背中合わせの夜



 
 充電コードを忘れないようにスーツケースにメモを貼った。
 リビングへ行って、ローテーブル上のガイドマップをバックに入れる前に最後に捲る。私が行きたいと話した美術館やカフェのページに、尾形が付箋を貼ってくれている。「ここに行きたい」「これ食べたい」という私のわがままを全部拾って旅行の計画を立ててくれた尾形に、“さっきのこと”を一度は流そうとした。出発を明日に控えて、これ以上気まずい空気になりたくなかったから。でもお風呂からあがってきた尾形は不機嫌なまま、私を避けるように目を合わせようともしない。冷蔵庫を開けて麦茶を飲み干した尾形に「あのさぁ」と切り出した私は、言葉を選んで、穏やかに対話できるよう努めたつもりだ。明日の今頃にはきっと、お部屋の露天風呂で今日のことを忘れて戯れてると思って。
 

「ああいう態度やめてって言ってるだけじゃん!」
「お前がいつまでも話してるからだろうが」
 前言撤回。露天風呂は一人で入って。

「だからって感じ悪いよ。同じような態度私が尾形の上司にしたら困るでしょ」
「いいや? 俺は誰彼構わずいい顔してないんでね」
 鼻で笑った尾形に、胸の中がカッと熱くなる。
「何それ」
「愛想のある男がいいなら他に乗り換えろよ。別に構わないぜ」
「そんな話してないじゃん! 何でそんなひねくれたことしか言えないの?」
 私に別れを促すかのような言葉が鋭利に刺さる。本当に私がいなくなってもいいからこんなことが言えるのかと思ったら、瞼が熱を持っていく。言葉足らずで誤解されやすいところがある尾形だけど、突き放すようなことを言われたのは初めてだった。

 剣呑な沈黙が続く。これ以上何か言ったらいよいよ旅行はやめになるだろうことを、お互いが気付いている慎重さがただよっていた。こんな空気のまま箱根に向かったところで楽しめるわけがないのに、ここまできてしまったら、いつもの私たちへの戻り方が分からない。

 尾形が立ち上がって、私の横を通り過ぎていく。
「どこ行くの?」
「寝る」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声をあげた私を無視して、尾形はいつもより早足で出ていった。残された私は唖然と立ち尽くして、ガイドマップの表紙と自分たちとの温度差に絶望する。
「なんでこの状況で寝れるの」
 投げる相手のいない言葉は、虚しく足元に落っこちる。廊下の向こうでドアが閉じる音がしたらどっと疲れが押し寄せて、倒れ込むようにソファに沈んだ。今日はここで寝てしまおうかな。尾形と初めて喧嘩した私は、こんな夜をどうやり過ごせばいいかさえ知らない。
 
 全然違うタイプのように見えて馬が合う私たちの間には、一度も火種が生まれることがなかった。同棲を初めてからも世のカップルが直面するような問題もなく、同じものを食べて同じベッドで眠って、ベランダの家庭菜園を楽しみながら暮らしている。友人でいる期間が長かったのもあって、お互いの質をよく分かっているのも大きいんだと思う。
 それがひとたび諍いが起きれば、意地っ張りの私たちは自分から折れることができないようだ。

 テーブル上のスマートフォンが光った。たまに家の中でもメッセージを送ってくる尾形かもしれないと思って引き寄せたけど、さっき非礼をお詫びした上司からの返信だった。
【⠀別に気にしてないよ。愛されてるね〜笑 旅行楽しんで!】
 こう言ってくれる優しさに安堵はするものの、私を気に病ませない茶化しに苦笑いする。
「愛されてる実感、たった今失ったんだけど」

 仕事終わりに尾形とご飯を食べた帰り、入社一年目の時に教育係としてお世話になった上司と偶然再会した。旅行前夜に行きつけのうどん屋に尾形が誘ってきたのは、家事を最小限にしようという彼なりの気遣いなんだと思う。今は違う支社に異動した先輩との話が長引いた自覚はある。隣の尾形がわざとらしく大きなため息をついた時、私がもっと上手く取り繕えればよかったんだろうか。
 上司は男の自分に尾形が嫉妬していたと言いたいんだろうけど、いまいち腑に落ちない。大学時代の同級生だった私たちは、今でも友達の杉元くんや白石くんたちを交えて飲みに行くし、男の子のいる飲み会も事前に伝えれば咎めることなく送り出してくれる。なんであの上司にだけ過剰に苛立つんだろう。聞いても尾形は答えないんだろうし、私ももう尾形と話したくなかった。でもせめて出発までに仲直りしたいなら、ここで寝てしまうことはやっぱりできない。

