星の名前を知らなくて
全身いたるところが激しい痛みと熱を訴え、頭が焼き切れてしまいそうだ。身を捩れば痛みが走り、身を捩らなければ痛みを逃がせない。一瞬意識が戻ってはまた気を失って、というのを何度も繰り返した。
天井を眺めた記憶はあれど、それがどのくらいの時間だったかも分からない。そもそも、この記憶が夢か現かすらも。
その両方に片足ずつ突っ込んだような感覚のなか、延々と誰かのうめき声がする。たぶんこれは自分の声なのだろう。ぼんやりした頭で、ぼんやりとそう理解する。
目を覚ませば激痛に焼かれ、この身体は苦痛を余すところなく拾い上げる。意識の覚醒は絶望の始まりでしかなかった。いっそこのまま眠り続けられたらどんなに良いかと思うのだが、しかし。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
この声が聞けなくなることは、この苦しみよりも耐え難いことのような気がしてならなかった。
◇
そんな日々を過ごして一体どれほどの月日が流れたのだろう。時間の感覚はほとんどなく、一日のようにも数年のようにも思えた。
この頃は段々と意識もはっきりして、気を失うような痛みも随分減った。それでも頭は強制的に眠りにつこうとする。きっと身体のあらゆる機能が治癒へと向けられているのだろう。おかげで一日の記憶は断片的な意識の合間に溶けていった。
そうして時々眠りから覚めるとき、必ずと言って良いほど傍には尊奈門の気配があった。きっと寝る間も惜しんで私の世話をしてくれているのだろう。こんな有様の人間の世話など、大の大人でも一日と経たずに逃げ出すだろうに。
(……尊奈門)
口にしたはずの言葉は音を捉えることもできず、ただの吐息と化した。ちゃぷちゃぷと木桶から鳴る些細な水の音にすら容易くかき消されてしまう。
そうしてまた、強烈な睡魔がやってくる。抗う理由もなくそれに身を委ねたとき、尊奈門の声が遠くに聞こえた。
「お前、また来たのか」
気配は尊奈門ひとりだったはずなのに。その隣にぼんやりと別の気配を感じて、そのまま私は眠りに落ちた。
◇
目を覚ます時、それから眠りに落ちる時。夢から現へ、現から夢へと飛び越えるその瞬間、見知らぬ気配を感じることがままあった。
それが目を覚ます時であればすかさず気配を探るのだが、未だそれを捉えたことはない。まるで水面に映る影のように、手を伸ばせば波紋とともに揺らぎ、たちまち消え失せてしまうのだ。ただ、心許ない余韻だけを残して。
気のせいと言えばそれまでだろう。単に夢の延長かもしれない。しかし、そういう時は決まって尊奈門の独り言が聞こえてくる。
「柳の樹皮? それなら薬にも入っているはずだが……確かめておく」
「えっ、炭は駄目なのか? カンセン? あぁ、前に言ってたキンってやつか」
「そろそろ桜の咲く頃じゃないのか」
一体誰と話をしているのか。こっそり視線を向けてみるも、やはりそこには尊奈門の姿しか見当たらない。
彼は木桶に向かって話しかけ、包帯を巻き直しながら難しい顔をし──自身の左隣、何もない空間に向かってじとりとした視線を送る。
もし尊奈門が見ている何かが、この世の者ではないとしたら?
「きっと、小頭のために神が遣いをくださったのでしょう」
彼岸と此岸の境界線を彷徨う私の存在が、尊奈門の視線の先にある何か≠呼び寄せてしまったとしたら。
「薬師如来の遣いに違いありません。ですから、大丈夫です。……小頭、大丈夫です」
この子を唆すお前は誰だ。この世に神や仏がいたとして、それらが私を救うはずもないだろう。
(この子まで連れて行ってくれるなよ)
お前は私を迎えに来たのだろう?
