尾形くんを好きな宇佐美の幼なじみ



 尾形くんはかっこいい。
 猫を思わせる相貌はどこか野性味があるんだけど、あの温度を感じさせない真っ黒な瞳に怜悧さを感じるの。一見厳つい印象を与えるオールバックの髪型と顎の縫合傷も、彼の危うい色気を引き立ててるよね。イケメン、と形容するのは少し違うかっこよさなんだけど、それがかえって少し顔の整っただけのチャラい男たちとは一線を画しているんだよ。あの憂いげな雰囲気は十代が醸し出せるものじゃないもの。ビターチョコみまいな苦味のある甘い声も魅力的。この前の授業で尾形くんが教授に指されて日本国憲法を読み上げてたんだけど、悶えないように必死だったのは私だけじゃないはず。はあ、神様は尾形くんをこの世に生み出すときに贔屓し過ぎたんだ。……罪な男。でも私が地元の国立大と迷ってこの大学に進学したのは、尾形くんという人に出会うための天啓だったんだと思う。

「そういうわけなんですよ」
「んーごめん、全然聞いてなかった」
 同級生たちのくだらないインスタのストーリーを眺めながら僕は言った。それだって前回と同じようで少しずつ改変されていってるこの馬鹿げた力説を聞いてるよりはマシな時間のはずだ。

 目の前の彼女が口をすぼめる。いや、何でお前が拗ねるの。三限空きコマのひと時に、何で百之助の話なんか聞かされなきゃならないんだよ。

「いいなー、時重はいつも尾形くんの近くにいれて。私も経営学部にすればよかった」
 頬杖をつきながらアイスカフェラテのストローでグラスの中を回しているこいつは、同郷の幼なじみだ。学部が違うとキャンパス内で顔を合わせることも少ないが、こうしてたまに二人でカフェに入っては互いの近況を話している。学祭の実行委員にアルバイトに、忙しい学生生活を送っている僕にとって、このどこかほっとする時間はまあ、嫌いじゃなかった。

 でも、「時重! さっき尾形くんと歩いてたよね!? 仲良いの!?」と血相を変えて詰め寄ってきたあの日から全てが一変した。
 尾形百之助とは講義のグループワークで一緒になってから何かとつるむようになった。まあ、あの根暗で偏屈な性分では僕ぐらいしか構ってやる奴もいないし。

 口を開けば尾形くん尾形くんと、百之助の話しかしなくなったことに僕はうんざりしている。
 だからお前が憧れてるような奴じゃないと何度も説き伏せてやった。義理の弟を偶然駅で見かけた時に柱の後ろに隠れてたこと。客に皮肉を言ってファミレスのアルバイトをクビになったこと。
 それでも、「あれでシャイな一面もあるなんてますます魅力的じゃん」「さすが尾形くん! 咄嗟の皮肉って頭が良くないと言えないもんね」って何でもあいつを褒めちぎる言葉に変えていく。たとえこいつは目の前で百之助に嘔吐されたとしても賞賛の要素を見つけるんだろう。

「法学だっけ? 百之助と被ってる授業」
「そう。まあ講義受けてる生徒百人以上いるから、尾形くんは私の事なんか知らないだろうけど」
「話しかけてみればいいじゃん。あ、でも待って。それ面白いから僕も見てたい」
「ダメダメ! 私なんかと絡む尾形くんは解釈違いだから。あの美しさを後ろから拝めるだけで幸せなの」
「うるさいよ! さっさと絡んでその幻想捨ててこいよ!」

 理解不能な心理に呆れていると予鈴が鳴った。立ち上がって、お互いの四限の講義に向かう。カフェテリアを出る時、堂々と手を繋いで歩く実行委員の先輩二人とすれ違った。お熱いことで。
「尾形くん、恋人とかいるのかな」
 ぽつりと言ったこいつに、僕は思わず吹き出した。
「いるわけないじゃんあの唐変木に。少なくともうちの学部の女子にそんな物好きはいなさそうだよ」
「……そっか」

 初夏の風が、彼女の髪を靡かせる。今の髪色に変えた日、「おかしくないかな?」って照れくさそうに聞いてきたこいつは、昔を知ってる僕からしたらだいぶ垢抜けた。
 お前、今自分がどんな表情してるか、分かってないだろ。

