09
結局のところ、鯉登ご所望のエビフライはしばらくの間お預けとなった。更に言えば鶴見と約束していたパンケーキもである。なにせみょうじの身は今現在、小樽を離れ夕張にあった。そこで月島と前山と合流し、江渡貝という男の身の回りの世話をするよう鶴見から仰せつかったのである。
みょうじが来ることを知った月島は、最初は酷く抵抗感を覚えた。彼女を金塊争奪戦に関わらせたくなかったのだ。また江渡貝の家に転がる気味の悪い作品が女性の目に触れることも憚られた。しかしそんな彼も鶴見に「君の目を離れ彼女が兵舎に一人というのも心配だろう?ほら、髪のことがあったばかりじゃないか」と言われてしまえば返す言葉がなかった。
よくよく考えてみれば、彼女は戦いの場に慣れた人間(あくまで事後処理部隊としてだが)であるし、襲ってきた隊員を返り討ちにできるくらいの強さもある。そもそもが一般女性と同列に考えること自体間違っているわけで、彼女の作るハイカラな料理も美味しいわけで――――と、月島の抵抗感はあっという間に消え去った。もちろん鶴見が指示した時点でそれに逆らう気などさらさらなかったのだが、あくまで心持ちの話である。
「みょうじの作る料理は本当に美味しいなぁ。まさか夕張でコロッケが食べられるなんて」
ほくほくと顔を緩ませそう言ったのは前山だった。兵舎ではみょうじに冷たく当たる者が多い中「女の子を虐めるなんて」と彼女に優しく接していた側の人間でもある。
「……ん、うまい」
「そうですか、良かったです」
「お前がいたところはこんな物まで作るんだな」
「上官によく食べる方がいまして。一日にどんぶりを何十杯も食べるから、その方の給仕をしていた頃に色々覚えました」
「何十杯……すごい男だな」
「女ですよ」
ぶっ、と堪らず吹き出した月島にすかさずみょうじが「汚い」と文句を飛ばす。そんな2人をにこにこと見守りながらコロッケを頬張る前山。実に穏やかな時間だった。――――ただし江渡貝がいなければ、の話である。
「ちょっと!なんですかこの匂いは!」
「コロッケですよ」
「んもぉー!集中できないじゃないですか!油の!匂いが!気になって!!」
「食事にされたらどうですか。朝から何も食べてないでしょう」
そんなみょうじとのやりとりの最中に、まるで空気を読んだかのように江渡貝の腹がくぅと控えめの音を鳴らした。
「ほら、食べてください。まずはその気持ち悪いのを脱いで」
「気持ち悪いだって!?この良さが分からないなんて!!」
「ちょっと近寄らないで」
「もぉー!やっぱり鶴見さんじゃないと!つ!る!み!さん!を!連れてきてよー!わあああん!」
会話をしつつも一定の距離を置き、決して江渡貝の方を見ようとしないみょうじ。月島はその様子を眺めながら、もう少し江渡貝を丁寧に扱って欲しいと思いつつ、彼女の気持ちも十二分に理解できるため何も言えなかった。なにより月島としてもあの気色悪い服を着た人間と一緒に食事など御免こうむりたかった。それはきっと前山だって同じだろう。
結局、江渡貝の食事は月島が後ほど彼の部屋に運ぶことになった。どうしてもあの醜穢な衣装を脱ぐ気はないらしい。ぷりぷりと怒りながら部屋を出ていく江渡貝の背中を見送りながら、月島は頭を抱えた。
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「……お前はどこまで聞いているんだ」
「どこまで?」
「俺たちが何をしているのか、ここで江渡貝に何をさせているのか」
食事を終え、皿洗いをしているみょうじに月島が問い掛ける。前山は一足先に銭湯へ行ったから、今この部屋にはみょうじと月島の2人だけである。この話をするために月島がそうさせたのだ。
みょうじは自分が危険な状況に片足を突っ込んでいることに気付いているのだろうか。自ら覚悟して飛び込んできたのならまだしも、知らず知らずのうちに巻き添えだなんてことになれば流石に同情心も湧いてくる。まぁ、あの人間の剥製を見た時点で異常な事態にあることは認識しているだろうが。
――――賢い子だよ、彼女は。
以前、鶴見が口にしていた言葉を思い返す。それが一体どの程度のものなのか、月島はまだ測りかねていた。能面のような冷めた顔の裏で、彼女が何を考え何を思っているのかさっぱり分からないのだ。彼女に全く信用がないと言えば嘘になる。しかし無条件に信頼するほど不用心でもない。鶴見は一体、彼女をどうするつもりなのか。
みょうじはきゅっと蛇口を捻って水を止めると、手の水滴を拭いながら月島の方へと向き直った。
「私は江渡貝さんの世話を頼まれただけだし、工房にも入ってない……というか入りたくもないし。鶴見中尉からも何も聞いてない」
「――――自分が片足突っ込んでる自覚はあるのか」
「はは、深く関わらせるほど信用もしてない癖に」
「…………」
「面倒事はごめんだから知りたくもないのが本音。ただ任された仕事をこなすだけだよ。余計な詮索はしないから安心して」
見定めるような目を向ける月島に、彼女は「あぁ、違うか」と言葉を付け足した。
「安心は出来ないだろうから、ちゃんと私を監視しておくといい」
「……俺に汚れ仕事はさせるなよ」
いつかこいつに銃を向ける日は来るのだろうか。一般人とは言い難いとは言え、軍人でもなく囚人でもない、それも女に向かって引金を引くことは出来れば避けたい。だから彼女には出来るだけこの件に関わって欲しくないのだ。ただ、鶴見が彼女を望めば月島にはそれを止める術はない。となれば、彼女に身の処し方を弁えてもらう他なかった。
そんな月島の思いを知ってか知らずか、みょうじは「はぁい」といつものような気の抜けた返事を返し、皿洗いを再開したのだった。