10. 縁は異なもの、味なもの

視線が痛い。
気にしなければいいだけの話だけど、食堂にやってくる忍たまたちの視線が体に突き刺さる。
六年は組の二人は、まだ来ない。

前髪を直し、髪を結び直し、襟元を正し、爪を見たり。
やることはやり尽くして、そろそろ善法寺くんがいるらしい医務室へ向かおうかと思い始めた頃だった。

「お疲れ様、なまえさん」
「土井先生。お疲れ様です」

手を挙げてやってきた土井先生は、壁を背に立つ私の隣へ並んだ。

「どうだった?初仕事は」
「吉野先生に付きっきりで教えていただいたので、無事にこなせました。早く終業させていただいて、ありがたい限りです」
「吉野先生がとてもお褒めになられていたよ。せっかく早く終わったのに、今から夜ご飯かい?」
「色々ありまして…六年は組のお二人と約束してるんですが、見かけませんでしたか?」

伊作と留三郎?と不思議そうに首を傾げられる。
そんな土井先生の体で見えない廊下の向こうから、「いないよ留三郎!」と焦りの混ざった声が聞こえた。

「噂をすれば二人が来たみたいだね。それじゃあ私はお先に」

歩き出した土井先生の向こうに私が現れて、二人が慌てて駆け寄ってくる。

「遅くなってすみません!僕の不運のせいで…」
「大丈夫ですよ。不運のせい?」

不思議な単語に言葉を反復すれば、その話は後で!と食満くんが私と善法寺くんの背中を押す。
食事を受け取って、えらく疲れ切った顔の善法寺くんと、先程までは無かった擦り傷を顔にこさえた食満くんの向かいに座った。

「その傷、手当してこなくて大丈夫ですか?」

食満くんに問い掛ければ、なぜか隣の伊作くんが呻き、項垂れた。

「僕のせいなんです。僕の不運に巻き込まれて…」
「だから気にするなって言ってるだろう。こいつ、不運大魔王なんですよ」

白米が口に入っていることにより、言っている意味が分からないと目で訴えかける。

「道を歩けば穴に落ち、野糞を踏み、石に躓き盛大に転け、転けた拍子に足を捻り、転けた先には水溜り。そういう不運な目にたくさん遭うんです」

食満くんの語る不運の数々があまりにもだったので、思わず偶然じゃないのかと問うた。

「これが偶然じゃなくて、ほぼ毎日なんですよ。不運がない日の方が少ないです」
「所属している保健委員会も不運だらけで…僕たち、不運委員会なんて呼ばれてるんです」
「酷い言われようですね」

味噌汁を飲み込み、流石に同情の声を上げた。

「それより伊作、ほら」
「あぁ…えっと、みょうじさん。昨日は失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」

畏まって頭を下げられるような事でもないので、慌てて頭を上げてもらう。
奥の席では山田先生と食事をとる土井先生の姿があり、聞こえてもいいようになんとなくぼかしつつ言葉を探した。

「あれは勘違いもするし仕方ないですよ。全然気にしていないので、善法寺くんもお気になさらず」

散々気にしていたとは聞いていたが、まさかここまでだったとは思わなかった。

「不運に負けない優しい心をお持ちなんですね。この後絶対にいい事ありますよ。少なくとも、私はこうしてお二人に夕ご飯を誘っていただけたので、初日からいい事あったなあと思ってます」

笑みを浮かべながら、ひじきを掴んで口に運んだ。
向かいの二人は口をぽかんと開けて、互いを見合っている。
こんな反応されると、本心とはいえ言わない方が良かったかもと思ってしまうから、早く何か言って欲しい。