◇
「……しら……、小頭」
聞き慣れた声に目が覚める。意識が引っ張り上げられるその刹那、またあの気配がした。そして頭が冴える頃には綺麗さっぱり消えていた。まるで最初から何もなかったかのように。
「お休みのところすみません。……いま、少しよろしいですか?」
どこか固い声に視線を向ければ、正座してぴんと背筋を伸ばした尊奈門がじっとこちらを見下ろしていた。視線が絡み合うこと数秒、尊奈門が左隣を一瞥する。それからすぐに、彼の目は再び私を捉えた。
「近頃はお話もできるようになられたので、お身体の具合を聞いておきたいのですが。いくつか質問してもよろしいですか」
「……いいよ」
紡いだ言葉は掠れていたが、これまでの吐息のような声に比べれば随分ましだった。どうやら私の身体は着々と回復に向かっているらしい。
「どこが一番痛みますか?」
「んん……身体中、と言いたいところだけど……強いて言えば肺、かな」
「どういう痛みですか? ……ずきずき? それとも締め付けられるような感じですか」
「まるで医者みたいなことを聞くね」
うっと口篭る尊奈門に苦笑う。途端、ぴりっと頬に痛みが走った。
あまり虐めるのも可哀想かと、目を瞑って自分の身体に意識を向ける。
「そうだね……細かい棘が刺さるような感じか」
「……片方だけですか? 両方?」
「両方だが、特に左の痛みが強い」
その後も尊奈門はいくつか質問を続けた。まだ幼さの残るあどけない表情と口振り、しかし繰り出される質問はまるで経験豊かな医師のようで。
慢性的か一時的か。息を吸う時か吐く時か、それとも体勢を変えた時か。呼吸はしづらいか、痰は出るか。深呼吸はできるか、夜は眠れているか──尊奈門は断りを入れたのち、手のひらでそっと私の額に触れた。
「熱は……少し、ありそう……? 悪寒はありますか? 逆に、暑いとか」
「少し肌寒い」
尊奈門は慌てて衾を引っ掴んで私に被せると、「そういうのは早く言ってください!」と眉を釣り上げた。少々肌寒いくらいで大袈裟な、とは思ったものの、口には出さず「分かった」とだけ返した。
「……ちょっと、腕をお借りします」
尊奈門はむくれた顔をしつつ、慎重な手つきで私の右腕を取った。それから手首の辺りに指の腹を押し当てる。「もう少し下……? 左?」と独りごちる彼は、何かを探すようにもぞもぞ指を動かしている。
「尊奈門」
「は、はい」
私の腕に添えられた彼の手を取り、自分の首元へと連れていく。
「こっちの方が分かりやすい」
「え、」
「脈を測れと言われてるんだろう」
「…………」
「みょうじなまえ殿、だったか」
尊奈門の左隣に視線を移す。何もない空間のどこを見ればいいかも分からず、たぶんこの辺りだろうと勝手に予想して、尊奈門の頭ひとつ上辺りに焦点を定めた。
「そこにいるのか」
首に触れている手がぴくりと強ばる。少し間があって、「はい」と尊奈門は答えた。
「彼女はなんて?」
「……肺のまわりに炎症が起きている可能性がある、と」
「えんしょう?」
しばしの沈黙ののち、尊奈門は空いた方の手を膝の上で握りしめた。
「腫れて熱をもつことだそうです」
「ふぅん」
「……もし、息がもっと苦しくなったり、咳に血が混じったりしたら……すぐに教えてください」
言葉を続けるうちに、尊奈門の顔が少しずつ歪んでいく。ぎゅっと眉を寄せ、まるで何かに耐えるように。
「少し上体を起こしたほうが呼吸がしやすくなるそうです。……あとで追加の敷物を持ってきます」
「あぁ、頼む」
「くれぐれも……あまり、無理はしないよう……」
彼の目にじわじわと涙が浮かび始める。懸命に堪えようとしているようだったが、目の縁に溜まったそれは今にも溢れ出しそうだった。
「尊奈門」彼の手をやわく握りながら呼びかける。一拍置いて「はい」と揺らいだ声が返ってきた。
尊奈門がきゅっと唇を引き結ぶ。そうしてついに、涙はぼろりとこぼれ落ちた。
その様子を眺めながら、いつ見ても子どもの涙は不思議なものだ、と思った。私が最後に涙を流したのは一体いつだっただろうか。その純粋な感情表現は、むしろ私には器用に、そして遠い記憶のように映った。
「おいで」
握っていた小さな手を引き寄せる。躊躇いもなく寄り添った彼は、私の傷を労るようにほんのわずかに頭を預けた。
彼の背中にぽんと手を置けば、それは思ったより熱く、そして小さく震えていた。
「小頭……ありがとうございます……」
やがて、私の胸元に温かな湿りが広がっていった。