こんな夢を見ました。
なんということはない、いつもの寝室です。布団の上で仰向けになっていた私は、心地よい眠りから目を覚ましたばかりか、はたまた先刻からずっと起きていて、今もその連続の真っ最中なのか。考えたとてわかるものではありませんが、とにかく体を起こすことは簡単なようでした。簡単ならやらない手はありません。腰から上が縦になったことで鳩尾に溜まった空気は、やがてグラデーションを描いて段々薄く、そして冷たくなって、胸元をすっと吹き抜けます。心なしか胃も少し痛むので、きっとまだ明け方なのだと思いました。
顔を洗いに行って戻ってくるまでのあいだは、皆が起きてくるまでどうやって時間を潰そうかと、ずっとそんなことばかり考えていたので、竜が空を泳いで鱗を降らせていることも、庭に打ち上げられたくじらが呻いているのも、さして私の興味をひくものではありません。
「おや、主。今朝は早いな」
完全に後出しとなる形で、声を掛けられてから、そうだ、彼ならもう起きているに違いない、などと間抜けなひらめきを得ました。違いないも何もなく、すでに起きてそこに居る三日月宗近にお早うと返すと、彼は鈍色の空を一瞥して、ここは景色が悪いから部屋で話そうと言いました。
「さっき辺りを散歩してきたが、もうすごい行列だった。主はいつ頃行くつもりだ?」
その言葉を聞いてようやく、私は今日が最後の日であることを思い出しました。何の最後かと問われれば、何もかもの最後でした。
「そうね、お昼には向かうことにしようかな。万一間に合わなかったら事だものね」
三日月はそうか、と二度頷いて、引っ張ってきた座布団に腰を下ろしました。
「金槌で叩かれるのは、やっぱり痛いかしら」
「なに、怖がることはない。一瞬で終わるさ」
「終わったら、どうなるの」
「そればかりは俺にもわからん。人はまだ良い方だ。自分で終わらせることができるのだから」
彼の言うとおり、人間は大人しく終末を迎えようだなんて自然的な考えは持ち合わせていませんでした。外では人々がつぎつぎ寺に押し寄せて、ふしぎな金槌で頭を鐘のように打ち鳴らしてもらっては、やがて暗闇に溶けて、無に還っていくのだといいます。
「私これでも、きみを置いて逝くことだけはしたくなかったのよ。本当は、今でも」
「わかっている。仕方のないことだ」
「でも実際、わかっていてもどうしようもないことってあるでしょう」
「主、」
三日月は諫めるように私のことをじっと見ました。彼の言いたいことはわかっているつもりでした。どんなに偉ぶったところで私は人間で、そんな人間の私にとっていちばん優しい終わり方はきっと、結局皆と同じように、和尚さまに頭を鳴らしてもらうことなのです。突然の雷で、不安を括っていた糸が切れたかのように泣き出してしまったのが良い例でした。
「神様は、可哀想。人なんてゆうに超える精神と力を手にしているのに、どうしてこう、貧乏くじを引く運命にあるのかしら。生まれてしまったが最後、どう足掻いたって終わりを見届けるしかないんだもの。人は勝手に神を畏れ、崇めるけれど、それはあくまでこの世かあの世のどちらかに魂が在るあいだの話。自分に関するありとあらゆる痕跡が消えたその後、残された存在に対して誰も責任を持つ気はないのよ」
我ながら傲慢にも程があると呆れましたが、終末なので、この際気にするのは止めにします。さすがの三日月も引いていたりしたら、それはそれで少し面白い。けれど、そんな期待を抱いた私ごと、彼はその両腕でいとも簡単にくるんでしまいました。
「人にそんな気がないのなら、きっとそうしてつくり上げられた神には幸も不幸もないのだろう。むしろ、それすら定義の内かもしれん」
「でも、きみは違う。私が責任を持つと決めた存在よ」
大丈夫だとあやすように背中を撫でてくれる三日月に、私は駄々をこねました。どうしても彼に、大丈夫であって欲しくはなかったのです。私を見送るのはつらい、そう言ってくれれば、私はまだここに未練を残すことができる。彼がどれだけ口で寺に向かえと言ったところで、つらい思いをしているとわかりさえすれば、私は全身全霊を懸けて人として最後を迎えることから抗ってみせるのに。神というものはどうしてここまで潔いのでしょうか。なんだか無性に悔しくて、涙も無駄に溢れかえります。