 もしこいつに彼氏ができて、今までみたく僕と二人で会うこともできなくなったとしたら。やっぱり少しは寂しくなるのかな。
 僕、こいつ以外の女友達っていないんだね。女の子って少し優しくすると、みんな期待してくるから。でもこいつだけはずっと、友達でいてくれてる。
 だから寂しくても、嬉しいと思うよ。お前に大事な人ができるから。
 ま、相手が百之助っていうのは気に食わないけど。

「あ、百之助じゃん」
「え、どこ!?」
 並木道の向こうから歩いてくるあいつを見つけるなり、彼女の頬がみるみる染っていく。
 全く、学内に男子がいくらでもいるのに、なんで百之助なんだろ。

「僕、紹介してあげるからさ。連絡先交換しなよ」
 上手くいったら今度学食でも奢ってもらおう。
「ダメでしょ」
 惚けた顔をしていた彼女は、眉をしかめて僕に振り向いた。
「え?」
「いや、今日一限始まる十分前に起きてさ。慌ててたからこの毛玉ついたワンピースで来ちゃったんだもん。こんな服で尾形くんの前に出れるわけないじゃん!」
「……こんな服で僕とはずっと一緒にいたのに」
「時重はいいの。ダサい私を見られても、失うものとかないし」
 腹立つこいつ! 幼なじみだからって事なんだろうけど、なんか腹立つ! 取り持ってやろうとした僕が馬鹿だった。

「だったら百之助に! お前が一番ブスに撮れてる写真見せてやるよ!」
「ギャー! やめて! 芋ダサだった中学時代のやつは勘弁して!」
 あいつだって絶対中学時代芋だっただろ。
 彼女と悶着していると、「おい」と気怠げな声が届いた。

「やかましい声が聞こえてきたと思ったらお前かよ宇佐美。次講義だろ。」
 鬱陶しそうに前髪をかきあげる百之助にいらっとする。この前この仕草について彼女が饒舌に語っていたからだ。案の定、彼女は口元を抑えて歓喜に打ち震えている。
 まあ、この状況なら話が早いか。

「こいつ、僕の幼なじみ。百之助と仲良くなりたいんだってさ」
「ちょ! 時重!?」
「ほら、講義間に合わないからさっさとして」
 彼女の背中をそっと前へ押す。強引だけど、こうでもしないとこの先もずっとあの馬鹿げたプレゼンを聞かされるのは僕だし。
 肩を竦めて俯いていた彼女は、観念したように顔を上げた。

「でゅ、でゅ……、ども、はっ、、はじめまひ、」
 いや、誰こいつ。
 耳まで茹でダコみたいに真っ赤になってるし。一昔前のコミュ障のオタクみたいな話し方になってるこいつ、十数年一緒にいて初めて見るんだけど。
 百之助は意外にも苛立つ素振りを見せないでじっと彼女を見ていた。でも言葉につっかえる彼女は自分の名前すら名乗れない。すると、百之助が来た方向から、彼女とよく一緒にいる女の子がこっちに駆け寄ってきた。

「名前! 講義遅れちゃうよ。あ、宇佐美くんこんにちは!」
「こんにちはー」
 こりゃ仕切り直しだな。「また改めて紹介するよ」と言うと、百之助が短いため息をついた。おいやめろ、僕が悪かったけど。

 しょんぼりと肩を落とす彼女のためにも後でフォローしなきゃと思っていると。僕は目を疑った。百之助が、彼女の耳に何か囁くように口を近づけるのだから。僕は全神経を、その音を拾うことに集中する。

「法学の時にまたな、苗字さん」
 息を呑む彼女にふっと頬を緩めた百之助は、唖然とする僕を置いて講義棟へと向かっていく。

 僕は今日まで彼女の事を、少なくとも名前を百之助には教えていない。
 歓喜に目が潤んでいく彼女には、呼びかける友達の声も聞こえていないようだった。耐えきれなかったように脱力して、その場にへたりこむ。

「好き……」
「はあー!?」
 やっぱり百之助なんて気に食わない。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る