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月島が大正時代に来て一週間が経った。胡蝶が予想していた日は既に過ぎてしまったが、いまだ彼の目が完治する気配はない。というのも、ある日を境にぱったりと薬を飲まなくなったせいである。ただ目のかすみは鬱陶しいようで、ふとした時に目を擦るのが彼の癖のようになっていた。

「月島さん、少しお話できますか?」

その日、胡蝶が三日ぶりに月島の元を訪れた。多忙な彼女が検診以外で一人の患者と腰を据えて話すことは稀である。それが内服拒否の件であることは明らかで、月島は頷きながらも気まずそうに頬を搔いた。

「薬を飲まれていないそうですね。なほちゃんが心配していましたよ」
「……悪い。いつまでも世話になるわけにいかないことは分かってる」
「あら、こちらとしてはずっといて下さっても構いませんが」

月島は戸惑った顔で胡蝶を見た。表情を見る限り、どうやら口からでまかせを言ったわけでもないらしい。

「ここは常に人手不足ですから。月島さんが仕事を手伝ってくれるようになって、とても助かっているんですよ」

それが単なるお世辞でも上辺だけの言葉でもないことは月島にも分かった。蝶屋敷での手伝いを始めてから、どれだけ仕事が溢れているか身をもって知ったからだ。
隠たちも手伝っているとはいえ、それでも人は足りていない。連日のように負傷者が運ばれてくるし、さらには彼らの回復訓練まで受け持っているのだから。むしろよくこれで回っているな、というのが月島の率直な感想だった。それだけ胡蝶たちが無理をしている証拠なのだろう。

「でも、」と胡蝶は続ける。

「月島さんは元の時代に戻りたいのかと思っていました」
「戻りたくないわけではない。戻らなければならないことも分かっている」
「……なまえさんのことですか?」

月島は答えなかった。しかし胡蝶は気にした風もなく、おもむろに窓の外を見上げた。視線の先には、青白く光る月が空にぽっかり浮かんでいる。薄ら雲に覆われているのか、輪郭は少しぼやけていた。

「私、驚いたんです。二年後のなまえさんを知っていると聞いて」
「…………」
「長くこういう仕事をしていると、なんとなく分かっちゃうんですよ。死期……というと大袈裟ですが、『長くはないだろうな』って」

その感覚は月島にも覚えがあった。戦地に限った話ではあるが、たまに、死相を感じ取ることがあったのだ。怪我をしているわけでも、気力体力が尽きているわけでもない相手に、「たぶん、死ぬな」と肌で感じてしまうあの感覚。

胡蝶はみょうじにそれを感じていた──しかし月島にとっては、特段驚くような話でもない。きっと不死川とやらも同じように思ったから、彼女を「愚図」と乏して戦地から遠ざけたのだ。

「まぁ、それでなくとも鬼殺隊は命を落とす人が多いですから……二年生き延びる人はほんのひと握りです。だから、月島さんの話を聞いて少し驚いてしまって」
「生きているからと言って……それがみょうじにとって良かったのかは分からない。俺が出会った時には既に、あいつは刀を捨てていた」
「……鬼殺隊を辞めていた、と?」
「いや、後方部隊に回ったと言っていた」

「そうですか」と言った胡蝶の声は、寂しそうではあれど、驚きや落胆は感じられなかった。きっと鬼殺隊ではよくあることなのだろう。

「『死ぬはずだった』『死ぬべきだった』……たまにそう漏らしていた」
「つまり、そうなって欲しくないと。傍にいて支えてあげたいんですね」
「いや、そこまでは……俺にどうこうできる話でもないだろう」
「私にはそう聞こえましたよ」

そう言って胡蝶は優しく微笑んだ。月島は否定しようとしたものの、相応しい言葉が咄嗟に出てこなかった。反論できる理由が多すぎて、どこから言えば良いか分からなかったのだ。

そもそも、みょうじがそれを良しとはしないだろう。誰かを頼るような女ではないし、胸の内をさらけ出すような奴でもない。それでなくとも、彼女が求めているのは自分ではなく不死川という男だ。この時代に留まったところで自分にできることは何も無い。

それは重々承知しているのに、何故だか薬を飲めない自分がいる。

「さっきもお伝えした通り、私としてはここに残って下さってもいいんですよ。でも、あちらであなたを待っている人もいるのでは?」
「仕事はある……が、俺の代わりなどいくらでもいる」

頭をよぎるのは当然、月島を「自身の右腕」と称する鯉登のことだ。きっと月島が戻ってくることを疑わず、いまも帰りを待っているのだろう。

しかし、自分より優秀な人間など他にいくらでもいる。なにも俺に拘らなくとも──金塊争奪戦の延長に今があるだけなのだから。鶴見中尉が失踪し、目的を失ったところを拾ってくれただけ。それは果たして同情か、有り余る責任感ゆえか。

──「私は鶴見中尉殿と月島軍曹を最後まで見届ける覚悟でいる」
あの人はただ、律儀にあの時の言葉を守ってくれているのだ。足枷、否呪縛と言ってもいいだろう。

「これからどうするか、決めるのは月島さんです。一度じっくり考えてみてください。それまで薬を出すのは一旦止めておきますね」
「……あぁ、すまない」

決断が長引けば長引くほど戻る理由はなくなっていく。時代を飛ばされて今日で一週間──そろそろ失踪の疑いが出る頃だろう。鯉登が事情を知っているとは言え、周囲に説明できるとは思えないし、説明したところで信じてもらえるとも思えない。

おそらくこのままでは脱走兵として扱われ、そのまま除隊処分となる可能性が高い。そうすると戻る理由は完全になくなってしまう。

──あと三日。三日で答えを出そう。心の中でそう決意して、月島は窓の外を見上げた。雲が流れて行ったのか、そこには満月から少し欠けた月がくっきりとした姿で浮かんでいる。しかし月島の目には薄ぼんやりとした光が見えるだけ。強く目をこすって再び見上げてみるも、やはり月はぼやけたままだった。