脱衣所セックスする話



「これ入ってたけど」
 茶化すように言ったつもりだ。尾形の顔が凍りつく。彼に渡したそれはとても華やかな名刺は、クリーニングに持っていく前の確認で私が見つけた。

 私からもお姉さんの名前からも目を逸らした尾形は、「ああ」とか「いや」とかもごもご呟いた後、案の定言い訳の常套句を口にした。
「付き合いで行った」
「先週でしょ」
 尾形が押し黙る。会社の飲み会があっても一次会で帰ることが殆どの彼が、珍しく十二時近くまで帰らなかったから心配した。出迎えた彼に不自然なところはなかったのに。

「取引先とな。捨てようと思って忘れたんだ」
「ふーん」
「何だよ。行きたくて行ったわけじゃねえよ」
「でも付き合いならまた行くんでしょ」
「俺だって断りたかったんだ」
 怒るつもりなんてなかったものの、額に手を当ててため息をつく尾形にやっぱり腹が立ってくる。次の日はオープンしたばかりのカフェでモーニングを食べに行く予定だったけど、尾形が疲れてたからやめにしたのだ。

 リビングに軽快な音が鳴る。いやな雰囲気になってきた私たちに関係なく、お風呂が沸いたことを知らせるメロディ。
「いいよ、先入って」
 名刺を渡した時の余裕なんて忘れて冷たく言った。一緒に暮らし始めた時、週末は一緒にお風呂に入ることを約束した。尾形は何か言いたそうに私を見ていたけど、立ち上がると黙って脱衣場に向かった。

 胸がすいたのはちょっとだけ。あとはな幼稚な嫉妬に自己嫌悪してソファに沈み込んだ。ローテーブルの上の尾形のスマホが光る。こうしていつも表向きに置いていく彼に、浮気を心配したことなんて一度もない。同棲を始めてからも尾形は、誰と会うか、何時に帰ってくるか期待していたよりずっとまめに連絡してくれる。あの日も遅くなる旨のメッセージは来ていた。仕事なら仕方ないことだと頭では分かっているし、困らせたいわけじゃない。ただ、お姉さんたちに接待された時、私を忘れていたんじゃないか不安なだけ。

 取引先の人、もう誘わないでほしい。
 立ち上がって、音がしない脱衣場へなんとなく忍び
足で近づいた。引き戸が中途半端に開いていて、隙間から下着を下ろす尾形の後ろ姿が見える。肩幅が広くて白い背中。少し浮き出た肩甲骨。ほどよく筋肉のついた二の腕。いつもは静かな色気を纏う男だ。一糸まとわぬ姿になるとその色気が香り立って、自分がそこへ腕を回しているときの熱を思い出してしまう。
 ふと振り向いた尾形が私の存在に驚き肩を震わせた。「何だよ」とでも言えばいいのに、固い表情のまま黙って私の様子を伺うから、今度は私が視線を泳がせてしまう。

「やっぱり一緒に入る」
 色んな恥ずかしさで蚊が鳴くような声になってしまった。しかし、耳に届いたのだろう尾形が扉の前へきて、私の手首を掴む。強引なくせに、どこか子供が母親の腕を引くような甘えた腕に引かれて、乱れた足音を立てて脱衣場に吸い込まれた。

 戸惑う隙なんて与えないように性急に唇を塞がれる。洗面台の硬い陶器がお尻にぶつかって、そのまま仰向けに倒されてしまうのではないかというくらいの、覆い被さるような勢いのキスを必死で受け止める。ベッドやソファで戯れるときの優しいキスが好きなのに、身体の芯はずっと早く熱を帯びていく。のぼせていく頭では、なぜこんなことになってるのか我に返る思考すらままならない。
 
 ルームウェアの裾に入った手が肌をまさぐる。くびれを撫であげる手つきが気持ちいい。唇を離した尾形が屈んで臍へと口付けて、服をたくし上げた。厚い舌が火照った肌に湿度を与える。思わず声を漏らしてしまった私に、猫の目が意地悪く細まった。すっかり尾形からの刺激にほだされしまっている私は、せり上がってくる愛撫のひとつひとつに震えながらも期待してしまう。私の身体を知り尽くしている尾形は、もどかしささえ覚える手つきで、口付けで、ゆっくりと恍惚を与えていく。

「脱げねえだろ」
 腕を上げるよう促されて、今さら羞恥を覚えながら、服を頭まで捲り上げられる。裏返った服の中で腕を動かしていると、ブラジャーの中に手を捩じ込ませた尾形が、先端をきゅっと摘み上げた。

