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なんと綺麗な土下座だろう──彼女の旋毛を見下ろしながら月島は思った。
「見ず知らずの方に非礼の数々……酔っていたとはいえ、何とお詫び申し上げれば良いか……」
「状況が状況だったんだ、仕方ない。俺の方こそ出会い頭に脅迫めいたことをしてすまなかった」
脅迫めいたこと、と言うが現代日本では拳銃を突き付けた時点で一発アウト、ということはもちろん月島は知る由もない。しかし幸いにも、なまえはその辺りの記憶をほとんど飛ばしていた。
かろうじて覚えているのは、帰宅した直後床に押し倒されて「静かにしろ」と凄まれたことくらい──もちろん、これはこれで十分警察案件である。
「でもあの、無理やりお風呂に入れたり……しかもかなり命令口調で……本当すみません」
「いや、ここ4.5日は碌に風呂も入れなかったから──」
「え、やば」
本当に、ぽろっと、無意識に零した言葉だった。一瞬沈黙が流れて、なまえがハッと口を覆う。心の声がうっかり漏れてしまったことに遅れて気付いたらしい。
「…………」
「すすすいません、つい」
月島の沈黙に怯えたなまえが、慌てた様子で再び深く頭を下げる。その弁解が「今のは正真正銘の本音です」と言っているも同然だということには全く気付いていないようだ。
「……仕事でしばらく山にいたんでな。……大変失礼をした」
そう謝罪を口にする月島だったが、その声は地を這うような低音で、苛立ちを表し尽くしている。「め、滅相もございません」なまえは震え上がった。
少し間があって、今度は深い深いため息が落ちてくる。なまえはびくりと肩を揺らし、ついには下げた頭を戻せなくなってしまった。
心の中で「私の馬鹿ー!」と叫びながら、同時に今の状況に(今更ながら)危機感を覚える。キレた筋肉質のおっさんと密室で二人きり……文字にすると犯罪の匂いしかしない。なまえはさらに縮こまりながら、必死に謝罪を並べ立てた。
「本当にすみません! 昨日はすごく酔ってて……というのは言い訳にしかなりませんが……今日も二日酔いだからと顎で使うような真似を……重ね重ね申し訳ありませんでした! 今後このようなことがないように、二度とお酒は飲みませんから!!」
正確には「飲みません」ではなく「飲みたくない」という方が正しい(それも主な原因は二日酔いである)。それに酒への嫌悪感なんて、一週間もすれば忘れてしまうだろう。
ただ、なまえからすれば今この場が収まれば後はどうでもよかった。まさに口先だけの謝罪──悲しいかな、その薄っぺらさは月島にもしっかり伝わっていた。
しかし返ってきたのは二度目のため息、そして幾分か落ち着いた声だった。
「とにかく、それに関してはもういい。こんな話よりもっと重要なことがあるだろう」
「重要なこと……?」
「…………俺は明治から来た」
月島はもう気が遠くなりそうだった。天地がひっくり返るような事態にあるはずなのに、何故ここまで問題が先送りにされているのか。まぁその理由など「なまえが泥酔していたから」に尽きるのだが、それにしたってあんまりだ。
「それ、本当だったんですね!? そんなこと言ってた気がするなーとは思ってたんですが、夢だったか現実だったか曖昧で……」
「……野営する場所を探していたところ手頃な小屋を見つけて、中に入ったらここに繋がった」
話が進みそうにないなまえの反応がどうにも面倒臭くなって、月島はさっさと本題に入ることにした。
曰く、月島は部屋を一目見てそれはもう驚いたという。置かれているもの全てが初めて見るものばかりだったからだ。異国のよう、という言葉では到底説明がつかない。まるで未来的──このとき抱いた感想は、図らずとも的中することになった。
ここにいるべきではない、と月島は直感的に思った。しかし慌てて後ろを振り返ると、なんと外の景色が一変していた。そこはもう山の中ではなくなっていたのだ。
目の前には胸の高さほどの壁があって、その奥には全く見覚えのない風景が広がっている。しかもどうやら随分高いところにいるらしい。途方に暮れた月島は、ひとまず部屋に戻ることにした。ここがどこかも分からぬ以上、下手に動かない方がいいと思ったのだ。手掛かりを得るならこの部屋と、ここの家主を頼る他ない、と。
