子供嫌いな尾形の話



【10分遅れる】
 届いた簡素なメッセージに了解の旨のスタンプを返した。暑さがめっぽう苦手な彼が、この茹だるような真夏の昼にデートしてくれることを考えれば、遅刻を咎める気はない。

 待ち合わせ場所の駅前の書店に入ると、冷房の涼やかな風が汗ばんだ肌に吹き付けた。日曜日の今日はレジに長蛇の列ができる程混みあっている。紙とインクの混ざりあった本屋独特の匂いは、尾形さんが来るまでの五分をここでの散策に興じようと思わせるには充分だ。私は住所のように細かく分類された本の街を、あてもなく歩き始めた。

 今テレビで話題の美人占い師インカラマッの著書の本が置かれた占いコーナーを過ぎ、料理コーナーを通りかかる。平置きされた料理研究家のレシピ本を何となく手に取った。
 
 週末は尾形さんの家で過ごすことが多い今、自炊をすることも増えた。尾形さんはいつも言葉少なながら美味しいと言ってくれる。誰かのために料理を作る楽しさや、大切な人と食卓を囲む幸せが、私の日常を煌めかせているのだ。

「なに読んでるの?」
 レシピを捲っていると、声がかけられた気がして振り返る。もう一度「ねえ」と幼い声がして、首を下げると5・6歳程の男の子が私を見上げていた。

「それ、なんの本?」
「お料理の作り方の本だよ」
 あまりにも真っ直ぐな無垢の目が大きく見開かれる。
「ハンバーグものってる?」
「うん、載ってるよ」
「オムライスも?」
「うん。ハンバーグとオムライスが好きなの?」
 こういったことは初めてではない。私は外出先で何かと知らない子供に話しかけられることが多いのだ。質問攻めをしてきたり、自慢の玩具を披露してきたりする構って欲しくて仕方ない子供は、自分の幼き時分を思い出してほっこりした気持ちになる。

 先日の幼稚園で食べたお弁当のおかずの話から、いつの間にか好きなアニメのキャラクターの話に飛んでいた。相槌を打ちながらスマホを見ると、尾形さんから数分前に【着いた】というメッセージが入っている。え、もういるんじゃんと辺りを見渡そうと首を上げて、思わず吹き出しそうになった。

 いたのだ。一つ奥の本棚の前で、此方を睨みつけるような目で凝視している尾形さんが。いや、見つけたなら声かければいいじゃん。
「ねー、シルバーカムイ知ってる?」
「うん、知ってるよ」

 男の子の問いに、目線はそのままに返事をすると尾形さんの表情が更に険しくなる。此方の状況は把握しているのだろう。尾形さんは子供嫌いだ。きっと私が男の子といるのを見て、今自分がそこへ合流したら絡まれるに違いないと様子見しているのだ。しかし、自分を待たせていつまでも男の子と話している私におもむろに苛立っている。自分が遅刻してきたくせに。

 今度はあの猫ちゃんを構ってあげないといけない。目の前の男の子に別れを告げようとした時、急に小さな温かい手が私の手を引いた。
「ねえ、下にシルバーカムイのグッズ売ってるお店あるんだよ? 一緒に行かない?」
 この短時間で随分懐かれてしまったようだ。この子のお母さんはどこにいるのだろう。こうしていると大抵親がと迎えに来るのだが、一向に姿が見えない。

「おい」
 不機嫌を滲ませた声にビクリと肩が跳ねる。痺れを切らせた尾形さんが迎えに来たのだ。いつまで付き合ってるつもりだと言わんばかりの圧に押されて、私は男の子の背の高さまで屈んだ。
やっぱり、宝石のような無垢の目だ。

「ごめんね、お姉ちゃんもう行かないといけないの」
「えー」
「はっ」
 後ろから勝ち誇ったような鼻で笑う声が聞こえた。私の彼氏、大人げなさすぎる。

「おうちの人は?」
「いるよ。お兄ちゃんと向こうにいる」
「じゃあそこまで一緒に行こうか」
 尾形さんは呆れた様子だったがついてきてくれた。お母さんとお兄ちゃんは児童書コーナーにいた。「何やってたんだよー!」とじゃれ合う兄弟にまた微笑ましくなる。

 男の子に手を振って笑顔で別れた。今度は機嫌を損ねていたこの猫ちゃんを構ってあげなくてはと、私は尾形さんに振り返る。
「お待たせしました。行きましょう」
「何でお前はいつもガキに絡まれる」
「話しかけやすいオーラが出てるんですかね」
「俺は一度も絡まれたことなんてないぞ」
「でしょうね」

 でも、尾形さんと小さな子供の取り合わせを見てみたいとも思ってしまう。確かにこの人は子供を寄せつけない無愛想な人だが、優しさを知らない人ではないことを、私はよく知っているから。

 大きくて厚い手のひらを握ると、拗ねていた尾形さんは満更でもなさそうに私の手を握り返した。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る