08
早朝、たまたまみょうじを目にした鶴見は彼女を二度見したのち、くわっと目を見開いた。そしてくるりと彼女の方へ方向転換して、ずんずんと近寄っていく。
「みょうじくぅん!どうしたんだねその髪は!」
みょうじの前までやってくると、鶴見は右から左からと忙しなく彼女の顔を覗き込んだ。「鶴見中尉殿、おはようございます」との挨拶には「おはよう!」としっかり返し、再び「どうしたんだねその髪は!」と同じ言葉を口にする。
「変ですか?鯉登少尉殿に整えて頂いたんですが……」
「いや、実に可愛らしい。しかし切りすぎじゃないか?何かあったのか?」
「自分で切っちゃったんです。つい」
「つい……そうか、そういうこともある」
鶴見はうんうんと頷いて、みょうじの髪へと手を伸ばす。もはや鯉登と同じ位の長さとなってしまった髪(本当はもう少し長かったのだが整えている内にどんどんと短くなった)のせいで、みょうじの外見はますます男のようになった。おそらく一見しただけで女と見抜ける者は少ないだろう。なにせこの時代にはこれ程髪の短い女も、ズボンを履く女もまずいないのだから。いたとしても男装して商売をしている者くらいだろう。
鶴見は彼女の髪をさらりと撫で付けると、最後にそっと耳に髪をかけた。
「何かあれば言いなさい」
「……はい」
ぽんぽんと彼女の肩を軽く叩いて、鶴見はそのままその場を後にした。そしてそんな鶴見とみょうじの様子を遠くから見守る2人の姿があった。鯉登と月島である。
「月島ァ、やっぱり変ではないか?大丈夫か?」
「……どうしてあなたが心配するんです。本人が気にしていないのだからいいでしょう」
どうやら鯉登は自分が切ってやった彼女の髪を酷く気にしているらしかった。月島からしてみれば、あの乱雑に切り落とした髪型に比べれば随分とましであり、また理容師でもないのによくあそこまで器用に整えたものだと感心するほどの出来である。確かに短すぎるとは思うけれども、そもそもは何も考えずにはさみを入れた彼女が悪いのだから。
なにより、みょうじはむしろあの髪型を気に入っているのだ。鯉登が切り終えた後には「軽い」「楽だ」と言いながらくしゃくしゃ自身の髪を掻き回していたくらいだ。しかし鯉登はそれすらも彼女が気を遣って言ったのだと思っているらしいが。第一、身なりに無頓着なみょうじ(と月島)と、常に身だしなみに気を遣う鯉登の考えが一致するはずもなかった。
「それにしてもみょうじの奴め、鶴見中尉殿に頭を撫でてもらうなど……ずるい!!羨ましい……!!」
鯉登は突然そんな事を喚き出すと、その場に崩れ落ち床をどんどんと叩き始めた。月島が無言でその姿を見下ろしていれば、鯉登が「はっ!」と何かを思い出したように顔を上げる。
「エビフライの事を忘れておった!」
「まだ諦めてなかったんですか」
「行くぞ月島ァ!みょうじはどこだ!」
「今あそこにいたでしょう」
鶴見からエビフライへとすぐに気持ちを切り替えた鯉登は、勢いよく立ち上がり彼女のいた方へと向かった。
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「はぁ、作れますけど」
「まこち?」
途端に目を輝かせた鯉登に、みょうじが首を傾げる。「本当か?と言う意味だ」とすかさず月島が助け舟を出せば、彼女は「あぁ」と納得した顔で頷いた。
「おなべのくせに中々やるではないか!見直したぞ!」
「でもここの炊事場は勝手に使えませんよ」
「それなら次の日曜に俺の家に来るといい!食材も用意しておく!」
「はぁ、分かりました」
「ちょっ、ちょっと待ってください」
着々と話が進む中、月島が慌てたように二人の会話に割り入った。む、と不満げに眉を寄せる鯉登に月島はひとつ軽いため息をつく。
「未婚の女が一人で男の家に行くなど……変な噂が流れたらどうするんです」
ただでさえ彼女は隊員達に鶴見との関係を疑われているのだ。そこへ鯉登の名前まで上がるようになってしまっては、話はさらにややこしくなるに違いない。
みょうじは昨日の件もそうだが、その前には馬鹿な隊員に襲われた件もある。彼女を良く思っていない人間は多いし、どれだけ男のような身なりをしていようと"そういう目"で見る輩もいる。月島としてはこれ以上面倒事の種を撒きたくはなかった。もう少しみょうじが愛想良く振る舞ってくれれば、と思わなくはないがそれは一旦置いておくとしよう。
――――と言った具合に、2人のやりとりに口を挟んだ理由は色々あるのだが、それでなくとも恋仲でもないのに家で二人になるなど常識的に考えて"ナシ"である。
「未婚……?貴様、まだ結婚してないのか」
一方鯉登は、そんな月島の心配を他所に実に見当違いなところに反応を示した。その不躾な質問にみょうじは押し黙り、無言のままじっと彼の顔を見つめるだけだった。すぐに鯉登が「お前に聞いた俺が馬鹿だった」とフンと小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。"行き遅れめ"という副音声が聞こえてきそうな顔である。
月島はそこでようやく、勝手にそう思っていただけで実際に確認したわけではないことに気が付いた。みょうじに男の影が微塵もないから、独り身なのだろうと決めつけていたのだ。とは言えここに来る前は過酷な環境に身を置いていたようだから、それを鑑みても未婚の可能性は高いだろう。
いや、仮にそういう人がいたとして、彼女はもう───。じとりとした目で鯉登を見据えているみょうじは、その胸の内で一体なにを思っているのだろう。探るような目を彼女に向けるも、当然分かるはずもなく。
自ら大切なものを捨てた自分と、思いがけず全てを失った彼女。一体どちらが不幸なのだろうと少し考えて、辞めた。
「月島、貴様も来ればいいではないか」
「は、」
ぼうっとしていたところに突然話を振られて、月島は一気に思考の渦から引き上げられた。
「食べたいだろう、エビフライ」
「……生憎、暫く忙しくなりそうですので。他の者をお誘いください」
「何!?……まさかまた鶴見中尉殿とどこかへ行くのだな?!」
ふっと彼女の視線が月島へと移る。月島はそれを真っ直ぐに受け止めて口を開いた。
「ええ、夕張の方に」