 なんとなく足音を立てないよう寝室へ向かった。ドアを開けたら部屋は既に真っ暗で、ベッドの膨らみは動かない。私より荷物の少ない尾形のボストンバッグは、さっきのままドア横に置いてあって少しほっとした。

 近づいても、毛布を被った尾形はこっちに背を向けたまま。でも、いつも隣から聞こえてくる規則正しい呼吸は、耳を澄ませても聞こえてこない。

「起きてるの?」
 返事が返ってくる代わりに、数瞬していきなり深くなった呼吸に合わせて毛布が上下する。はい、狸寝入り確定。下手すぎでしょ。本当にこのまま夜を越して旅行に行くつもりなのだろう尾形を信じられない思いで見下ろしていたけど、仕方なく半分空いたベッドへ潜った。
 さんざん振り回されたことが腹立たしくて、私も寝返りを打って尾形に背を向ける。「おやすみ」を交わすことのない背中合わせの夜。言えば返事は返ってくるるだろうけど、つまらない意地が邪魔してる。

 いつも寝る時間よりだいぶ早くにベッドに入ってしまった。目を閉じても、さっき尾形に言われた言葉が頭の中で反響する。一度だけの言い合いで、尾形から、私との別れを仄めかすような言葉が出てくるのが悲しかった。売り言葉に買い言葉なのだとしても、あれだけは言ってほしくなかった。明日からの不安が胸を渦巻いて、全然眠気が落ちてこない。

 付き合って一年になる明日を旅行の日程に提案してくれたのも尾形だったのに。記念日に頓着なさそうな彼が覚えてくれていたことが嬉しくて抱きついたら、「ああ、そうだったかもな」ってとぼけて頬を真っ赤にしていた。気持ちを言葉にしてくれることは滅多にない。でも尾形なりの素直じゃない愛の示し方は、いつも私の胸を幸せで温かくした。

 背中越しに尾形の温もりが微かに伝わってくる。すれ違ったままの夜では、それがかえって寂しいことを私ははじめて知った。

 どれくらい暗闇を見つめていたんだろう。いやな考えを頭から追い出していい加減寝ようとした途端、ふと、頭痛薬を通勤バッグから明日持っていくバッグに移し替えていないことを思い出した。明日でいいやと思った。でも朝には忘れてしまっている気がして、この際だから用意してから寝ようと思ってベッドから起き上がる。少し肌寒く感じながら、毛布から足を抜こうとした時。

 後ろからシーツが擦れる音がした。振り返るより先に勢いよく手首を掴まれて、小さな悲鳴をあげてしまった。
「なに、脅かさないでよ」
「どこ行くんだ」
 尾形の声は張り詰めていた。上体を起こした尾形が、私を引き止めるかのように手首を引いてくる。
「荷物、入れ忘れたのがある」
「何」
「薬」
「俺が持ってる。酔い止めも」

 突然の変わりように複雑な気持ちになりながらも、尾形が手を離そうとしないからベッドへ戻るしかなかった。また尾形に背を向けるけど、尾形はもう向こうへ寝返ろうとはしない。

 ようやく会話を交わした寝室は、さっきよりも息がしやすくなった。

「出ていくと思ったの?」
 尾形は答えない。それが肯定のようなものだと、長い付き合いの中で私は知っている。
「こんな夜中に出ていくわけないじゃん」
「昼間なら出ていくのかよ」
「行かない」
 いじける尾形に苦笑いしながら向かい合わせになった。さっきは他の男のところに行けって自分で言ったくせに。また尾形に振り回されてる自分に呆れながらも、すぐそばで感じる尾形の呼吸に安心してしまう。暗闇の中で見つめ合っていたら、頭の中から追い払えなかった、募らせた不安が溶けていく。

