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任務を終えたみょうじが蝶屋敷にやってきたのは、零時を少し過ぎた頃だった。鯉登と月島の病室を訪れたみょうじは、疲れた様子も見せずにきっぱりとした足取りで寝台の前にやって来た。そうして立ち上がろうとする二人を「そのままでいい」と手で制すと、近くにあった丸椅子を引き寄せてどかりと座ったのだった。

「それで、私に話って?」

早速本題に入ったみょうじに、二人は少しばかりたじろいだ。第一声を用意していたところを、彼女に先を越されてしまったのだ。鯉登と月島が神妙な顔をしてちらりと視線を交わす。それから先に口を開いたのは鯉登の方だった。

「疲れているところ無理を言って申し訳ない。既に聞いているかもしれないが、私達はすぐにここを離れることになるだろう。その前にどうしても礼を言っておきたかった」
「あぁ……別に、それが仕事だから」

そんなことか、とでも言うような口振りではあるが、表情から察するに満更でもないらしい。その証拠に、彼女の口元は緩く弧を描いている。

「身体の方は? 毒を吸ったと聞いたけど」
「怪我も毒も問題ない。薬ですぐに治るとのことだ」
「それなら良かった」

みょうじはふっと笑みを浮かべて言った。それを眺めながら、月島は漠然と抱いていた嫌な予感が、現実のものとしてはっきり目の前に現れたことを悟った。

いま目の前にいるみょうじなまえは、自分たちの知る彼女ではない。無愛想な態度はすっかり鳴りを潜めて、その表情は随分と柔らかい。あれだけはっきりこびり付いていた陰鬱な陰すらも、今の彼女には見受けられなかった。

月島は毒で霞んだ視界の焦点を合わせるようにすっと目を細めると、「それにしても、」と二人の会話に割り込んだ。

「鬼狩りとは大変な仕事だろう。失礼ながら……女性がやるようなこととは思えない。なぜそんな危険な仕事を?」

隣で鯉登の身体が軽く強ばったのが分かった。部屋の空気が僅かに重くなったことにも。助けられた立場でするには相応しくない、ひどく無礼な問いであることは重々承知していた。しかし聞かずにはいられなかったのだ。

「……私の両親は鬼に殺された。復讐心は当然ながら──でも今はそれだけじゃない。鬼のせいで苦しむ人を一人でも減らしたくてね」

彼女の言葉は強かに月島の脳を打った。

未来を知っているとは、なんと残酷なことだろう。強い眼差しで決意を語る彼女はいずれ、全てを諦めて刀を捨てるのだ。そうして遅くとも二年後には、さも自分の命に価値はないというような振る舞いをするようになる。

一体何が彼女を変えてしまうのか。そのとき不意に──「それでも私はあの人の隣で戦いたかったんだ」──いつかの夜に聞いた言葉が脳裏を過ぎる。

「……そうか。気を悪くさせてしまったらすまない。俺のような軍人でさえ全く歯が立たなかったから気になっただけだ」

辞めておけ、という言葉が喉まで出かかったが、口にすることは出来なかった。ただ、現実から逃れるようにそっと目を伏せる。こうやって普通に・・・笑う彼女をこれ以上見たくなかったのだ。それがいずれ消えてしまうことを知っているから。

「軍人には軍人の戦い方があるように、鬼殺隊には鬼殺隊の戦い方があるだけだ。鬼に一般的な銃や刀は効かないから」

彼女の手がゆるりと刀の柄を撫でる。きっとそれが対鬼用の特殊な刀なのだろう。月島は自身の放った銃弾が、鬼には全く効かなかったことを思い返した。確かにあの時、弾は鬼の左胸を捉えて、肉を貫く音もした──と、そこで回想を遮るように「話はそれだけじゃないんだろ?」とみょうじが別の話題を口にする。

「なんでも二年後の私を知っているとか」

予想外の言葉に虚をつかれ、鯉登と月島はそろって口籠った。

「……聞いたのか」
「当然だろう、知らない人間が私の名前を知っているんだから。……ただまぁ、過去から来た人間が二年後の私を知っているなんて、理解するのに少々時間が要ったけど」

そう言うとみょうじは寝台横に備えられた小さな棚に目をやった。そこには鯉登の軍服がきれいに折り畳まれて置いてある。「まさか軍人の世話になるなんてね」自分の話題だというのに、その顔はどこか面白がっているようだった。

「すぐにここを離れる、と言ったけど……ええと、」
「月島だ」
「月島サン……は、今日明日の話にはならないんだろ?」

聞き慣れない呼称に「月島でいい」と告げれば「了解」と雑な返事が返ってくる。柔らかい表情を見せる彼女にまるで別人のようだと思ったばかりだが、やはり同一人物とあって根本は同じらしい。しかしその不躾な態度は不快感どころか懐かしさをもたらした。

「俺は二、三日かかると聞いている」
「じゃあ、ここで隊士と会うこともあるだろう。一応頭に入れておいてほしいんだが……鬼殺隊は軍人嫌いが多い」
「……何故だ」
「これだよ」

そう言うとみょうじは僅かに刀を抜いて、三寸ばかり刀身を見せた。刀が月明かりを反射して、鈍く光を放つ。

「帯刀は罰せられるからな、官憲や軍人を避けるのが習慣付いてる」
「……それは、」
「仕方のないこととは皆分かってる。頭ではね」

鯉登の言葉を遮ってみょうじは言った。

月島は初めて彼女と会話を交わした日のことを思い返した。あの時抱いた第一印象は確か「人馴れしていない野良猫」だったような。それだけ彼女の警戒心が剥き出しだったのだ。部下が腹を撃ち抜いた直後だから当然、と思っていたのだが、なるほどそういう背景もあったらしい。

「だから軍人の世話になるなんて想像もつかないな。二人はどこの所属だ?」

みょうじはパチンと刀を鞘に納めると、再び軍服に視線を投げた。

「第七師団だ」
「第七師団──旭川? てっきり東京かと……時代どころか場所も飛ばされたのか」
「いや、仕事でこちらへ来ていた。それがいつの間にこの時代に迷い込んだのか──皆目見当もつかない」
「鬼の術は巧妙だからな、無理もない」

そう言うと彼女はすっくと立ち上がった。「じゃあ、そろそろ私はお暇するよ」と言いながら。

久しぶりの再会だと言うのに、と思ってすぐに、彼女にとっては二度目の相見であることを思い出す。名残惜しくはあるが、引き止めることは憚られた。

いや、自分はまだ会う機会があるかもしれない。と、月島は鯉登に視線を投げた。胡蝶の予想では、彼は明日にでも──既に日付を超えているから厳密には今日──元の時代に戻るはずなのだ。

「ああ、付き合わせて悪かった。疲れているだろう、ゆっくり休んでくれ」

しかし、鯉登も彼女を引き止めることはしなかった。そうだ、この人は元々「礼をして──それだけで十分だ」と言っていたのだから。

こうしてみょうじとの面会は実にあっさりと終わりを告げた。彼女が部屋を出て、足音もしなくなった頃「未来を知っているとは残酷なものだな」と鯉登がぽつりと言った。ああ、この人も同じことを思ったのか。ということを考えながら、しかし月島はそれに返事をしなかった。

「そうですね」と肯定したが最後、彼女にとっては未来の出会いが、自分たちにとっては出会った過去が、不幸だったと認めることになると思ったのだ。