70
何とか犯人を捕らえようと走り続けた三人だったが、結論から言えばそれは叶わなかった。いくら体力に自信のある者達だろうと、流石に馬相手に追いつけるはずもなかったのだ。しかも犯人は逃走の最中にも犯行に及んだらしく、この日新たに二人の犠牲者が出た。逃げ切るために錯乱を計ったのか、それとも愉快犯的な思考か、どちらにせよ三人にとって実に腹立たしい結果に終わったことは違いない。
この不首尾に特に苛付いていたのはきっとみょうじだろう。宇佐美の奇行に嫌悪感を剥き出しにしていた彼女が、「犯人の顔は見たか?」と普通に話し掛けていたくらいだ。どうやら犯人への怒りでそれどころではないらしい。やはり"共通の敵"をもつことが団結への近道─── 二人を見て菊田がそんなことを思ったのはここだけの話である。
みょうじが酷くイライラしている理由のひとつには、自身の失態があった。こんなことなら鴉を連れて来れば良かったと、彼女の頭はそんな後悔でいっぱいだった。否、厳密に言えば連れて来てはいたのだが、傍に置いておくべきだったのだ。場数を踏んだ鎹鴉ならまだしも、あの鴉は訓練の経験すら浅い。明確な指示を出さない限り動いてはくれないのだ。
みょうじ達が必死に犯人を追っている間も、彼女の鴉は少し離れたところで狩りに勤しんでいたらしい。全てが終わったあと、小さな鼠を咥えて得意げに見せつけてきた相棒をみょうじは素直に褒めてやることができなかった。
いくら第七師団の人間とは言えまだ手の内は見せたくない─── そう思って鴉を同行させなかったことは失敗だったらしい。次こそは仕損じてなるものかと、みょうじは捜査中付かず離れず一定の距離を保つようにと鴉に命じることにした。
「頼み事が多くて悪いね。やってくれるか?」
任せろと言わんばかりに、彼女の相棒はカァとひとつ大きな鳴き声を上げた。
▼
「男物だと線の細さが目立つな」
「完全に服に着られてる」
翌朝、三人は検証の最中である犯行現場を二箇所回ったのち、みょうじのスーツの調達に向かった。そうして彼女に合いそうなものをいくつか見繕ったはいいものの、試着した姿を見て菊田と宇佐美は揃って納得のいかない顔を見せた。と言うのも、いくら丈が合っていようと男性物は女の身体に馴染まないのだ。ベルトを締めれば腰周りに皺ができるし、腹の辺りはもたついていて肩の位置も落ちている。まるで子どもが親のスーツを着せられているようですらあった。
「一週間ほど頂ければお直しもできますが……」
「いや、そんな時間はない」
店主の提案に菊田が首を振る。違和感はあるがこのままスーツで行くべきか、それとも諦めて別の服を用意するか─── 判断しかねて軽く首を傾げたところで、みょうじが「これでいい」と自身の映る姿見を眺めて言った。
「自分で繕う」
「裁縫できるの? お前が?」
「前は服を作ることもあったし」
宇佐美の問い掛けに、みょうじは何の事はないと言うように答えた。如何せん隠の仕事は多岐に渡るのだ。特に縫製係は(主に前田のせいで)女の辞退者が多く、おかげでみょうじにもその役割が回ってきたことがあった(彼女も前田と反りが合わずものの数ヶ月で異動したことはこの際置いておこう)。流石にスーツを仕立てたことはないが調整くらいなら、とみょうじは寸法を確かめるように肩や胴回りの余った生地を引っ張ったり摘んだりした。
そうして結局そのスーツを購入することになって、店主が「良かったらどうぞ」と布地に合わせた縫い糸と針を二本おまけしてくれたのだった。
「どれくらいで出来るんだ? 夜の調査には間に合うか」
「そんなにはかかりません。昼までには」
「じゃあ昼時にまた落ち合おう。俺と宇佐美はそれまで聞き込みをしてくる」
