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胸の痛みに耐えながらじっと暗闇に目を凝らしたみょうじは、目に入ってきた情報にここが病院であると察した。
胸を撃ち抜かれたとき目の前には鶴見たちの姿があったから、きっと彼らがここに運んでくれたのだろう。胸元に手を這わせば、シャツの下には幾重にも巻かれた包帯がある。そしてある箇所に手が触れた途端刺すような痛みが走り、次いで燃えるような熱を放った。ここが銃創か、とその一点に意識を集中させながら、みょうじは今の今まで目の前にあったはずの光景を、あの人の顔に思いを馳せる。─── あれは夢だったのだろうか。それにしてはやけに鮮明だったけれど。
人は死の間際に走馬灯を見るという。自分が見ていたものもその類だったのかもしれない。長らく抱いていた渇望─── 鬼の滅殺とあの人との関係修復。それらが夢となって表れたのか、と。
否、もしかすると。そこまで考えて、みょうじは願望にも似たその見解をすぐに頭の隅に追いやった。あれが夢か現かなど、どうせ確認のしようもないのだ。
気持ちを切り替えるようにぱちりとひとつ瞬きすれば、瞼がいやに重たかった。そこに指の腹を押し当てて、睫毛をなぞり絡んだ雫を払う。深く息を吐けば自ずと先程の余韻に浸りかけて、今はそんな場合ではないと寸でのところで留まった。
なにせ自分はあの波乱のさなか胸を撃ち抜かれたのだ。それもすぐ後ろにいた宇佐美も一緒に─── と、そこでハッとして飛び起きる。途端胸に鋭い痛みが走ったが、それに堪えながらじっと周囲を見回した。
部屋にはもうひとつ空の寝台があった。宇佐美は別の部屋にいるのだろうか、それとも。嫌な予感がして、みょうじは寝台を降りるとすぐに病室を出た。そうして病院内を探し歩いて、ここが小さな診療所らしいことに気付く。そもそもが入院できる施設ではなく、加えて今は営業時間外なのだろう。その証拠に他の患者はおろか看護婦や医者の姿もない。が、代わりに待合室らしき部屋に一人の兵士の姿があった。木椅子に座り器用に眠りこけているその男は、みょうじの記憶が正しければ第七師団の一等卒である。おそらくは彼女の付添を命ぜられたのだろう。みょうじは足早に男の元へ向かうと、微塵のためらいも見せずに「おい、起きろ」とその胸倉を掴み上げた。
「ふが……、ッ!?」
「宇佐美は? 他の兵士たちはどこだ?」
「え、胸の傷は……」
「そんなことどうだっていいだろ! 早く答えろ」
荒く肩を揺さぶられたその男は、起き抜けのためか上手く頭が回っていないようだった。混乱が見て取れるその顔に、しかしみょうじはせっつくように言葉を浴びせる。焦りのせいか痛みのせいか、その額にはじんわり汗が滲んでいる。
「う、宇佐美上等兵は亡くなられた。俺以外はみな五稜郭へ……」
「……五稜郭?」
「そこに金塊が、」
「暗号が解けたのか!?」
そこで男はアッと声を漏らす。そうしてみるみる顔を青ざめさせた頃には、寝惚けた様子もすっかりなくなっているようだった。つい口を滑らせたことで眠気も吹き飛んだ、と大方そんなところだろう。下っ端の兵士が鶴見の指示もなしに金塊のありかを伝えていいはずもないのだから。
みょうじはインカㇻマッの出産時にいた見張りの兵士を思い出して、あの男同様こいつも間抜けで助かったと、胸ぐらを掴む手をぱっと離した。そのまま踵を返したみょうじに、男が慌てて声を上げる。
「どこへいく気だ!」
「別にどこだっていいだろう」
「まさか追うつもりじゃないだろうな。……肺に穴が空いているんだぞ。今は安静に、」
「……そうだな。私が合流すればお前の失言が知られてしまうものな」
もっともらしい説得は容易く一蹴される。ならば次はどう出るか─── 実力行使である。男は咄嗟にみょうじの腕を鷲掴んだ。それが胸の傷に響いたのか、みょうじはぐっと顔を顰めて男を振り返る。その顔は痛みに堪えるものであり、またこれ以上ない苛付きをありありと示すものであった。
