白石の場合
金塊争奪戦の終幕からしばらくが経ち、東京でこっそり杉元とアシㇼパの元を離れた白石は、これまたこっそり五稜郭への侵入を企んでいた。「あの井戸は埋めたままにして欲しい」心痛な面持ちで懇願した少女にあの時は頷いていたこの男だが、そもそも大金を前に大人しく引き下がるわけもなかったのである。もちろん多少の迷いはあったけれど、金の誘惑には勝てなかった。金塊に罪はないんだし、このまま忘れ去られるよりパーッと使った方が黄金のカムイも喜ぶだろう、というのがこの男の(実に都合のいい)言い分である。
鶏鳴に空が白む前、人知れず敷地内に侵入した白石は鼻唄混じりに件の井戸を目指し歩いた。あの包囲戦によって壊滅的な被害を受けたそこは、少し前まで官憲や軍人、更には新聞屋までもが頻繁に出入りしていたが、今やその余韻も消え失せてしんとした空気に満ちている。長い時間を要した事後処理や諸々の調査もようやく終了して、以降すっかり人が寄り付かなくなったことは当然この男も把握済みである。
「確かこの辺り……お、あった!」
背中にくくりつけていた円匙を手にめぼしい場所を探しまわれば、すぐに目的の物を掘り当てた。僅かに顔を出した井戸の蓋を前に、白石の口角に抑えきれない笑みが浮かぶ。降り注ぐ金の雨─── 彼の頭は途端にあの時の光景でいっぱいになった。夢中で土を払い、重たい石の蓋を退かし、井戸の中を覗き込む。月明かりも届かないそこは真っ暗で、しかしその闇を見据えて白石はご機嫌に口笛を吹いた。が、その時。
「いてッ! エッ、なに!? イタタタタッ!」
激しい羽音とともに後頭部をバサバサはたかれ、同時に容赦なくつつかれる。肩には鋭い何かが食い込んで、さらにはそれに引っ掻かれもした。白石は突然の襲撃に気が動転しつつも何とかそれを振り払い、「なんだよもう!」と勢いよく後ろを振り返った。見れば足元で烏が一羽、きょとんと首を傾げてこちらを見上げている。邪魔しやがって、とその黒の塊を睨み付けて歯軋りしていると、今度は暗がりの奥からクスクスと忍び笑いが聞こえてきた。うっすら見えた人影に白石はぎょっとして後ずさり、しかしその顔を見るや「あッ」と驚きの声を上げた。
「相変わらず動物に好かれてるな、白石」
「なまえちゃん!」
久方振りの再会に白石は(多少の下心もあり)咄嗟に彼女の胸に飛び込もうとした。が、足を一歩踏み出したところでぐるりと反転し、勢いよく井戸の穴へと覆い被さる。
「これは俺のだ! 誰にも渡さねえ!」
「へぇ、やっぱり金塊はまだ残ってたのか」
「…………エッ」
「きっと回収に来るだろう、って聞いてな。それなら白石を追っておけば間違いないと思って……しばらく張らせてもらった」
つまり自分の行動は全て読まれていたらしい─── 白石は絶句した。そうして四つん這いのまま放心する彼に、みょうじは一歩二歩と近づいて傍に屈むと「案内ご苦労」ポンとその肩を叩いた。途端、白石の両目からぶわりと涙が溢れ出る。
「嘘だろ……独り占めの予定が……」
「じゃあ取引きといこう。ここで伸されて全部奪われるのと、平穏に分け会うのとどっちがいい」
「それ取引きじゃなくて強迫ゥ」
「ハハ、冗談。師団の連中もいないしそう警戒するな」
そう言ってみょうじが手を差し出すと、白石は「ちぇ」と唇を尖らせてそれを握った。ぐん、と腕を引かれて立ち上がったところで、膝についた砂埃を払う。
「あーあ、俺の一万貫……」
「悪い、ちょっと入り用でね。でもまァ半分寄越せとは言わない。そうだな、五百円ほど分けてもらえれば」
彼女の言葉に白石は怪訝そうに片眉を上げた。大金には違いないが、金塊の量を考えれば微々たる額である。その金額から考えても、本当に第七師団とは無関係なのだろう。白石は「フーン」と探るような視線を向けたのち、井戸の方を振り返った。そうして中を覗き込んだ彼に続き、みょうじもその隣に並び立つ。じっと目を凝らして見ていれば、積み重なった袋たちが暗闇に紛れてうっすら輪郭を表した。
「金塊は皮袋に詰められてる。五百円と言わず一袋持っていきなよ」
思わぬ提案にみょうじはハッと顔を上げて、すぐに「いや、そんなには」とそれを断ろうとした。が、白石に手で制される方が早かった。彼は真面目くさった顔で「取引きといこう」と言ったのち、ニッと笑ってみせた。
「アシㇼパちゃんに会いに行ってあげてよ。手紙でもいい。なまえちゃんのこと心配してたからさ」
みょうじはぱちりと一つ瞬きすると、ふっと笑みを溢した。
「分かったよ、手紙を書こう。でも一袋もいらない。どうせそんなには持っていけないから」
こうして一万貫にも及ぶアイヌの金塊は、この二人の手によって全て運び出されたのだった。五百円と言っていた彼女の雑嚢には、金塊を前に有頂天となった白石の手によって結局ぱんぱんに金塊が詰められた。しかしまさかそれが鶴見とみょうじの海外渡航費に充てられるなど、彼には思いもよらなかったことだろう。