「私は尾形から絶対離れないよ」
 目の前の空気が揺れた。言葉なんて曖昧だ。人との繋がりの中で絶対≠ネんてありえなくて、かえって無責任かもしれない。でもそこに決して嘘はなくて、尾形の中の不安にいなくなってもらうには、いま言葉を尽くすしかなかった。

「思ってない」
「……何を?」
「さっき言ったこと、思ってないから」
「うん」

 ぼんやり見える大きな目が泣きそうで、尾形の背中に腕を回した。体温が、鼓動が重なる。私を離すまいと抱きすくめる力強さが愛おしい。お互いが必要であることを充分に確かめ合ってから、どちらかともなく仲直りの口付けを交わした。軽く触れるだけのキスと、柔らかくて離れがたいキス。深い口付けに身体が熱を持っていく。必死になって受け止めていたら、肩をシーツに押されて仰向けにされてしまった。
「するの?」
「……嫌ならいい」
「いやじゃないよ」
「反省してないって思ってんだろ」
「思ってないから」
 今日の尾形はなんだかすぐ拗ねるな。たしかに明日するつもりだと思ってたけど。仲直りした今、私も尾形に触れたくなってる。

 尾形の首に腕を巻き付けて囁いた。
「終わりにしちゃうの?」
 熱い吐息が落ちてきて、また唇が塞がれる。さっきよりも余裕のないキス。でも私の気持ちいいところを知り尽くした尾形の舌は、口の中を執拗にゆっくりと責めたててくる。尾形の手が両耳に触れると口の中の音がいやらしく響いて、頭がくらくらしてきた。尾形とのキスが好き。甘い痺れのような快感に支配されて、全部明け渡してしまいたくなる。

 唇が離れて、尾形の熱を孕んだ目にどきりとする。いつも涼しい瞳はこの時だけは温度を宿して、彼の興奮を伝えてくる。今度は唇が耳たぶを優しく食んだ。わざとらしく音を立ててくる舌が意地悪で、首を逸らしてもすぐに捕まってしまう。
「逃げるなよ」
 尾形が耳元で囁く。中の形をなぞるように舐められると耐えられず、シーツを蹴りながら恥ずかしい声を漏らした。嫌がることは絶対しない尾形だけど、こういう時にはやめてくれないのは、ちょっとやだ。いつの間にか滑り込んできた手が胸に触れる。荒く揉みしだく尾形の手のひらの中で、先端が主張していく。服をめくりあげた尾形がそこへ口付けて、飴玉みたいに舌で転がすから耐えられずに目を瞑ってしまう。

「あっ、ん、んぅ」
 でも尾形からの視線を感じるのは、きっと気のせいじゃない。どれくらいの刺激がどれだけの快楽をもたらすか、お互いとの行為に馴染んだはずの今でも尾形は確かめながら愛撫してくる。時にはもどかしさを覚えるそれに私が「もっと」を乞いたくなっているのを、尾形は愉しんでいるに違いなかった。

 先端を弄んでいた指が離れてパジャマの下に入っていく。ショーツの上から撫でられた中は自分で分かるほど湿りを帯びていて、尾形の口角が上がった。ズボンとショーツを引き抜いた尾形が下に降りて太ももを押し開く。次に来る快楽の波に構える間もなく、尾形の長い指が入り込んでいったことで腰を浮かせた。
「あ、ぁ、あああっ……、あ、だめ、それぇ、ぁあ、」
「いつもより熱いな」
 尾形こそ、中を掻き回して感じるところを刺激してくる動きがいつもより早い気がする。一旦止めてほしくて、両腕を伸ばして尾形の手首を掴んだけど全然力が入らなくて、もう片方の手に拘束されてしまった。指の動きをそのままに、両腕の間で挟んでしまっている胸に甘噛みされる。
「だめ、どっちもだめ、ひ、んっ、そんな、っんん゛! ゆ、ゆび、はや、早くしないれ、あ、んんんっ」
「やらしくひくつかせて説得力ないんだよ」
 もう一本入り込んできた指が中で暴れてる。奥を擦って弱いところを的確に刺激してくる二本の指に、無意識にもっととせがむように締め付けてしまう。抵抗できない身体で思い通りにされているうちに、逃げれない大きな快感が迫ってきた。

