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宇佐美とみょうじを襲った銃撃から少しして、鶴見率いる第七師団の面々は工場内のとある建物に集結していた。そこには拘束されたアシㇼパの姿もある。鶴見たちがここへ向かう直前に、二階堂によって捕らえられてしまったのだ。そんな彼女の足元には、白布に包まれた宇佐美の身体が横たわっている。一見してすぐ遺体と分かるそれを、アシㇼパは視界に入れまいと顔を背けた。丁度その時、一行の元に一人の軍人が合流した。

「鶴見中尉殿、ただいま戻りました」
「ご苦労。みょうじの容態は?」
「幸い急所は外れていたようです。出血も止まりましたが……意識はまだ、」
「そうか」

二人の会話はアシㇼパの耳にも入り、彼女は咄嗟に鶴見を見上げた。それに気付いた鶴見が「あぁ、」とその視線に応えて口を開く。

「君には随分とみょうじが世話になったようだね」

自身の鉢巻で猿轡を噛ませられたアシㇼパはそれに返事をすることも叶わず、ただ焦燥した顔で鶴見を凝視した。それを見つめ返す彼の双眸は、柔らかな口調に似合わぬ冷たさを宿している。アシㇼパにはそれが「お前のせいだ」と訴えているように思えて、途端、腹の底でじくりと罪悪感が渦巻いた。

アシㇼパの進む道は多くの犠牲が伴うものだ。事実、これまでどれだけの人間が死に、傷ついてきただろう。ウイルクの死、キロランケの死、杉元とインカㇻマッも死の淵を彷徨う羽目になった。そうしてふと思うのだ。自分が金塊に拘らなければ、誰も傷付かずに済むのではないかと。そんな葛藤に胸を抉られるたび故郷を思い出して奮い立つけれど、ときどき疲労とも諦めともつかぬ感情に身を投げ出したくなってしまう。

「彼女は近くの病院にいる。胸を撃たれてしまってな─── まァ、状況は今聞いた通りだ。心配なら会わせてやってもいい。……ただし、私との話が済んでからだ」

鶴見の言葉に、むくむくと罪悪感が膨れ上がり不安が暗雲のように立ち込める。まるでそれに耐え忍ぶように、アシㇼパはぎゅっと目を瞑った。そうして縋るような思いで頭に思い浮かべたのは、樺太から帰る前、みょうじから手渡された藤の花の香袋だった。それは帰国を前に別れを予見した彼女が、今は亡き故郷の形見を御守りとして贈ってくれたものだ。大切なものであるはずのそれを手放し「だからあげるんだよ」と笑ったみょうじに、どれだけ勇気づけられたことか。

しかしそんな彼女は今日、あっさりと手のひらを返したように牙を剥いた。いっそ潔さすら覚えるその裏切りが、アシㇼパの目には「戦え」とこちらを焚付けているように見えた。こんなところで立ち止まるなよと、そう迫られた気がしてならなかったのだ。希望的観測と言われればそれまでだが、事実、彼女の短刀がアシㇼパに振り下ろされることはなかったのだから。

みょうじを信用したい気持ちと、どこか拭いきれない不信感とがせめぎ合って─── この際彼女が敵だろうと構わない、とその命題を放棄する。とにかく今は彼女が生きてさえいてくれればそれで良い。

そんな願いも不安も一緒くたに闇へと放り込むように、アシㇼパの身体は荒く麻袋の中へと押し込まれたのだった。



ビール工場からの撤退を決めた第七師団は、火事の通報を受けて駆け付けていた消防組に成りすますことにした。鶴見達が潜伏していた付近で消火活動を行っていた男たちにとってなんと不運な話だろう。突然背後から襲われて追い剥ぎに遭い、さらには拘束された状態で人目につかぬ場所に転がされてしまったのだから。そんな彼らの目の前で、兵士達が素早く消防服を着込んでいく。そのうちの一人、早々に着替えを済ませた鯉登が、隣で火消帽の釦を留めていた月島に気遣わしげな視線を送った。

「月島、あまり思い詰めるなよ」
「……ご心配頂かなくとも、この程度で動揺するほどやわではありませんよ」

実に淡々とした口振りではあるが、帽子から唯一露出した彼の眼は見るからに殺気立っていた。その理由はわざわざ問わずとも分かる。みょうじが胸を撃ち抜かれたという報せを聞いてから、ずっとこの調子なのだから。

