いい夫婦の日



 キッチンに立っていると聞こえてくる、ドアノブが回る音が好き。待っていれば帰ってくる人がいる。左手薬指にはめた証と同じく、当たり前になりつつある幸せの音に、私の心は確かに安心を覚えるからだ。

「おかえりなさい。餃子焼くから、先着替えてて」
 リビングに入ってきた百ちゃんに微笑んで、すぐに冷蔵庫へ向かった。待機していた、包んだ餃子の乗ったバットを取り出す。詰めすぎて端から具が漏れてる餃子を百ちゃんに笑われた前回より、かなり綺麗にヒダを作れたな。

 るんるんで振り返ると、百ちゃんがすぐ後ろに立っているものだから驚いた。寒い外を歩いてきたからか頬が少し赤くなっている百ちゃんは、取っ手のついた白い箱を、私にぐいっと差し出した。

 バッドを調理台に置いて箱を受け取る。開き口には、駅前にある人気の洋菓子店のシールが貼ってある。
「ケーキ?ありがとう!」
 思わぬデザートに喜ぶ私を見て、百ちゃんの表情がほわりと緩んだ。微妙な変化だけど、これが彼の笑顔の一つだということを、私は知っている。

「でもどうしたの?ここ、百ちゃんの会社からだと反対方向じゃん」
 仕事終わりに寒空の下を歩いてわざわざ買いに行ってくれたことが、嬉しくて、少し申し訳なかった。
「……別に、近く寄っただけだ」
 何だか拗ねたように視線を逸らしてドアへと向かっていく百ちゃんに怪訝に思って首を傾げる。

 私がこのお店のケーキが好きだってよく言ってるから買いに行ったのに、ってことかな。
 もう一度冷蔵庫を開けて箱を中に入れる。一個は今日食べて、残ったら贅沢だけど明日の朝食べようかな。

 休日をケーキで優雅に始められることに心が弾む。週の真ん中の休みを喜びながら、ふと、壁に貼られたカレンダーを見た私は「あ!」と声を上げた。


 寝室へ行くと、百ちゃんがスーツからスウェットに着替えたところだった。
「今行くぞ」
 呼びに来たと思ったのだろう百ちゃんの背中に、思い切り抱きつく。体躯がいい彼は、少しよろめいたけど、背中でしっかり私を受け止めてくれた。
「ありがと、百ちゃん」
「……」
「いい夫婦だもんね、うちら」
 こっちを向こうとしない百ちゃんの表情は見えないけど、耳が真っ赤に染まっている。こういう照れ屋なところ、結婚しても変わらないね。

 記念日とか節目になんて頓着のなさそうな百ちゃんは、この当たり前になりつつある幸せが続く、小さな努力を欠かさないでくれる。そんなところも愛おしくて、私は彼の顔をのぞきこんだ。

「明日休みだし、今夜は夜更かししちゃおうか」
「“いい夫婦の日”だしな」
「……そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
 不敵に笑った百ちゃんは、薬指に銀色を輝かせた左手で私の頭を優しく撫でた。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る