「ぁ、あ、イク、やっ、あ゛、ひぅっ、イッちゃ、イッちゃうう、ぁあああ!!」
 胸に吸い付く尾形が追い打ちをかけるように抽挿を繰り返すから、背中を仰け反らせて呆気なく果ててしまった。

 やっぱり、今日の尾形はいつもより意地悪だ。手首を掴まれていたこともあって、得意げに前髪をかきあげる尾形にちょっとムッとする。絶頂で弛緩した私に一度口付けた尾形は、たくし上げてた服を抜き取ってから自分も服を脱ぎ始めた。下ろしたボクサーパンツから、硬くなった尾形の熱が弾みをつけて出てくる。

 起き上がって、お返しと言わんばかりにそこへ舌を這わせた。ゆっくりと口に包み込んでいく私を見下ろす視線に、期待の色が滲んでいる。前後に動いているうちに口の中でまた大きくなって、先走りが漏れてきた。前は正直苦手だった。でも昂りで荒くなっていく呼吸や、頭を撫でてくれる優しい手つきが嬉しくて、自分からしてあげたいと思うようになったのは尾形が初めてだった。

 尾形が私の動きを止めて仰向けに倒れたから、彼の伸ばした足に跨った。
「ケツこっち向けろよ」
「え?」
 尾形の指示する体勢が何を意味するか分からないわけがなく、いつもより執拗な前戯をしてくる尾形にいやな予感がする。

「早くしろよ」
 急かしているというより唆すような口ぶりだった。自分から求めるなんてできない。でも、尾形に言われたから。心の奥では悦んでいるはしたなさを自覚しながら、身体の向きを反転させて尾形の顔の上に跨った。ぐっと腰を掴まれて身体が重なる。尾形の自身を口に含んで動こうとした瞬間、生温かい息がかかってそこに唇が吸い付いた。

「ん゙、んんん!! んっ、ぅうう、ぅっ、ひぃ、んぐ、っ、」
 また快感に呑み込まれて思考がさらわれていく。行き来する舌が望んだ刺激を次々と与えてきて、自分の動きなんてままならない。
「口が止まってるぞ」
「んぅっ、だって、あ、ぁ、あんっ、んぅっ、」
「お前がちゃんとやらないとずっとこのままだからな」
「んっ、ゃる、やるからっ、ぅううっ、んぁ、んっ、ん゙〜っ、ぁ、ああ゙、ほんはに、ぃ、ん゙っ、ふぅ、ふ、んむっ、あ、ぁっ、あ、」
「ほら、しゃぶってるだけじゃだめだろ。もっと頑張れよ」
「んぅぅう、んん゙、んあ、ぁ、はっへ、は、んっ! んんんっ……、んむっ、ん〜〜〜、ぁ、ぁ、や、ゃだ、ぁああ」

 もう腰が砕けて、尾形の顔に押し付けるような格好になっている。さっきみたいに動こうとしても強烈な快楽に耐えることで精一杯だった。太ももを抱え込んでる尾形は全然手加減してくれなくて、咥え込んだまま喘いでる私の中に舌を割り込ませていく。煽るけど、ほんとはこれで私に気持ちよくしてもらう気なんてハナからないんだと思ったらやっぱり悔しい。生き物みたいに蠢く舌が感じるところを抉った。

「ん゙、ん゙〜〜〜、は、ぁっ、もぉダメ、ぁあああ……っ、ぉがた、おがだどめて、ああっ! くる、きちゃう、ぅ、っぁあ゙〜〜〜〜〜っっ、ぁ」
 押し寄せてきた大きな波に全身が痙攣する。目の前にバチバチと火花が散って、凄まじい快楽に鳴きながら尾形の自身を口から離した。

 長いオーガズムの後も頭の中が霧で包まれたようなぼんやりとした心地に支配されて、尾形は自分の上から私を降ろしてシーツにうつ伏せにした。ベッドサイドの引き出しを開ける音が聞こえる。このまま眠りについてしまいそうなほど恍惚に浸っているのに、やっぱり私はまだ尾形と繋がることを求めている。