「私とやり合う時は股間に気を付けろと言われなかったか?」
「え、」と男が溢すが早いか、みょうじは勢いよく股間を蹴り上げた。直後、うっと呻き声を上げて床に沈む一等卒。みょうじは冷ややかな目でそれを見下ろしたのち、颯爽とその場を立ち去った。
◇
そのままその足で病院を出たみょうじは、目の前に広がる景色に思わず狼狽した。てっきりビール工場付近にいるものと思っていたのに、そこは全く見知らぬ町だったのだ。何を隠そう、この時みょうじの身は札幌を離れ室蘭にあった。
というのも、速急に五稜郭へ向かう必要があった鶴見が、札幌から(無理を言って走らせた)汽車で室蘭へと移動し、港で待機させていた駆逐艦で函館港へ向かうという経路を選んだためである。みょうじが昏睡状態だったこともあり、駆逐艦には乗せず室蘭の病院に運ばせたというわけだ。
もちろんみょうじはその経緯を知りもしないし、さらに言えばそれを推察することも叶わなかった。札幌から函館へ向かうのなら通常は汽車を用いるはずだからだ。まさか青森から鯉登少将を呼び寄せ室蘭港に待機させていたなど、予想できる者はそういないだろう。
辺りを探索してようやくここが室蘭だと気付いたみょうじは「何故ここに?」と当然の疑問を抱き、しかしすぐにそれを放棄した。何かと規格外のことをやってのけるあの男の考えが分かるはずもないと思い直したのだ。それより重要なのは、ここからどうやって五稜郭に向かうか、それだけである。
室蘭から函館までは確か汽車が出ているはずだから、ひとまず駅に向かおうか─── そう思い至った時、不意に彼女の肩に鴉が降り立った。
「お前も来てたのか。……私が目覚めるのを待っていてくれたのか?」
それに応えるように鴉が彼女の頬に頭を擦り付ける。どうやらこの相棒は「付かず離れず一定の距離を」という命令をしっかり守ってくれたらしい。みょうじがそれを褒めるように首元を優しく撫でてやれば、鴉はその指先を甘噛みしたのち、ばさりと羽音を立てて飛び立った。
どこかへ案内するような飛び方を見て、みょうじは素直にそれに従った。どうせこの時間に汽車は動いていないから、時間だけはたっぷりあるのだ。そうしてしばらく歩いて、どうやら海に向かっているらしいと気付いたのは大きな船が見えた時だった。
「そうか、これなら……」
みょうじはここではじめて自分が札幌でなく室蘭で目覚めたことに感謝した。というのも、室蘭港は国内において最重要とされる港湾のひとつなのだ。さらに言えば函館港もそれに含まれる。この室蘭-函館間は石炭の輸送船をはじめ、日本郵船の定期便、客船等、日々多くの船が行き交う。そのどれかに乗れさえすれば、汽車に乗るよりも早く函館に辿り着けるだろう。
逸る気持ちをそのままに、みょうじは着船場へ向かうべく勢いよく足を踏み出した。しかしその直後、視界がぐにゃりと歪みその場に倒れ込んでしまう。
「……ぐっ、」
まるで杭でも打ち込まれているみたいに傷口が鋭い痛みを訴える。銃創を呼吸で塞ぎ騙し騙しここまで来たけれど、限界がもう目の前に来ていた。船に乗りさえすれば少し休める、とみょうじはなんとか自分を奮い立たせようとした。が、身体に上手く力が入らない。その時、彼女の顔にふっと影がかかる。
「嬢ちゃん大丈夫か!?」
「……っ、」
「顔真っ青だぞ!」
地面に倒れ込んだみょうじを見て慌てて駆け寄ってきたのは、若い郵便配達員だった。「すぐ病院に、」と肩に掛けられた手に、みょうじはゆるく自分の手を重ねる。そうして痛みに耐えながら、おもむろに首を横に振った。
「いい……それより、」
彼女の絞り出すような声を聞き落とすまいと、男が顔を近づける。痛みと熱で朦朧としつつあるみょうじは、それとは裏腹にひっそり頬に笑みを浮かべた。
「函館に行く船はありませんか……母に、一目でいいから母に会いたい……」
嘘も方便。そんな言葉と共に鶴見の顔が浮かび上がって、なぜか尾形の顔までちらついた。