「集合場所はあそこな」とすぐ近くの食堂を指差した菊田にみょうじがひとつ頷く。そのまま解散の雰囲気になって、彼女が踵を返したところでぽすっと頭に何かを被せられた。きょとんと後ろを振り向けば、帽子を脱いだ宇佐美と視線がぶつかる。どうやら頭に乗せられたのは彼の帽子らしかった。
「土方歳三達が来てるかもって言っただろ。せめて顔だけでも隠しなよ」
「ああ……」
みょうじは軽く帽子の鍔を持ち上げて、「そうだな」と菊田を一瞥した。その意味ありげな視線に、菊田は内心ぎくりとする。が、まさか有古とのあの僅かな接触を気取られるはずもない、とあくまで平然を装った。
鴉を同行させて早々に収穫があるだなんて─── みょうじがそんな事を思っていたなど、もちろん彼は知る由もない。
▼
昼になって再びみょうじと合流した二人は、ようやく彼女の身体に馴染んだスーツを見て納得した様子で頷いた。宇佐美の言った「服に着られてる」感はすっかりなくなっていたし、中に布でも詰めたのか女特有の華奢さも目立たなくなっていたのだ。男にしては少し細身で、流行りの散切り頭── より少し長い── 彼女の風貌は、西洋かぶれしたどこぞのお坊っちゃんのようだ。そんな彼女に宇佐美が皮肉っぽく鼻で笑う。その類の人間が嫌いなのか、はたまた特定の誰か(例えば鯉登とか)を連想したのか、そんな苛立ちを含んだ笑いだった。
「……それで、聞き込みはどうでした?」
「収穫なしだ。あんな堂々と犯行に及んでるってのに目撃者が一人もいねぇとは」
「……となると捜査は……」
そこで二人の視線が自然と宇佐美の方を向いた。殆ど手掛かりのない今、有効な捜査方法と言えば宇佐美の特殊能力─── 菊田の言葉を借りるなら「精子探偵」─── に頼ることだ。地道に見回りや聞き込みをする術もあるが、唯一成果を上げている手段を選ばない訳にはいかない。二人の視線の先で、宇佐美がフフンと得意げに笑った。
「やっぱり僕がやるしかないみたいですね」
「けどあれは白昼堂々できねぇだろ」
「……まぁ、夜の方が現場を再現できるし、日中はこれまで通り聞き込みと巡回ですかね」
ごもっともな菊田の指摘に、宇佐美がむっと顔を顰めてそう言った。流石の彼も公然と"アレ"をやるわけにはいかないという常識は持ち合わせているらしい。
「鶴見中尉殿が到着する前に捕まえたいところだが……これだけ情報がねぇと厳しいな」
「鶴見中尉から連絡があったんですか?」
「いや、犯人と接触したことをさっき電報で報せた。向こうもそろそろアシㇼパ捜索を切り上げる頃だろうし、こっちに来る可能性が高い」
二人の会話に続くように宇佐美が「早く犯人捕まえて鶴見中尉殿に良い報告をしなくちゃ!!」と鼻息荒く意気込んだ。すっかり興奮した様子の彼の隣で「それもだけど」とみょうじが付け加える。
「次の被害者が出る前に捕まえないと」
確かな怒りを滲ませた彼女をじっと見下ろして、菊田が「そうだな」と同意の言葉を落とす。なんと言ってもこの一連の事件の特徴は、その凄惨なやり口にある。被害者はただ殺されただけではなく、喉を切られ腹を切られ内臓を取り出されているのだ。犯人は娼婦に強い恨みがあるのか、それとも俗に言う変態性欲者か─── 昨夜のあれを見る限り後者としか思えないが─── その理由がなんであろうと、残虐な殺人行為をこれ以上野放しには出来ない。捜査の主な目的が刺青とは言え、そんな考えに至るのもごく自然なことだろう。
「さっさと犯人捕まえちまおう」
その場の空気を引き締めるように菊田が言った。しかし犯人捕獲の好機がそう頻繁に訪れるはずもなく、三人はしばらくの間地道な捜査に多くの時間を費やすことになったのだった。