「……ならば、」
背中にあった手が私の肩を少し引き離すあいだに、三日月は懐から小瓶を取り出しました。触ってみるとそれは鉄器のような硬い素材で、中身は見えないものの、微かに液体の揺れる感覚がありました。
「主が俺に終わりを与えるか?」
三日月の提案は、全く思ってもみなかったものであり、それでいて画期的でした。聞けば中に入っているのは毒薬だと言います。付喪神が毒で死ぬのかと尋ねると、今この体は人なのだから何かしらは死ぬだろう、そしてその何かしらでも揃わなくなれば、それはもう自分ではない、終わったも同じだと、三日月はそう言いました。
「甘いのでまずくはないはずだ。先に言っておくが、実は水飴でした、などという落ちではないぞ」
ここにきてまだ冗談を言っていられる彼の神経は到底理解できず、考えるのも面倒になった私は、いっそひと思いに済ませてしまおうという気になりました。小瓶の中身をひとくち含んで、美しい弧を描いた唇を親指でなぞると、三日月宗近は受け入れるように、目は閉じたまま顔を少し上げてくれました。柔らかくて温かい、この感触がじきに失われてしまうのは大変名残惜しく、気が付けば夢中で、それでもなるだけ優しく口付けて、私は彼の力が抜けていくのを待ちました。ぐったりと肩に寄りかかった彼の頭をぽんぽん叩いていると、これがまるで水を引く動作でもあったかのように、また泣けてきて、気の利いた別れの言葉でも言えたら良いのに、思ったことがそのまま口をついて出てきました。
「どうして、何の躊躇いもないの……」
「それはこちらの台詞だ」
しまった、と思ったときにはすでに遅く、油断しきっていた唇は呆気なく奪われてしまいました。ひどい、だますなんて。言ってやりたいのに声が出ません。地面に張り付けられたように体は重くなって、どんなに息を吸っても空気が喉より奥を通ることはなく、肉も骨もまとめて昇華してしまいそうな熱さに襲われます。息が、息ができない、苦しい、くるしい……
***
「んん……く、くるしいっ……」
「ん? ああ、すまん」
涙でぼやけた視界に、正気にならざるを得ないほど朝の日差しは眩しく、そして寝覚めに至近距離で見る三日月宗近にもほぼ同様の効果がありました。掛け布団の上から乗っかっていた彼が上体を起こすと、体は一気に軽さを取り戻し、私は呼吸を整えながら事の状況を把握しようと辺りを見回しました。
「起こしにきただけだったんだが、その……あまりに熱烈だったものでな」
気まずそうに目を逸らしながらそう言った三日月の両腕には、がっちりともう二本の腕が絡みついて、着物に皺をつくっていました。それを自分のものだと理解したのは、彼を助けようと手を伸ばしたときのことです。行き場を無くした、そして張本人でもある両手は、かろうじて顔を覆うのに役立ちました。
「ごめんなさい……私、夢を見ていて」
「そのようだな」
「怖くなかった?」
「怖がることなどあるものか。主はやさしい」
手を退けて唇に触れられると、なんだか別の事柄について言われている気がしてさらに恥ずかしく、三日月が続けて口にした言葉は、気を逸らすという点に限ってはある意味救いだったかもしれません。
「だからこそ、あのように独善的な選択は認められん。主が俺を残して居なくなることを拒むように、俺も主をひとりにする気はさらさら無いこと、忘れてくれるな」
「……試したの?」
いつから、どうやって、聞きたいことは山ほどありましたが答えてもらえるとも思いません。なんとなく解ったのは、神様もものによっては往生際が悪いということです。
「まあこの御時世、なにも目指す先を彼岸ひとつに絞ることもあるまい。また『一緒に』、考えようか」
Twitter企画「#刀さに夢十夜」の
第二夜にて参加させていただきました