸福になる未来を目指す。それは我々の意思と行動にかかっている。アシㇼパにもぜひ協力してもらいたい!」

力強くそう返した鶴見であったが、「みんなが幸福に」とはなんともまぁ抽象的な話である。またこの言葉を吐いたのが別の人間であればいざしらず、網走監獄にてあの惨状を引き起こした男の台詞だというのだから笑止千万。そんな誰かの率直な感想を表すかのように、白石が「ゔぉえッ」と汚く嘔吐いた。

「アイヌのために使われないのなら協力しない。そもそも金塊はアイヌのものだ」

はっきりとそう言い切ったアシㇼパに、さぁ鶴見は一体どう返すのか。その話術には目を見張るものがあるから、そういう意味でも彼の返答は興味深い。そこにいる誰しもが緊張とある種の期待を抱いて彼の言葉を待ち―――そして見事に裏切られた。

「そもそも和人を殺すための軍資金だろうが」

それは実に鶴見らしからぬ返答だった。まざまざと胸の内をさらけ出し、言わば自分はアイヌの敵であると暴露したようなものだ。彼の立場からすれば、その場しのぎであろうと今はアシㇼパを味方につけておく方が好都合であるにも関わらず。部下たちは鶴見の言葉に違和感を禁じ得ず、彼らの間にまるで小さな歯車がひとつ微妙なところでずれてしまったような不調和が生じた。

「すべてのアイヌが戦いを望んでいるわけではない! 使い道はいま生きてるアイヌが選べる!」
「お前が遺志を受け継ぐさ。あの父親に……目がそっくりだものな」

鶴見はそう言って不気味に笑いだし、まるで抑えきれない衝動を物語るかのように額当ての隙間からどばどばと脳漿を溢れさせた。その異様な光景に酷く動揺したのは、アシㇼパ達よりもむしろ鶴見の部下達の方だった。

それに狼狽したのはみょうじとて同じである。彼はいつだって完璧な"鶴見中尉"を演じてきたのに、今この瞬間、その仮面が剥がれ落ちている。そこから垣間見える彼の素顔は、猛毒にも似た憎悪にまみれ―――かつてみょうじが目にしてきた鬼のそれにそっくりだった。

「ふふ……ふふふふふ……」

戸惑いと、畏怖。それらが混じり合った酷く重苦しい空気が立ち込める中、ひとり狂ったように笑う男。当然皆の視線は鶴見に釘付けとなり―――おかげでアシㇼパが弓矢を構えたことに誰も気付かなかった。ただ一人、彼女の相棒を除いて。

「杉元……私のことは私が決める」

ぼそりと呟かれた言葉ではっと我に返った月島が「アシㇼパ何をしている!!」と咄嗟に声を上げる。が、一足遅かった。彼の制止も虚しく、いくつもの矢が空に勢いよく放たれる。

「毒矢だ!! 掠っただけでも即死だぞ!!」

走り抜ける緊迫感、即座に鶴見の盾となる数名の部下、皆が一斉に上空の矢を警戒し―――その隙に杉元とアシㇼパが脱兎のごとく走り出す。みょうじは弾かれたように2人に続こうとして、ほとんど無意識に足を一歩踏み出した。が、しかし。

「っ、!」

ぐんっと腕を引っ張られ、彼らを追いかけることは叶わなかった。咄嗟に後ろを振り返れば、光のない、しかし確かな怒りに満ちた双眸に射抜かれる。

「……つきしま」

みょうじは呆然とその眼差しに囚われた。時間にしておそらく数秒と立たぬ間、しかし時が止まっているような奇妙な感覚だった。そして何かを強く訴える彼の目は、彼女の無意識下の選択を変えるには十分だった。

みょうじは未だ自身の腕を掴んでいる月島の手を振り払うと、再び杉元とアシㇼパの方へ向き直った。もう2人の背中はいくらか遠くにある。その時、アシㇼパが背中越しにこちらを振り返って「なまえ!」とどこか縋るような声を上げた。

2人の視線が絡み合い、しかしみょうじの足は根が張ったように動かない。

「……さよなら、アシㇼパ」

傍にいる月島にさえ届かないような声でみょうじは小さく囁いた。それをかき消すように鯉登の声が響く。「みょうじ! 避けろ!」

―――ぐさり

彼女の肩に鋭い痛みが走ったのは、その直後のことだった。