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買い出しを終えた月島となまえが家に戻った時には、時計はすでに23時を回っていた。随分遅い食事にはなるが、早速ラーメンを作ろうとなまえがキッチンに向かう。
目分量で鍋に水を入れ、火にかけたところで「あ、そうだ」と思い出したように口を開いた。
「作ってる間にタグ……値札切ってもらえますか?」
「分かった」
ハサミはあそこの引き出しに──と振り返った時には既に、月島は靴下のタグを素手で引きちぎっていた。食い込んで地味に痛いやつ、となまえが心配の目を向けるも、彼は涼しい顔で次のタグへと手を伸ばす。
ぷつん。二つ目のタグもいとも容易く引きちぎられる。
「ハサミありますけど……」
「必要ない」
けろりとそう言ってのける月島だったが、3つ目のタグは手強かったらしく「む、」と眉を寄せること数秒、ごくごく自然にそれを口元へ運ぼうとした。
「ハサミ! ありますから!」
なまえはすかさず引き出しからハサミを取り出して、サッと月島に差し出した。そこ頑張るとこじゃないですから、と言うなまえに、月島は「悪いな」と素直にそれを受け取った。
厚い手のひらに太い指、そして短く切り揃えられた爪。ちらりと見下ろした彼の手はいかにも男らしいもので、見るからに硬そうだった。そりゃあタグも簡単に切れるわけだ。「お父さんの手みたい」なまえは初老を過ぎた父を思い浮かべ、実に失礼な感想を抱いた。
そうしてキッチンに戻った時には、既にお湯が沸いていた。乾麺を二つ投入し、待つこと三分(体感)。「できましたよー」と声を掛ければ、「早いな」月島が驚いたように顔を上げる。そうしてローテーブルに運ばれてきたラーメンをしげしげと眺めたのだった。
「これがラーメンか」
「え、もしかして初ラーメン? 明治ってラーメンないんですか」
「俺は初めて見た」
「へぇ、お口に合うといいですけど」
そうは言いつつも、ラーメンを嫌いな人はあまり聞かないし、と特に心配はしなかった。そしてその予想通り、月島は一口食べてすぐに「うまい」と目を見開いたのだった。
「そういえば、どうでした? 令和のお出掛けは」
黙々と食べ進める月島に、なまえが興味津々に問いかける。百年後の世界を体験するって一体どんな感覚なのだろう。タイムスリップものの物語は数あれど、まさか生の声を聞ける日が来ようとは。好奇心と少しの興奮を抱きながら、なまえは月島の返事を待った。
「まず……景色がうるさい。目がチカチカする」
「……ほう」
「街中も店内も物が多すぎる。あと人がデカい」
「そうなんですか?」
「女が男の背丈くらいある」
なまえは興味深そうに「へぇ」と声を漏らした。百年でそんなに平均身長が伸びるものなのか、なんてことを考えながら。
「国が豊かな証拠だろう」
何気ない月島の言葉に、なまえは「そう、かもしれませんね」と少々歯切れの悪い返事を返した。月島のいた時代がどういう環境だったのか、初めてその片鱗に触れたからだ。軍人の彼が言う「国」の響きも相まって、その言葉はひどく重たいものに聞こえた。
明治の人々の暮らしぶりには詳しくない。しかし現代よりも生活水準が低いことは分かる。身長の違いだって、食文化はもちろん栄養状態も関係しているだろうから。飽食の時代を生きる自分とは、まるっきり違う生活を送っていたに違いない。
そこまで考えて、なまえははたとある事に気付いた。
「……そういえば月島さん、こっち来てちゃんとしたご飯食べるのこれが初めてですよね」
「味噌汁をもらっただろ」
「あれはちゃんとしたご飯って言わない! あぁ……ほんと申し訳ない……全然気が回らなかった」
絶賛二日酔いだったこともあって、なまえは今日一日全く空腹を感じなかった。むしろ食事をしたら吐き戻す自信さえあったくらいだ。
カップ味噌汁を作ってもらった際に「月島さんも良かったら1つどうぞ」と(二日酔いに苦しみながら半ば投げやりに)勧めはしたが、どう考えても成人男性には少なすぎただろう。
何せ月島がこの家に来たのは昨日の夜──つまり、丸一日をあの味噌汁一杯だけで過ごしたというわけだ。
「二、三食抜いただけで大袈裟だな」
「いや二、三食って……ちょっとご飯チンしてきます!」
「チン?」
「レンジでチン!」
そう言ってバタバタとキッチンに向かったなまえを見送りながら、「レンジでチンとは」と内心独りごちてラーメンを啜る月島。
数分後にピーッピーッと音を鳴らした白い箱も彼の疑問を解決してくれることはなく。結局、残り汁で作った雑炊が腹を満たしたことで、後で聞こうと残しておいた質問は容易く忘れ去られるのだった。
◇
昨日一度教えただけで、風呂の使い方はすっかりマスターしたらしい。食事を終えたあと「お風呂どうぞ」と伝えたきり、以降は何も口を出す必要はなかった。まぁ、風呂ぐらいは明治にもあっただろうし、そんなに使い方が難しいものでもないのかもしれない。
お湯にゆっくり浸かったおかげか、月島は幾分かリラックスした様子でソファに座っていた。
「明日は何をする予定なんだ」
「残った買い物と、……あれをどうにかしたいです」
「あれ」となまえが指差す先は洗濯機横に置かれたゴミ袋──の中にある軍服である。洗濯機に入れていい素材には見えないし、そのままクリーニングに出したいところではあるが、時々お世話になっている店のおばさんにあの匂いを嗅がせるのは気が引ける。せめて少しはましな匂いにしたいところである。
「どうやって手入れするものなんですか?」
「襦袢は普通に洗う。軍服はブラシをかけて陰干しする」
「襦袢……」
「肌着だ」
「なるほど」
肌着は普通に洗う──つまり、あの袋から取り出して。なまえは一瞬思考停止して、「自分でやる」という月島の言葉に再起動した。
「じゃあ洗濯機の使い方教えますね。軍服は……とりあえず先に干しといて、明日ブラシを買いましょう」
そう言ってハンガーを数本手渡して「干すのはあそこです」とベランダを指差した。それから2人で洗濯機の方へと移動して、早速操作方法を説明する。とは言っても洗剤と柔軟剤の投入口を教えて、押すボタンを2箇所指示するだけだ。
月島が興味深そうに洗濯機の中をじっと見つめて「どういう仕組みなんだ?」と尋ねたが、「なんかこう……回るんですよ」という解答に色々と察したらしい。それ以上尋ねてくることはなかった。なまえがほっとしたのは言うまでもない。
「では! 私はお風呂入ってくるので後はお願いします! で、洗濯始まったら……これ部屋にシューしといてください」
「シュー」という言葉とともに、なまえの手に握られたスプレーボトルからミストが吹き出る。お願いします、とそのボトルを手渡された月島は「あぁ」とそれを受け取って、
「……分かった」
W消臭Wの文字をじっと見つめたのだった。