「あっ、ダメ、っ」
 尾形の口角が上がったのが、見えないけど分かった。身動きが取れない私が制止をかけても、硬い指が不埒に動き続ける。早く脱ぎたいのに力が入らない。くぐもった声をあげる私にお構いなしに、背中に回った手が慣れた早さで留め具を外す。締め付けるものがなくなった胸が好き勝手に揉みしだかれる。手つきにしたがって荒くなっていく呼吸が尾形の興奮を伝えて、下腹部が切なく疼いた。舌が這う感触。微弱な電流でも流されたかのような甘い痺れが襲う。倒れこまないよう抱きかかえる尾形の腕に戻されて、わざとらしく音を立てて吸い付かれる。

「おがた、やめて、んっ、ちょっとやめて、」
「いつまでそうやってるんだ?」
「おがたがっ! ぬがせてくれ、あっ、」
 愉しんでいる尾形にむっとして、もたつきながらもようやく服を抜き取った。呼吸を乱した私の肩から、尾形がブラジャーも外して床に投げ捨てる。いやに明るい照明の下に晒された裸が恥ずかしくて覆い隠そうとしたのに、両手を掴んだ尾形に阻まれる。寡黙な瞳に灯った劣情が私を見つめて、恥ずかしくて溶けてしまいそう。

「お風呂入ろうよ」
「風呂だと嫌がるだろ、お前」
「そうじゃなくてっ、おふろ、入ってからが、ぁあ!」
 首筋に顔を寄せた尾形がそこを食む。有無を言わさぬように。片方の手が胸に触れて先端を弄るから、声にならない声を響かせて尾形の肩に顔を埋めた。生活を共にしてからも、こうして鼻をくっつければ尾形からは尾形の香りがする。セックスのときの汗ばんだ肌の匂いも好き。熟れて重くなっていく下腹部に、既に反り上がった尾形の自身が押し付けられる。

 ショートパンツに手をかけて下着ごと下ろした尾形の手つきは余裕がなかった。今度は足元まで屈んで脱がせてくれた尾形が、じくじくと熱くなったそこへ顔を近づける。
「それやだっ、」
「あ? じゃあ後ろ向けよ」
 腰を回されて反転させられる。鏡に映る、快感を落とし込まれて頬を紅潮させた自分。これならまだお風呂の方がいいんだけど。下から覗き込むように顔を寄せた尾形がお尻を持ちあげて、開いたそこを吸い始めた。

「あっ、んん、ふ、はぁ、ん、っ、ぅ、」
 押し寄せてきた大きな快楽の波にあっけなく飲み込まれた。立っているのがやっとな私は、背中をしならせながら洗面台の両脇を必死で掴み快感に耐えている。ベッドの中でも恥ずかしいのに。こんな見せつけているような体勢、いやなのに。意思とは裏腹に、太腿で尾形を逃がさないよう挟んでしまう。

「尾形、もう、むりっ、むりぃ、へんになっちゃうぅん゛ン、」
「ケツ突き出しながら言っても説得力ねえんだよ」
 前見てろ。
 尾形が言うなり、長い指が中を潜っていく。頬を上気させて生理的な涙を浮かべた自分がはしたなく乱れて、奥を掻いたり出し入れする動きに小刻みに身体を震わせている。 もう片方の手で突起を摘まれた瞬間、

「あっ、ああ、っ、ひいっ、ああっ!!」
 洗面台に硬い音が響いた。快感に耐えれず離してしまった手で、並べていたいくつかのボトルを倒して転がしていた。でも今はそんなことどうでもいい。仰け反らせた上半身からぐったりと力が抜けて、ガクガクと膝が笑っている。立ち上がった尾形の自身が触れて、回らない頭に残った理性で振り返った。

「ゴムッ、持ってこないと」
 辛抱ならないように息を吐いた尾形が、すぐに向かいの寝室へ取りに行った。熱を持て余した身体がその場にへたり込む。お風呂に入るつもりだったのに。湯気立つ浴室から扉一枚隔てたところで、何やってんだろ私たち。でも、このシチュエーションに昂りを覚えている淫らな自分がいることも、尾形にはきっとバレている。

 戻ってきた尾形は跪いた私を見て、せがむように後頭部に手を回した。私も自然と男根の先端に口付ける。柔らかく唇で包み込んで、脈に舌を沿わせながら前後すると、尾形はうっとりとした息を吐きながら私の頭を撫でた。そっと見上げた先で、快感にゆるんだ目が見下ろしている。嬉しくて動きを早めたら、堪える声を漏らした尾形は両手で私の頭を抑えた。