 上に跨った尾形が腰を持ち上げて、硬い自身を擦り付けた。割れ目を上下する動きがじれったくて腰が動いてしまうのを、後ろから意地悪く笑う声が聞こえる。
「おがた、はやく、ぅう、」
「早く何だよ」
「ぃ、いれてもう」
「何を?」
 恥じらう理性なんて飛んでいた。そうでなければ、おしりを突き上げて尾形に振り向く格好なんて絶対しない。
「おがたのおちんちん、はやく、ほし……っぁ! んんんっ、あ、ああっ、」
 言い終わるより前に圧倒的な質量がずぶずぶと沈みこんでいった。私の中が尾形で満ちていく。背筋を這い上がる快感に枕を握って耐えた。充分解されたはずのそこは尾形の熱に絡みついて、きゅうきゅう締めつけてしまうから、奥へ届いたはずの尾形は苦しげな声を漏らして動きを止めていた。今より強く腰を掴み直された瞬間、これからくる快感に耐えるべく枕を抱え込んだ。

「っぁあ゙、ああ!!」
 上手く呼吸ができない。腰を引いた尾形は勢いをつけて押し戻してきて、身構えていた以上に大きな刺激に貫かれてしまった。軽く達した私に気付いているはずなのに、尾形は打ち付けるような律動を繰り返す。

「あっ、ん、んっ、イった、いまイったから、あ、はぁ、あん、ぅ、だめっ、あん、あんま、はげしくしな、あ、ぁん! ぁ、ああ、また、またイグぅぅう、イッちゃゔうん」
「はぁ、っ……おい、急に締めんな」
「だってぇ、ぁん、あっ、は、はげしいから、っ、あっ、ん、」
「ったく、堪え性がねえんだから」
 そう言いながら突き上げていたお尻をシーツに戻された。別に後ろからの激しいセックスは嫌じゃない。むしろ奥に当たって、犯されてる興奮も相まって、無意識に足に力が入ってしまうくらいには気持ちいい。

 背中に覆いかぶさってきた尾形の動きが、ゆっくりと腰を引くものに変わった。中が尾形の熱を切なく追いかけて、押し戻されると歓喜する。急激な快感の代わりに襲ってくる、蕩けるようなやわらかい刺激。首元にかかる尾形の息が熱い。シーツとの間に滑り込んだ手が、胸を優しく愛撫してくる。
「あ、ぁ、んんっ、はぁ、いい、ぁあ、んっ、」
「気持ちい?」
「うん、っ、おがたは?」
「すげえいい」
 緩慢なストロークはお互いが感じていることを確かめ合える。重なった肌の温度は、快楽とは違う、心から好きな相手でないと覚えない悦びをもたらしてくれる。尾形が後ろから首筋に、肩に口付けて、この時間を甘くしていく。

 優しいセックスに安心しきっていたところで、倒れ込んだ尾形が耳に唇を寄せた。中に捩じ込まれた舌が卑猥な音を立てながら抽挿を始める。
「んっ、あ、あっ、まっ、ゃ、や、らめっ、らめぇ、ぁ、んんっ、ぁあ、ぃ゛、」
「ほんと耳好きだな」
「ひがぅ、ううっ、あ゙っ、んゃっ、あ、ぁあ、あっっい、や、んっ、やっ、イっ……! やだ、ぁ! あ、ひぃっ!?」
 逃れようとしても上から押さえつけられた身体はビクともせずに、枕を掻きむしりながらはしたない声をあげるしかなかった。腰は止まっているのに尾形を締めつけてしまう身体は、自分でどうこうできる力なんてとっくに失っている。

 何でこうなってるんだっけ。たしか喧嘩して私たち──
 連続の絶頂で遠い彼方にいってしまったついさっきの記憶が、再び達する寸前に頭を掠めた。これって仲直りエッチ、なのかな。なんか有耶無耶になってる? でもする前にちゃんと仲直りしたし── したんだっけ? そもそも尾形ってなんで──

「ん゙、ぁあああ! もぉヤダ、もぉむりですっ、あ、あっ、んんんッ、は、ぁぁ゙、イク、またイク!」
 強ばった腿が尾形をぎゅっと挟んで、また天にのぼり詰める。きっかけなんてもうどうでもよかった。でも今日初めて知った不安を思い出してしまって、身体とは違う苦しさがまた胸を締め付ける。
「おがた、っ」
「ん?」
「向きあってしたぃ、」