鯉登と月島がその一報を受けたとき、彼女は既に近くの病院に運びこまれていた。撃ち込まれた銃弾は左の肺を貫いていたそうだが、失血死を免れたということは太い血管は無事だったのだろう。未だ意識は戻っていないとのことだが、傷が片肺だけであればきっとすぐに目を覚ますはずだ。

なにより彼女の回復の速さには目を見張るものがある。鯉登も月島も、それに家永がいたく興味を抱いていたことも含めよく知っている。だからこそ鯉登は彼女がひとまず無事であると知って安堵したのだが、どうやら月島の方はそういう訳にはいかなかったらしい。

鯉登の頭を過ぎるのは、少し前の月島との会話─── 『みょうじはどこだ?』『酷く酔っていたので陰で休ませています』大方、自身の下した判断を悔やみ、自責の念に駆られているのだろう。しかしこの結末を一体誰が予想できたというのか。自分が月島の立場でもきっと同じことをしたはずだと、鯉登は同情心を抱かずにはいられなかった。

「前向きに考えろ。これで良かったんだ」
「……良かった? 無関係の人間がまたひとり犠牲になったんですよ」

そう返した月島の目は怒りに満ちていた。それは鯉登に対してというより己に向けられたものなのだろう。彼女から目を離したせいで─── 否、もっと遡れば、彼女を師団に留めたせいでこうなった。この男のことだから、きっとそう考えているに違いない。そうやって彼自身が薪をくべた業火を鎮めようと、鯉登は毅然とした面持ちで口を開いた。

「今さら無関係などと言ってやるな。あいつは『全部』背負うつもりでいる」
「…………」
「なかなか頭の固い奴だ……何と言おうと首を突っ込むつもりだろう。アシㇼパを捕らえたことでこの金塊争奪戦もついに佳境に入る。そこに参加させずに済むと思えば、これで良かったのではないか?」

鯉登の言葉に促されるように、月島の纏う空気がいくらか和らいだ。「……そうですね」小さく零した声色は未だ強ばっているものの、薄らと安堵が滲んでいた。

「あいつのしぶとさはお前もよく知っているだろう。どうせその内けろりと戻ってくる」

そう言って鯉登が彼の背中をぱしんと叩いた時、「準備は済んだな」鶴見が周囲を見回して言った。たちまち顔を引き締めた二人は短い返事と共に素早く馬に跨ると、「行くぞッ」号令一下、馬を走らせた。

そんな彼らの頭上高くで、一羽の鴉が鳴きながら空を横切っていった。



一方その頃─── バサリと鳥の羽ばたく音を聞いた気がして、みょうじがぼうっと目を覚ました。徐々に覚醒していく意識と共に瞼を持ち上げた彼女が、まずその視界に捉えたものは見覚えのない小さな一軒家だった。

周囲を杉垣に囲まれたその質素な平屋の前に彼女はひとり佇んでいた。ついと視線を動かせば、整然と広がる田畑の奥に山と渓とが見え、ここが草深い田舎であることを知らしめる。周辺にはぽつりぽつりと家があるものの、その内のいくつかは遊休化して蔦にびっしり覆われていた。

直近の記憶とあまりに異なるその景色を、みょうじは茫然自失と眺めた。ついさっきまで宇佐美と一緒にいたはずなのに─── そこまで考えて、はっとして自身の胸元を見る。確かに撃ち抜かれたはずのそこは、血はおろか銃痕もなくいつもと変わらぬ真っ白なシャツがあるだけだった。照り付ける陽の光を反射するそれに、眩しさのあまりきゅっと目を細める。

夜の工場、濡れそぼった衣服、周囲一帯をただよう煤煙、地に沈む宇佐美と彼を抱きとめる鶴見─── ありありと浮かぶ光景はどれも、今この場にはないものだ。一体何が起こっているのだろうと、焦りに疼く心臓を落ち着かせるように自身の胸を撫でつける。まるで狐につままれたような、そんな状況に陥るのはこれで二度目だ。一度目はそれに気付くのに幾らか時間を要したけれど。小樽の山の奥深く、土と緑の匂いをはらむ湿った空気が満ちたそこで、ひたすら彷徨い歩いた当時の記憶がよみがえる。

しかしその直後「俺の家に何か、」と背後から男の声がして、回想はすぐに途絶えた。みょうじは弾かれたように声のした方を振り返り、そうして目に飛び込んできた光景に息を飲んだ。

─── みょうじ、か?」

もう聞けることはないだろうと思っていた声が、そっと彼女の鼓膜を揺らす。

「……不死川様」