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インカㇻマッ達と別れたその日の夜、みょうじは無事に菊田と宇佐美と合流することができた。ここ札幌でみょうじは二人の補助、つまりは刺青囚人(と思われる連続殺人犯)の捜索を手伝うよう指示されているのだが、人手が増えるからといって歓迎されるかと言えば決してそんなことはなかった。とは言っても、それは宇佐美に限った話ではあるが。

「何で鶴見中尉殿じゃなくお前が来るんだよ」
「その鶴見中尉殿に命令されたからな」

不愉快だと言わんばかりの顔で睨みつけてくる宇佐美に、みょうじは明後日の方を向いて答えた。ぞんざいな彼女の態度がますます宇佐美の神経を逆撫でする。

鯉登と同じくらい―――もしかするとそれ以上に―――鶴見を崇拝する彼は、元々みょうじを目の敵にしていた。その始まりは彼女が小樽の兵舎で働いていた頃、否、鶴見が女性を雇ったと知った時にまで遡る。おかげでみょうじは初対面から理不尽な扱いを受ける羽目になり(それに彼女が平然としていたことは置いておくとして)、だからこそ彼と合流した際にこうなる事は当然予想の範疇でもあった。

「勝手な真似はするな、僕の邪魔をするな、鶴見中尉殿にベタベタするな。分かったか?」
「………ああ」
「何だよ今の間は」
「言い返したら面倒だろうなと思って」

みょうじの言葉にぷつんと来たらしい宇佐美が、勢いよく彼女の胸倉を掴み上げる。「喧嘩売ってんの?」至近距離で凄む彼にみょうじが「まさか」と無表情のまま両手を上げる。と、そこへ菊田が慌てた様子で割り入った。

「おいおい、何でいきなり喧嘩腰なんだよ」

そう言って二人を引き離そうと宇佐美を押しやると、盛大な舌打ちののちにようやく彼女の胸倉を掴む手は離された。ただでさえ宇佐美との共同任務を不安視していた菊田が、勘弁してくれと言いたげに深いため息を漏らす。しかしそんな彼の苦悩を他所に、みょうじがけろりとした様子で口を開く。

「菊田特務曹長……兵舎で何度かお会いしたことはありますが、こうしてお話するのは初めてですね」
「……まさかお嬢さんと一緒に仕事をする日が来るとはな」
「ハッ、お嬢さん〜? そんな柄じゃないでしょ、こいつは」

煽るように鼻で笑った宇佐美に、菊田がいい加減にしろと言わんばかりの視線を送る。が、その程度でこの男が怯むはずもなく、「菊田特務曹長殿もこいつの話は聞いてるでしょ?」と尚も好戦的な態度を崩さない。それを咎めるべきだと頭では理解しつつも、菊田は咄嗟に二の句を継げなかった。なにせみょうじがただの女でないことは彼自身よく分かっていたし、それ故に警戒せざるを得ない人物だと今回の合流に構えていたのだから。

辛うじて出てきた言葉は「おい宇佐美……、」となんとも歯切れの悪いものだった。菊田は少々気まずい思いをしながらちらりとみょうじの顔を覗き見た。が、どうやら本人は全く気にしていない様子、というより興味すらないらしい。

「それで、捜査の手伝いとは具体的に何を? 聞き込みですか?」
「お前はその前に変装。土方歳三たちと面識があるんだろ? あいつらもここに来てる可能性がある。僕達はあくまで斥候なんだから、今あいつらと出くわしたら困る」
「……はぁ、なるほどどうりで」

宇佐美の言葉を受けじっと二人を見たみょうじの目に映るのは、彼らが身に纏うモーニングコートだ。それで事件の調査をしていれば、きっと周りの人間は勝手に官憲か或いは新聞屋とでも勘違いしてくれることだろう。みょうじがふむ、と少し考えてから「着物でも調達しようか」と提案すれば、すぐに菊田が「街娼と思われて犯人に襲われたらどうするんだよ」と却下した。しかしそれを宇佐美が茶化すように笑う。

「こいつなら囮捜査もいけるでしょ」
「囮? 娼婦の振りをすればいいのか」
「……冗談だよバカ。大体、その短髪で着物はないだろ」
「そんなもの手拭いでいくらでも隠せる」
「なんで乗り気なんだよ。……お前は明日の昼までにスーツを調達、いいな?」

念を押すようにビッと彼女を指差した宇佐美を見て、菊田は「みょうじに軍配か」と内心独りごちた。みょうじが誰かと喋っているのを見るのはこれが初めてだが、全く揶揄い甲斐のない奴であることは分かった。その証拠に、先程から宇佐美の煽りは全て不発に終わっている。どうにも相性の悪そうな二人だ、という感想を抱きながら、菊田は絶妙に嚙み合わないやりとりを眺めた。