「ほんとに、みょうじさんは俺たちは組の扱いがうまい」
「ということは、お二人が素直で良い子たちってことですね?」

箸を盆に置いて手を合わせる。
二人の皿はすでに綺麗になっていて、どうやら私が食べ終えるのを待ってくれていたようだった。

「留三郎、みょうじさんは は組の扱いが上手いってどういうこと?」
「いやあ、さっき用具委員の活動中にしんべヱと喜三太がな」

立ち上がって盆を戻しに行けば、席に座ったまま楽しそうに指切りの話をしているのが聞こえる。
二人は随分と仲が良いみたいだ。

「ごちそうさまでした。洗い物お手伝いしましょうか?」
「初仕事で疲れたでしょう。また手を貸して欲しい時はお願いさせてもらうから、今日はゆっくり休んで」

ちらりと厨房を見れば、まだまだ食器が洗い場にあるように見えた。
暖簾をくぐって中に入る。

「おばちゃんのお仕事が終わる時間が遅くなってしまいますから。これくらいはやらせてください」

おばちゃんが頷いてくれない中、食堂へ六年生の子達が揃ってやってきた。
配膳のために釜の前に移動したおばちゃんを確認してから、洗い場に置かれた皿をすすいでいく。

事務員の仕事は思いの外多岐に渡っていた。
つまり、学園のみんなの負担を軽減するお手伝いをしているようなものだ。
食事に関しては、おばちゃんが一人で一生懸命考えてくださっている。
ならばその負担を軽減するのも、私の仕事でしょう。
…なんて、ちょっと格好つけてみたものの、ただ常に何かしていたいだけだった。

一人静かにしていると、ここ数週間の怒涛の出来事と、これから先の漠然とした不安に潰されてしまうような感覚に胸がざわついてしまう。

「なまえちゃん」

今朝少し早く目が覚めたのも、何を見たのかは覚えていないけど、不安を煽るような夢見の悪さが原因だった。

「なまえちゃん?」

誰かに怒られていたような気もする。
あれは一体誰だったんだろう。

「なまえちゃん!」
「はいっ!」

えらく考え込んでいたようだ。
おばちゃんに肩を叩かれ、体が跳ねる。
慌てて顔を見れば、指を指した先のカウンター越しに六年生の四人がこちらを見ていた。

「す、すみません考え事をしてまして…どうされましたか?」
「大した事ではなくて申し訳ありません。昨日いなかったヤツを紹介しておこうかと思いまして」
「おい仙蔵、ヤツって言い方はないだろ。六年い組、潮江文次郎です。よろしくお願いします」

周りの子に比べて大人っぽく見える子は潮江くん、とパンクしかけている頭に詰め込む。
見た目のインパクトが強いというのは、顔を覚えやすくていい。
それはこの二日、たくさんの忍たまの子達の名前を覚える上で実感している。

「潮江くんですね。ご丁寧にありがとうございます。新しい事務員のみょうじなまえです。よろしくお願いします」

頭を下げれば、律儀に向こうも頭を下げてくれた。

「せっかくのご飯が冷めてしまうので、皆さんとも食事の時間をご一緒できた時には、ゆっくりお話させてください」

怪訝そうな顔をされたが、どうやらまだ食堂にいたらしい六年は組の二人が四人に声をかけたようで、一つの机に集まって談笑する声が聞こえてきた。

「ごちそうさまでした…ってなまえさん?何してるんですか?」

驚いた声の土井先生に、私も思わず驚いた声でまだいらしたのですかと口にした。

「山田先生と授業の方針について話し込んでしまって。もしかして洗い物?」
「そうよ土井先生。この子ったら、朝もお手伝いしてくれた上に、夜は洗い物まで手伝ってくれて。本当にどこでこんな素敵な子と出会ったのよ」
「いやあ、あはは。というか、朝ごはんも…」

決して怒られているわけではないのに、なんだか顔を見ることができず、残っているお皿をすすぐために視線から逃げる。
なんとなく感じていた背中の視線がなくなった気がして、そっと振り向けばやはり土井先生は食堂を出て行かれたようだった。

「お皿洗い終わりました。最後まで手伝いましょうか?」
「ここまでやってくれたら十分よ。あとは今食べてる子達のお皿洗いだけだし、何ならあの子達にお願いするから。本当にありがとうね」

役に立てたのなら安心したと、頭を下げて勝手口の戸を開ける。
まだ薄明るさはあれど、もうしばらくすればすっかり闇に包まれるだろう。
湯浴みが遅くなってしまうが、月明かりで十分視界は得られそうだ。

そう、戸を閉めるのに振り返った時は周りには誰もいなかったはずだった。

おばちゃんに振られた手を返しながら戸を閉め、客間へ戻るために振り返ると、誰もいなかったはずのそこに土井先生がいる。

人間、驚きすぎると声も出ないらしい。

「ごめんごめん。そんなに驚かれるとは思ってなかったよ」

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