「そのうちここが未来であることを確信して……お前が帰ってきたというわけだ」
「いや、流石にそれを信じろいうのは……」
その反応は予想済だったのか、月島は淡々と「証明できるようなものと言えば、」とちらりと洗濯機の方を見やった。厳密にはその傍に置かれたゴミ袋を、だ。
袋の中には昨晩月島が脱いだ軍服と軍帽が入っている。しかしなまえには「どうやら軍人らしい」ということは分かっても、あれの真贋を見分ける知識はない(例えあったとしてもあの袋は開けたくない)。なまえは「うーん……」と複雑そうな顔をした。
「あとはこれくらいか」
ごとり。テーブルが立てた音に釣られるように、なまえは洗濯機から視線を戻した。そして目に飛び込んできたブツにぎょっとする。
「二十六年式拳銃だ」
なんて、型式を言われたところでなまえにはさっぱり分からない。それより問題はブツそのものである。
「エッ! うそ、ちょっと待って、本物!?」
「あぁ。百年前となるとそれなりに年代ものだろう。この時代にこれだけ綺麗な物は残ってないんじゃないか? 良い証拠になると思うんだが」
なまえが怯えていることに気付いたのか、月島は装填していた弾を全て取り外した。脅す意思はない、と示すためである。しかし本物の銃弾と、月島の馴れた手付きがさらに彼女の恐怖心を煽る。
「銃刀法違反……」
「?」
「持ってるだけで捕まるので! 仕舞ってください! どっか奥底に!」
「ちゃんと見た方がいいんじゃないか? 一応証拠なんだが」
「信じますから! 仕舞って!!」
「そうか」と尚も月島は淡々と答えて、拳銃をスウェットのポケットに押し込んだ。少々雑に見えるその扱いに、なまえは軽く身体を仰け反らせた。
「……爆発とかしません?」
「しないから安心しろ」
きっとこれを突きつけたことは覚えていないんだろう、となまえの怯えようを見て月島は思った。
ここに来て最初に出会ったのがまさかの泥酔女──その不運さを呪っていたが、むしろ運は良かったのかもしれない。もし通報でもされていたら、余計面倒なことになっていただろう。それに甲斐甲斐しく世話をしてやったおかげで、いま優位な立場で話を進められているのだから。
「この通り、俺はこの時代のことが何も分からない。そこで、だ。元の時代に戻るまで、ここでやり過ごすための術を教えてもらえないか」
「……というと、?」
「先ずは寝床だな。この際、野宿でも構わない。どこか人気のないところを知らないか」
「いや野宿って、」
「金もないんだから仕方ないだろう」
つまり、ホームレス。なまえにとっては無縁の世界である。見たことはあっても関わったことはないし、その暮らしを想像したこともない。ただ、大変な生活であろうことは分かる。
なまえは考えた。初対面で開口一番「臭い」と罵り、無理やり風呂に押し込んだ彼──布団も敷かぬまま放置して寝てしまったというのに、嘔吐の世話までしてくれた──それなのに私と来たら、水が欲しい、味噌汁を作れと顎で使ってしまった──そんな相手を、無一文のまま放り出すのか? お前に人の心はないのか?
なにより、お前には宝くじで当たった百万円(早速散財したので正確には残り八十数万円)があるじゃないか!
「……分かりました。月島さん、私が貴方の面倒をみます!」
なまえの決意は、流石の月島も予想外だったらしい。彼は虚を突かれた顔をして狼狽えた。
「いや、そこまでしてもらう訳には……」
「大丈夫です! 実は昨日、宝くじで百万円当たったんです! きっと神様が月島さんの世話をするように言ってるんですよ!」
「は、」と月島の呆気に取られた声が部屋に響く。
「宝くじ──百万円?」
「はい! 百万あれば人ひとりくらい大丈夫でしょ?」
このとき月島は、数字のインパクトに気を取られ「時代によって金の価値は変わる」という当たり前ことが頭から抜け落ちていた。百万円──月島のいた時代では、およそ二十億円の価値である。
確かに二十億もあれば、人ひとり養うくらい端金だろう。そういうことなら、と月島はなまえの提案をありがたく受け入れることにした。
こうして、二人の実に奇妙な共同生活が始まったのである。