目覚めの向こうに

よほど任を外されたことが堪えたのか、この頃の尊奈門は適度に周囲を頼るようになったらしい。否、無茶をさせまいと周りの大人たちが働きかけているのか、もしかすると雑渡が何か言ったのかもしれない。

なまえにはその実際のところは分からなかったが、日を追う事に彼の顔色が良くなっていることには気付いていた。若さゆえに多少の無茶ができるとは言え、さすがに限界というものはある。眠たそうに目をこする姿を最近は見なくなったな、と子どもらしい血色の良い頬を眺めてなまえはこっそり安堵の息をついた。

そうやって元気になっていったのは何も尊奈門だけではない。雑渡も順調に回復し、最近は上体を起こせるまでになっていた。起き上がるにはまだ介助が必要ではあるが、その体勢を保てるようになっただけでもかなりの進歩と言えるだろう。

「そろそろ私が教えられることもなくなってきたなぁ」
「えっ、」

なまえが不意に呟いた言葉に、尊奈門は戸惑った顔で彼女を見上げた。

「まさか、ここにはもう来ないつもりなのか?」

そう言ってまるで捨てられた子犬のような顔で見つめてくる彼に、なまえは「それは私がどうこうできるものじゃないよ」とくすくす笑った。

「ただ、私がここに来るようになった理由が小頭さんを助けるためだったとしたら……そろそろ御役御免なのかなと思ってさ」
「まだ小頭は回復しきってないだろう! 動くことも……食事だってままならないのに。教えてもらいたいことはまだまだ山ほどある!」
「……リハビリと治療食かぁ。これはまた専門外……」

んんん、と考え込むようになまえは首を捻った。リハビリはもう少し先のことだから今は置いておくとして、食事については確かに教えられることも多いだろう。

とはいえ、あくまで看護師である彼女に治療食の専門的な知識はない。なまえに経験があるのは、入院患者への配膳くらいのものだ。作ったことはおろか、献立を考えたこともない。

しかし、現代では義務教育で習うような基礎的な栄養学の知識でさえ、この時代では革新的なものとなり得る。

「勉強しておくから少し待ってね」

そう言った彼女が実際に食事の指南をするようになったのは、それから半月が過ぎた頃だった。

   ◇

言わずもがな、食事というのは病人怪我人のみならず、誰にとっても必須のものである。もともとは雑渡の治療食のために授けられた知識だったのだが、尊奈門が厨房の者に良かれと思って助言したのを皮切りに、それは瞬く間に城中へと広まっていった。

「赤い食べ物は体を強くし、黄色は力の源となり、緑は不調を防ぐ……とかなんとか。ところで、黄色の食べ物とは何だ? 卵か?」
「いや、卵は赤の部類だろう。黄色は米や麦だったはず」

最近では、元服したばかりの忍者見習いから引退前の古参の忍びに至るまで、皆が皆こんな調子なのである。その会話は、なまえからすればまるでテストを控えた小学生たちのように見えただろう。

しかし雑渡の部屋から出ることのない彼女は、自身の授けた知識がこんなことになっていようとは知る由もなかった。

さらには、尊奈門の助言を取り入れた者たちの健康が目に見えて改善すると、誰ともなく囁かれるようになった──「尊奈門が見ていたあれは神仏のお導きではないか」と。半月ほど前、上層部の会議に上がった薬師如来の遣い≠フ件については他言無用──つまりは上層部だけに留めることが決定されたにも関わらず、だ。城内ひいては領内にいらぬ混乱を招かぬための策であったのだが、全く別の経路から、全く同じ答えへと辿りついてしまったのである。

「雑渡小頭が生き延びたのも、尊奈門が見えない誰か≠ニ話をしていたのも、すべては神のお導きか……」

尊奈門にとってもこれは想定外の展開だった。なまえの存在が神格化されつつあるのを感じ、漠然とした不安を覚えた。

皮肉なことに、「薬師如来の遣い」と最初に口にしたのは他でもない尊奈門である。あれは確か、なまえが現れるようになってすぐの頃だった。彼女の存在に勘づいた雑渡に、尊奈門が咄嗟にそう説明したのだ。

しかし、あれは方便に過ぎなかった。大火傷を負い、寝たきりとなった雑渡の不安を和らげたかっただけなのだ。「なまえは怪しい者ではない」と信じてもらうため、そして「医術に長けた彼女がついているから必ず助かる」という希望を与えたいがために、薬師如来の名を借りたに過ぎない。​​​​​​​​​​​​​​​​

嘘から出た実、​とはこういうことを言うのだろう。ここしばらくで、尊奈門は「神の寵児」として忍びたちに認識されるようになっていた。

「父の体調が悪く、先月から咳が止まらんのだ……何か知恵を授けてもらえまいか」
「息子の高熱が引かなくてな、どうにかしてやれんか」
「先日の忍務で受けた傷が悪化して──」