「っ、もういい」
 二の腕を掴まれ立ち上がり、再び洗面台に手をつく。避妊具をつけた尾形が後ろから私の腰を掴んだ。宛てがわれた硬さに緊張して、焦らすように擦り付けられる刺激にまた腰を揺らしてしまう。もったいつける尾形に痺れを切らして振り向こうとした時。

「っああああ……!!」
 目の前に白い光がバチバチと飛び散った。呼吸が喉元でつかえる。一気に貫かれた身体は弓なりにしなって、圧倒的な質量を迎え入れた快感に歓喜して震えた。焦点の合わない目で前を見たら尾形の口元が歪んで、あ、まずいと、彼の思惑を悟る。

 案の定、達した私が落ち着く間もなく尾形は律動を始めた。好きに動かしているようで一定のリズムで入り込んでくる自身は、私の弱いところを穿って絶頂から降りれなくする。
「あっ、あん、お゛、んっ、ん、」
「あ゛ー、すげえ締まる、っ」
「らめっ、も、もおイッて、あ゛、あ゛、んン」
 貪られるがままにだらしない喘ぎ声が零れる。過多な快楽に脳が痺れていくセックスに、存外甘ったるいセックスをするいつもの尾形はいない。目の前の女をもっと鳴かせようと、貪欲に激しく腰を打ち付けている。

「ほら、見てみろ」
 鏡越しに私を犯す尾形と目が合う。動物の交尾と変わらない姿にもう恥じらいはなく、そこに映っているのは雄との快楽を求める雌の自分だった。
 尾形の手が両腕を掴み、後ろへと引っぱられて身体が仰け反った。突き上げる角度に眼球が天を向く。律動の度に胸が上下に揺れて、尾形の呼吸にも唸るような声が混じってくる。

「あッ、しゅ、しゅご、ひい、きもちぃ、んぁっ、」
「は、っ、最高だな」
 バチン、バチンと肌がぶつかる音が響く。腹の内側を執拗に擦られるとまた大きな快楽の波が押し寄せて、耐えられそうにない私はかぶりを振った。
「ダメっ、やだやだ、あ、ぁぁ、あぁっ、また、またいくっ」
「くそっ、もう出る、」

 追い打ちをかけようと速くなる律動。鏡に映った眉を寄せる苦しげな尾形の表情に愛おしさがこみ上げる。叫びながら大きく痙攣して達した後、動きを止めた尾形が数回、思い切り打ち付けて欲を吐き出した。避妊具越しの吐精に中がビクビクとひくつきながら、天に昇るようなオーガズムを享受する。

 鏡の中で呆けている顔に後ろから手が伸びる。振り向かせた尾形が唇を塞ぐから、繋がったまま、お互い乱れた呼吸で深いキスを交わした。私のよく知る、甘ったるいキス。
 
 ***
 
「明日モーニング行くか」
 私を腕に閉じ込めた尾形が言った。シャワーから水滴が落ちてタイルに跳ねる。力の入らない私を尾形が至れり尽くせり洗ってくれたが、次第に怪しい手つきになっていったことに抗議すると諦めて湯船に入った。

「ほんと? 嬉しい。覚えててくれたんだね」
「ちゃんと起きろよ」
「こっちの台詞だから」
 くたびれた脚に入浴剤の溶けた湯船が染み通る。尾形も好きな柑橘の香りは、まだまだ長い週末の夜の気分を盛り上げる。火照った身体にはちょっと熱すぎるお湯だけど、なじんだ定位置はしっくりきて、刺激的なシチュエーションからゆっくりと私たちを日常に戻していく。

「それとな」
 前に回った手を自分の手と重ね合わせていると、この空間には似合わない緊張を孕んだ声で尾形が切り出した。
「その、……ああいう店はなるべく断るようにする」
「いいよ別に。さっきは感情的になっちゃったけど、ちゃんと尾形のこと信じてるよ」
 強がっているわけじゃない。その度に尾形の気持ちを疑って確かめるよりも、彼の帰ってくる場所でい続ける方が大事だと思ったから。

「付き合いも大事なのは分かるし」
「お前に愛想尽かされる方が困るんだよ」
 尾形が頬に熱い唇を落とす。「好き」よりも彼らしい愛の言葉。返すかわりに身体を回して尾形に抱きついた。私たちの戯れに合わせてお湯が跳ねる。
 
 

 
仲直りまでの時間およそ二分




冷たいラブロマンスを抱いて眠る