その週末、私たちは漫喫デートをした




 風が冷たい。日差しが温かいから寒さは感じないと思ったけど、高層ビルの間から吹き抜けてくる冬の風はやっぱり肌を締め付ける。
 久しぶりに会社の屋上へ来た。一月の今はここでお弁当を食べてる人はいない。つまり私と、私を呼び出した尾形だけがここにいる。尾形に呼び出されたとなれば、いつも彼に上目遣いで微笑んでる女の子たちは胸を高鳴らせて階段を昇るんだろう。念入りなメイク直しを済ませて。でも私は今日彼に呼び出されることを出社前から察していたし、それにときめくどころか苛立ちを募らせている。

「昨日はその、すまなかった」
 尾形がバツが悪そうに俯いて言った。尾形なりに勇気がいっただろう。同期入社の彼とは四年の付き合いになるけど、こんな機嫌を伺うような怯えた目で見てくるのは初めてだ。余計いらついて「はあ」と聞こえるようにため息をついてやった。


 昨夜。気分よく水曜の夜を過ごしていた私のところへ、尾形からの着信が鳴った。
毎日会社で顔を合わせている尾形から電話がかかってくるなんて初めてで、緊張しながら応答のボタンを押した。

「はい」
「今何やってんだ」
 尾形の声だ。でもいつもの色気が崩れたような、何だかだらしない声。
「家で漫画読んでるけど」
「漫画?どうせお前また、根暗が読むような漫画読んでんだろ」

 呂律の回らない声の後ろで笑い声が聞こえてくる。宇佐美だ。それで分かった。こいつら、どこかで飲んで酔っ払って電話してきてるんだ。
 漫画の世界に入り込んでいた高揚感が冷めていく。酒くささがスマホ越しに伝わってくるような気がした。

「用ないなら切るけど?」
「待て待て。お前あれ、あいつ、杉元のこと好きなのか?」
「は?なに急に。」
 唐突な後輩の名前で素っ頓狂な声が出た。杉元くんは私たちの二年下の後輩だ。整った容姿と快活さで尾形とは違う女子票を集める彼と、少女漫画の趣味が合うことで最近話が弾むようになった。

「あいつはなぁ、お前の前で猫かぶってるだけだからな。今日もハイエナみたいな目でお前のこと見てたぞ」
「そんなわけないじゃん。杉元くんだよ?」
「……やっぱ好きなんだろ」
「そうじゃなくて!お互い何とも思ってないって言ってるの」
 何このめんどくさい人。たしかに杉元くんは尾形とはあまり反りが合わないと思ってたけど、こんな言われ方する覚えないでしょ。

「じゃあ俺は」
「え?」
「俺のことはどう思ってるんだよ」
 後ろからの笑いがヒィヒィと苦しそうな声に変わっている。酔って気が大きくなった男と、それを面白がってる酔った男。まあ宇佐美は強いから殆どシラフだろうけど。
「意気地なし」
 付き合いきれない私は通話を切ってまた漫画を読み始めた。『青野くんに触りたいから死にたい』は根暗が読む漫画じゃない。



 あと十分で休憩が終わる。一夜明けて酔いが覚めきった尾形は私に弁解すべく、中学のグランドを彷彿とさせるこの屋上に呼び出したのだろう。青くさいったらない。

「電話は、宇佐美がお前にかけろって言って」
「人のせいにするのよくないと思うけど」
 容赦ない返しに尾形が口を噤んで、誤魔化すように前髪を撫でつける。そういうところだよ。お酒のせい。人のせい。こっちはとっくに察しているのに、真っ向から向き合おうとしない。

 私が何に怒ってるかって、電話で口説いてこようとしたことじゃない。私に断られたとしても「本気じゃない」っていう予防線を張っている、酔った状態で口説いてきてるのが腹が立つの。そんなのフェアじゃない。

「もう行くから私」
 踵を返して扉へ向かう。すると手首が、慌てた尾形によって掴まれた。
「ふざけてたわけじゃない」
 振り返ったら飼い主に今にも捨てられる子犬みたいな尾形と目が合って、急に後ろめたさがわいた。

「酔って調子に乗ってたのは事実だ。でもお前を揶揄うつもりでかけてない」
「それはまあ、分かってるけど」
「最近、お前が杉元とよくいるから、」
 尾形を持て囃してる会社の女の子たちは知らないだろう。いつも余裕たっぷりなすかした男の、こんな情けない姿を。でも、情けないところを知っていても尚、私はどんどん尾形から目が離せなくなっている。
 お互い面倒な性分だね。

「昨日の電話の話。杉元くんのことは趣味が合う後輩として話してると楽しいだけで、尾形が勘ぐってるような感情はないよ」
 ポーカーフェイスを気取ってるこの男は案外分かりやすい。今も表情を緩ませて、私に安堵していることを伝えてしまう。

「もう一つ。それを聞きたいならまず自分のことから話すべきなんじゃないの?」
 そしてまた視線を俯けて狼狽えてしまう臆病者。
いい加減待ちくたびれたんだから。そろそろビシッと決めてよ。

 俯いて口をもごもごさせていた尾形が、心を決めたように私をまっすぐに瞳に映した。
「俺は、お前のこと――」




冷たいラブロマンスを抱いて眠る