 動きを止めた尾形が自身を抜いて、私を仰向けに返す。すぐに落ちてくるキス。見つめあって、私しか見ていない優しい瞳に安心する。流れ落ちた涙を当然のように唇で掬う尾形を独り占めしたい。

 恋に身を投じる年齢なんて終わったと思っていた。これからは尾形と穏やかに愛を重ねていけると思っていたのに。いま、尾形が好きだと気づいた時よりも、激しく恋をしている。

 また入り込んできた熱が奥を穿って引き戻されていく。私を揺さぶる尾形にしがみついて「すき」を繰り返してたら、荒い呼吸とともに律動が早くなっていった。
「すきっ、おがた、あんっ、んんッ!!」
「あんま煽るなっ、これでも、」
「あっ、あ、あ、あああっ、きゅうに、ダメっ、ぁああ、すごぃ、あっ、あ、もうイっちゃう、ぉがた、イクっ!」
「はぁっ、っ……」
 肩を掴む手に力が籠る。尾形が絶頂を求めて一心に打ち付けてるうちに、今までで一番強烈な快楽に突き上げられた。私が果ててから数回、深く穿った尾形が熱を放したのが避妊具越しに伝わった。お互い息を乱したままキスをして、尾形が横に寝転んで私を引き寄せる。少し肌寒かったはずの寝室で私たちの肌はしっとりと汗ばんでいて、その湿度が心地よくて私も足を絡めた。パジャマを落とした床にはスーツケースが広げたままにしてある。明日の朝早くに出発することをすっかり忘れていた私は、尾形の腕の中であまりある倦怠感と、それ以上の多幸感に浸っていた。

「今日会った奴」
「え? ……うん」
 ぽつりと切り出した尾形によって、私たちが危機に瀕したきっかけを思い出す。

「お前が前によく言ってた奴だろ」
「前、尾形に? いつ」
「杉元たちと飲んでた時」
「え? 言ってたって何」
「……色々」
 尾形がまた不貞腐れたように言う。
「……あー」

 ようやく尾形が失礼な態度を取った理由に行き着いた私は、苦笑いを零した。大学卒業後から定期的に杉元くんと白石を交えて飲みに行っている私たちは、話題の中心はそれぞれの仕事や職場の話になる。入社一年目の時、私が度々話にあげていたのは、教育係として指導してくれていたあの上司だった。右も左も分からず、社会の荒波に揉まれながら奮闘していたあの頃の私にとって、仕事ができて、知見があって、広い視野で後輩を気にかけてくれるあの人が眩しい存在だった。憧憬と恋慕が混同したような感情で彼について語っていた時はまさか、向かいでつまらなそうに枝豆を食べる尾形と数年後に付き合うなんて思ってもいなかった。

「あいつ、お前に気あるぞ絶対」
「そんなわけないじゃん。あの人彼女いるよ?」
「男は関係ねえんだよ、そんなの」
「尾形も私と付き合ってても、他の子を好きになっちゃうの?」

 仕返しでちょっと意地悪を言ったら尾形が口ごもる。もちろん尾形自身のことだなんて思っていない。でもいつか二人だけの時に話してくれた彼の生い立ちが、今でも男女の結びつきを信用し切れなくしているのかもしれない。
「なるわけねえだろ」
「私だってそうだよ。たしかにあの人のことは尊敬してるけどさ。尾形への気持ちとは全然違うものだって、今なら分かるよ」
 照れて黙る尾形が可愛い。でも、そんなずっと前のことが尾形の中では心に引っかかったままで、その不安をあの時確信に変わってしまったのだと気付いたら、茶化すことはできなかった。
 尾形だって何気にモテるから、心配になることはあるんだけど。

「尾形もヤキモチ妬くんだね。全然気にしないんだと思ってたよ」
「だってお前めんどくさいだろ。そういう男」
「尾形のことはそういうところも好きだよ」

 私たちは長年でお互いのことを分かったつもりでいて、まだまだ知らないことがあるみたい。恋人二年目の私たちの関係は、どんな風に変わっていくんだろう。また今日みたいに衝突する日もあるかもしれない。でも私たちなら、その後もっと深く結びついているはず。

 結局いつもよりも夜更かししてしまった私たちは、パジャマも着ないまま眠りについた。多分、明日のロマンスカーでも肩を寄せて寝ていると思う。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る