溶けゆくことこそもののあはれなり



「――の好物は何なんだ?」
 アシリパちゃんにそう聞かれたのは、釧路へ向かう道中だった。

 夏の始まりを知らせる鳥や花をアシリパちゃんに教えてもらいながら、私は杉元さんと白石さん、そして尾形さんと森の中を歩いていた。木々の上から照りつける強い日差しに、額には汗が滲んでいる。そんな暑い日だったからかもしれない。故郷の思い出から浮かんだのは、夏を彩ってくれたまっさらな氷だった。

「氷水《こおりすい》かな」
「氷を食べるのか?」
「うん。うちの近くには大きな湖があって、冬に湖面が凍ると切り出して氷室に保存したの。それを夏に鉋で削って、砂糖をまぶして食べるんだ」
 都会では機械で作られた氷が流通しているけれど、私が住んでいた地方では、まだ天然で作られた氷が貴重だった。ガラスコップの中に雪山のように盛った削り氷を口にすると、その冷たい甘さに暑さを忘れてうっとりしたものだ。

「また食べたいな」
 目の前で起こる戦いや変事に動じながら仲間たちについていくので精一杯な私は、久しぶりに故郷に想いを馳せた。思わず恋しさを呟いてしまった私に、前を歩いていた白石さんが振り返る。
「じゃあ次に街寄ったらさ、氷水食える店探そうぜ!」
「山抜けたらもっと暑いもんな。アシリパさんも食いたいだろ?」
 杉元さんが話に乗って、白石さんと茶化し合いながら話を進めている。二人に気を使わせていると分かりながらも旅に疲れてきた私は、街で氷水を食べれることに淡く期待してしまった。

「おい、まだ追っ手を巻けたか分からねえんだぞ。こぞって街彷徨いてどうすんだよ」
 でも、一番後ろでずっと黙っていた尾形さんに呆れたように言われて、私は何も返せなかった。第七師団から逃げてきた私たちは、山を抜けたら慎重に動かなくてはいけない。こんな状況にも関わらず浮ついたことを考えてしまった自分の甘さを咎められたように感じて、尾形さんと言い合っている杉元さんに振り返った。
「いいんです、杉元さん。尾形さんの言う通りです」
「俺はどっちにしろ街には寄りたいけどな〜」
「お前は遊郭に行きたいだけだろ!」

 気まずくなってしまいそうな空気を白石さんが変えてくれて、話はここで終わった。尾形さんはまた何も話さなくなった。旭川で土方さんたちと二手に分かれてから、私は尾形さんとまともに話せていない。二人きりで過ごした夜のことなんて、なかったかのように振る舞うから不安になる。毎晩私から離れたところで眠る尾形さんは、もう私に触れる気なんてないのだろうか。
 


 三日後に山を抜けるとちょうど雨が降っていて、私たちは駅逓所に泊まった。翌朝、目が覚めると既に尾形さんの姿はなかった。杉元さんたちもそれぞれに外に用があるみたいで、私は疲れているから休むと言って心配する三人を見送った。

 雨あがりの夏はいっそう暑い。森のように日の光を遮る木々も冷涼な風もなく、室内には熱がこもっていた。今、この建屋には私しかいない。山で破れたという杉元さんのシャツを縫い直しながら、もし今ここに追っ手が来たらと、恐ろしいことを考えてしまう。だから、裁縫が終わったところで引き戸の音が響いた時はびくりと肩を跳ね上げてしまった。立っていたのが尾形さんだったから息を落としたけれど。

「お前だけか」
「少し前にみなさんも外出してます」
 尾形さんが帰ってきてくれたことに安堵しながらも、久しぶりに二人きりになってへんに緊張してしまう。尾形さんが私の膝の上のシャツに視線を落としている。「尾形さんも何か直すものはありませんか?」と聞くと、ない、と素っ気なく返されてしまって、いつものことなのにそれだけで気持ちが沈んだ。でも、尾形さんは目の前まで歩いてくると、銃を担ぐ反対の手に持っていた桐箱を座卓に置いた。目で開けろと促されたから、紐を解いて蓋を外す。

 私は息を呑んだ。そこにはおが屑に包まれた、一尺ほどの真四角な氷が入っていたのだ。
「すごい! もしかして、これを買いに出かけていたのですか?」
「は? そんなわけねえだろ。たまたま見かけたから買ってやっただけだ」
 尾形さんが少しムキになったように言う。でも、夏場の氷が個人ではいかに入手しにくいかを知っているから、口元が綻ぶのを抑えられない。

「色々取ってきます」
 台所からガラスコップとスプーン、そして砂糖を慌てて探し出した。当たり前だけれど鉋はなくて、包丁を使って光る氷を角から削り落としていく。外気に晒せば溶けていく氷を削る作業は時間との勝負で、二つのガラスコップに削り氷をよそえる量になった時には汗が首筋を流れ落ちていった。

 きらきらとした雪の山に、また雪が降り落ちるように砂糖をかける。できた一つを尾形さんに差し出して、目の前の氷水にスプーンを入れて口に入れた。目が覚めるような冷たさが、心地よく身体に染み渡っていく。包丁で削った氷は思いのほか柔らかく、口溶けも申し分なかった。

「美味しいですか?」
 尾形さんは答えないけれど、黙々とスプーンを動かし続けていた。三人の分の氷は、またおが屑にくるんで桐箱にしまっている。みんなにも早く帰ってきて食べてほしいのに、これを食べ終えるまでは二人でいたいと思ってしまう。それに、ここを出たらまたしばらく二人きりでは話せないだろう。

「尾形さん、ありがとうございます」
「……ああ」
「前もお伝えしましたけれど、私はこの先も尾形さんと一緒に旅を続けたいです」
「そうかよ」
 だから、これからもお傍にいてもいいか尋ねようとしたのに、尾形さんがスプーンを動かす手が速くなる。かと思ったら急に眉を顰めて手を止めるから、私はあれがきたのだと気づいて笑みを溢してしまった。

「頭痛え」
 子供の頃に慌てて食べると、頭にきんとした痛みが走ったのを思い出す。そんな時はどうすれば治まるかを知っている私は、グラスを持っていた左手を伸ばして尾形さんの額に触れた。
「こうしておでこを冷やすと痛みが引くんですよ」

 指先が、尾形さんの肌の熱を吸っていく。尾形さんが唖然としたような目でこっちを見ている。至近距離に照れくさくなって指を離そうとしたのに、それより先に腕を取られて、瞬きもできない間に畳に押し倒されていた。
「お前は杉元にも同じことをするのか?」
「え、何で杉元さ」

 唇を塞がれて、舌が触れ合う。それは一瞬ひやりとしたけれど、すぐに氷の冷たさなんて知らない温度で私を絡め取って、耳の中を弄ぶ。抑えきれない声に息を荒くした尾形さんは、もうあとは私を捕食するだけだった。

 涙が滲む目の端で、グラスに半分ほど残っている氷が形を崩していく。今三人が帰ってきたらどうしようという思考さえ、滾るような熱に溶けていってしまった。
 




冷たいラブロマンスを抱いて眠る