「男装か。私の丈に合う物があればいいけど」
「フン、今も殆ど男装みたいなもんだろ」
「まぁ、そうだな」
「………………チッ」

そこで宇佐美は早々に彼女との会話を切り上げ踵を返した。どうやら捜査の続きに戻ったらしい。その背中は見るからに苛ついている人のそれだし、みょうじはと言えば未だ表情ひとつ変えやしない。合流してから終始すまし顔のままだ。

女というのは、もっとこう、愛想の良い生き物ではなかったか。わざわざ鶴見が寄こした人間というだけあって、やはり彼女は自分の知る"女"の枠には収まらないらしい。

元は雑用係として雇われていたはずの彼女―――山で負傷した尾形を救助したことがそもそもの始まりだと聞いている。兵士の勘違いにより銃撃を受けた彼女を師団が保護、とまぁここまでは分かる。問題はそのあとだ。兵舎で彼女を雇うという特例対応、かと思えば夕張出張中に尾形に連れ去られ敵陣営に同行、ようやくその身柄が保護されたところで今度は樺太先遣隊に自ら出願。そんな稀有の連続にある人間を普通の女だと思う方が無理がある。

鶴見が彼女を特別視していることは明らかだが、それはきっと彼女のなにがしかの能力を認めている、若しくは利用価値があると踏んでのことなのだろう。しかしそれが何であるか分からない以上、彼女への猜疑心は拭えない。

それとは別に彼女を警戒する理由がもうひとつ―――これは菊田個人の問題であるが―――彼女の存在を中央に"忠告"すべきか否か、彼はその判断に迷っていた。"忠告"というのはみょうじの事は既に、それこそ鶴見が雇い始めた当初から中央に報告してあるのだ。だが中央はみょうじが”女”であるというただその一点のみで、取るに足らない事柄だと気にも留めていない。その後の動向も報告しているにも関わらず、だ。それに進言すべきかどうか、この機会に彼女の能力をこの目で確かめてから判断しようと、菊田は人知れずそんな腹積もりをしていたのである。

が、しかし、まさかそれがこんな形で、こんなにも難儀なものになるとは一体誰が予想できただろうか。

「俺たちは犯人が殺害現場に戻ってくると踏んで張り込んでたところだ。……とは言ってもまぁ、これは宇佐美上等兵の見立てで、俺は娼婦に聞き込みをした方が良いんじゃねぇかと思うんだが、」
「ちょっと待って……おいお前、何する気だ。おい、宇佐美」

かいつまんで捜査の状況を説明していると、その途中でみょうじが焦った様子で菊田の言葉を遮った。菊田が「ん?」と釣られるように彼女の視線の先を追えば、とんでもない光景が目に飛び込んできた。

「……宇佐美?」

娼婦が殺害されたという塀の傍、まさにその場所で宇佐美が局部を扱いているのである。菊田が慌ててみょうじに視線を戻せば、彼女は無表情のままびしりとその場に硬直している。

一体全体どういう訳で、あの男は自慰行為に勤しんでいるのか。それも女性の前で、いや仮に女性が居なかったとしても異様な光景には変わりない。固まったままみるみる顔を青くさせるみょうじと、動揺のあまり空いた口が塞がらない菊田、そんな2人に脇目も振らず宇佐美はただただ自慰に耽っている。

「違うな、ここじゃない。ここかな? いや……もっとこっちだ」
「おい……」
「黙ってて下さいッ! 声を掛けるな!」

怒鳴り上げた宇佐美はまさに真剣そのもの。しかしその手元は今も忙しなく上下している。茫然自失の状態に陥った菊田はそれ以上なんと声を掛けるべきか検討もつかず、しかしハッと我に返ると慌ててみょうじの目を覆った。菊田以上に衝撃を受けているらしい彼女は、硬直したまま宇佐美の奇行を凝視していたのである。

「ここだ! こっち向きのこの位置が落ち着く! しっくり来る!!」
「みょうじ、いいか……落ち着け、今見た事は忘れるんだ。いいな?」
「どの建物からも見えない位置だし通りから影になってる! 顔を見られずに逃げ道も確保できる!」
「あー、なんだその、あれは幻覚だ。……俺も悪い夢を見てるらしい」

興奮しているのかやけに大きな宇佐美の声に紛れながら、菊田がぼそぼそとみょうじに耳打ちする。

何だこの状況は、とは思うものの、とにかく今は宇佐美のアレが早く終わる事を祈るしかない。全くもって知りたくはないが、宇佐美の鼻息が段々荒くなってきているしきっと終わりは近いのだろう。

―――菊田の予想通り、それから幾許もなく宇佐美は果てた。「ひひぃんッ」と一際大きな鳴き声を上げて。

「「……ひひぃん?」」