いつしか神の寵児、もとい尊奈門のもとには日々誰かしらが相談に訪れるようになり、彼はこの状況にほとほと困り果てていた。組頭によって早々に箝口令が敷かれたため、この噂が忍び達の間だけに留まっていることは不幸中の幸いか。

何せ彼は、雑渡の治療以外の分野は素人同然なのである。なまえのことだから聞けば何かしら教えてくれるのだろうが、これ以上彼女に負担をかける事は避けたかった。そうして結局、

「あの御方は小頭の大火傷を治すために降りてきてくださったのであって、おれもそのための手足でしかない。あまり期待はしないで欲しい」

とまぁ、かいつまんで言うとそういう話に落ち着かせることになった。元来神とは気まぐれなもので、城の者たちもそれである程度は納得したようだった。が、これにより「やはり尊奈門は見ていたものは神仏の類だったのか」と、話がより真実味を帯びてしまう結果となった。

現代社会では一介の医療従事者に過ぎなかった女性が、ここでは神の座に祀り上げられてしまったのである。それも、本人の全くあずかり知らぬところで。

ついには、

「祠!? 待って、何でそんな話になってるの!?」
「すまない……おれが教えたことが広まりすぎて……」

と、噂話はここまで発展していた。尊奈門曰く、今や「神を祀るには相応の儀式も必要だろう」と、忍び達が真剣に議論しているらしい。

「儀式!? 儀式って何をするつもりなの……」
「地鎮祭と、遷宮の儀と……」
「絶っっ対にやめて!」

なまえは頭を抱えた。ただ眠っている間にこの時代に来て、火傷の治療法を教えていただけなのに。それがいつの間にか「知恵を授ける神」として祀られることになろうとは。話を聞く限り、雑渡への崇拝に近い敬意がもたらした面も大きいようだった。「あの・・雑渡小頭を救ってくれたのだから」と、なまえへの感謝の念も尋常ならざるものになっているとか。

「おれも全然知らなかったんだ……火傷ならまだしも、なんで他の病気や怪我のことまでおれに聞くのかと思っていたら……」
「だからって神様だなんて! それなら悪霊の方がまだ……荷が重すぎるよ」
「神様じゃなくて神の遣いだ。薬師如来は男の神様だから」
「どっちも一緒だよ!」

唯一神≠フ正体を知る尊奈門は、ちらりと彼女──寝間着姿ですっぴんの──を見て、確かに祠はやりすぎだと思った。彼女への感謝の気持ちは当然あるのだが、尊奈門にとってなまえは神というよりもっと身近な、言うなれば近所の頼れるお姉さんのような感覚だったのだ。

二人は困り果てた表情で見つめ合った。この神格化をどうすれば止められるのか。あるいは止めるべきなのか。その答えはどちらも持ち合わせていなかった。

しばらくの沈黙の後、尊奈門が小さな声で提案した。

「じゃあ、『あの御方はそんなことはお望みになっていない』とでも言って……」
「まずその『あの御方』扱いをやめようよ、ね? 諸泉くんが否定してくれたら、きっと皆信じてくれるよ。五百年後から来たただの一般人、って言ってさ」
「『五百年後から来た』がもう一般人じゃないだろ。それこそ神の領域だ」

ぐうの根も出ない正論に、なまえは深くうなだれる。

「そうかもしれないけど、そこをなんとか……。ここに来てる理由なんて私にも分からないのに……」

なまえは脱力したように視線を天井に向けた。そして勢いよく立ち上がると、寝間着の裾をぎゅっと握りしめて宣言する。

「とにかく! 祠とか儀式とかだけは止めて!そんなことをされるような人間じゃないから!私はただの看護師なの、看護師!」

焦りと恥ずかしさで頬を赤らめる彼女を尊奈門は上目がちに見つめて、おずおずと口を開いた。

「でも……誇らしいじゃないか。神の遣いだぞ」
「畏れ多いよ!」

なまえの心からの叫びが部屋に響き、尊奈門はびくりと肩を震わせた。その様子になまえははっと我に返り、大声を上げたことを誤魔化すようにコホンとひとつ咳払いをする。

「ま、まぁ……そういうわけで。絶対に阻止してね、お願いだから」
「…………頑張ってみる」

尊奈門は自信なさげにそう返した。人々の盛り上がりを直接目にしている彼は、それを食い止める難しさを肌で感じているのだろう。

果たしてこれらの会話が彼女の夢に影響したのだろうか。この日を境に、なまえがこの時代に現れる頻度が極端に減っていったのだった。

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ちんぷんかんぷん