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 飲みすぎた自覚はあった。
 雲の上でも歩いてるかのようなふわふわとした酔いに包まれて店を出た。心地よい春の夜風が頬を撫でる。金曜の夜らしい駅前の陽気なざわめきで、何だかまた気分が良くなっていく。

 久しぶりに集まった大学の同級生たち。忙しい社会人生活を送りながらも、あの頃と変わらない彼らと笑い合う時間はあっという間だった。お店の前で自然と輪になった私たちに、幹事の男の子が二次会の出欠を取っている。帰りは方向が同じ男子が私をタクシーで送っていくと言うから、送り狼になるつもりだと友人たちが野次を飛ばす。全然そんな奴じゃないし、それを分かっているから私も一緒に笑っていた。

 ここで帰ってしまうのも名残惜しくて「じゃあ参加しようかな」と手を上げた時。
 後ろから短いクラクションが鳴り響いた。お礼や道を譲る時のような軽やかな音じゃない、何かに抗議しているような強い音。振り向くと、見慣れた黒のセダンが。そしてその運転席から、彼氏の百ちゃんが私を恨めしそうに見ているではないか。

 会う約束は明日なのに。飲み会中に写真は送ったけど、まさか迎えに来るなんて。さっと酔いが冷めて、狼狽える私をよそに友人たちが色めき立つ。彼氏が来たことで潔く私を帰らせようとするみんなに手を振って車へ向かう間も、百ちゃんはずっと面白くない顔をしていた。

「びっくりした。待っててくれてたの?」
 ドアを閉めた私が明るく努めても百ちゃんは答えない。みんなに見送られながら、車が夜の街に滑り出す。気まずいほど静かに。定位置になっている助手席はいつも座り心地がいいのに、今は一分一秒の沈黙がここに座る私を責めている。

 何もやましいことなんてない。まあ、男の子に送ってもらおうとしていたのは軽率だったかもしれないけど。
「着いた、って送った」
 慌ててスマホを見ると、たしかにメッセージの通知がきていた。しかもそこから三十分過ぎている。
「ごめん、気づかなかった」
 よく夜にドライブに連れて行ってくれる彼は繁華街を走りたがらない。夜の郊外や海沿いを走る百ちゃんの楽しそうな横顔が好きで、ハンドルで静寂を泳ぐ彼を見ているだけで私は飽きない。でも今は、チカチカした窓の外の光に苛立っているのが伝わってくる。

 何も言わず迎えに来て、メッセージを返さない恋人を待っていたなんて。まるで私がひどい女みたいだ。仲間たちとの久々の再会を楽しんでただけなのに。

「まだ飲むつもりだったんだろ?邪魔して悪かったな」
 不貞腐れたように百ちゃんが言った。交差点の赤信号の前で車が止まる。彼が頻繁に手入れしている車には、ダッシュボードに塵ひとつさえない。付き合う前のデートでこの愛車についてちょっと自慢げに語った百ちゃんは、我に返ったように「すいません、こんな話つまらないですよね」と言って首をかいた。私にとっては、それまで物静かで表情もあまり動かなかった「尾形さん」の人間らしさが見えたのが嬉しくて、全然車のことなんて分からなかったのに、もっと話してほしいとお願いしたのを覚えている。

 こんなにかっこいい人いないのに。男の子のいる飲み会に行く恋人が心配で、さりげなくメッセージの中で聞いた場所に何も言わず迎えに来てしまうんだ。

「百ちゃん」
 百ちゃんがこっちへ振り向く。運転席へとシートから身を乗り出して、彼の頬に口付けた。さすがに口は難しかったから。でも頬にすることってなかなかないし、逆にちょっと照れくさい。百ちゃんは何が起きたか分からないように目をぱちくりして、いつもより大胆な恋人を見つめている。

「えへへ。迎え来てくれてありがとう」
「おま……。そうやれば俺の機嫌が直ると思ってるのかよ」
「顔赤いよ」
「うるせえぞ酔っ払い」

 たじろぐ百ちゃんが、まだ発進しない車のハンドルを握りしめる。前を睨めつけても口元がみるみる緩んでいくからおかしくて、私も肩を震わせて笑いを堪えるしかなかった。

「あとで覚えとけよ」
「え?」
信号が青に変わった。車が静かに滑り出す。
街の喧騒が遠のいていく。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る