16. 縁は異なもの、味なもの

一年は組の宿題を抱えて職員長屋へ戻れば、ここ数日丸見えになっていた部屋に障子がついていた。
今日からなまえさんは本来の部屋で過ごせるんだったな、と部屋に宿題を置いて食堂へ向かう。
人の気配を感じない部屋を横目に、早々に残業していないことを願うばかりだ。
人もまばらな食堂でおばちゃんから盆を受け取れば、困ったような顔で話しかけられた。

「土井先生、なまえちゃん見なかった?」
「なまえさん?部屋にはいなさそうでしたけど…まさか、残業してるのでは」
「それが吉野先生も小松田くんももうお夕飯済んでるのよ。あの子、朝も昼もご飯減らしてたのにまだ食堂に来ないから、疲れて寝ちゃってるだけならいいけど。夜食作って置いといてあげたほうがいいかしら」

初めて聞く話に事情を詳しく聞けば、昨日も今日もあまり眠れておらず、それ故に朝食作りを手伝いに来ていたようだ。
今日に至っては睡眠不足による胃腸の不調で、まともに食事をとっていなかったらしい。

山田先生に言った「寝付けた」というのは、寝付くことはできたが、よく眠れたわけではなかったのか。
顔色の悪さを指摘した時も、元気だと言い張ったが、見立て通りしっかり悪かったようだ。

おばちゃんも隈ができていたのを心配していて、厨を見ながら夜食のメニューを悩んでいる。

「おばちゃん、とりあえずおにぎりを二つ握っていただけませんか。様子を見て、眠っていそうならメモ書きとともに置いておきます」
「お願いしちゃってもいい?ついでに朝のお手伝いは大丈夫よって、伝えといてちょうだい」

夜食の用意をしていただいている間、食事をとって待つ。
後ろの机では、留三郎と伊作が同じく食事をとっていて、自然と会話が耳に入る。

「作った障子が無くなっていた?」
「昨日みょうじさんと修補した後、取りに来るって約束だったんだが、委員会中誰も会っていないらしくてな。誰かが間違えて持って行ってたらいけないと思ってとりあえず職員長屋に確認に行ってみたら、ちゃんと嵌まってたんだよ。もし彼女が運んだっていうなら、一人で抱えてあそこまで歩くの大変だったろうに」

全く、どうしてこうも嘘をついているのか。
いや。嘘をつかれているのか。

おばちゃんから竹皮に包まれたおにぎりを受け取って、職員長屋へ戻る。
二つ隣の部屋は相変わらず静まり返っており、明かりを灯している様子も無かった。
こうも気配がなければ寝ているのだろう。

そっと戸を開ければ、荷解きをしようとして諦めたのか散らかった風呂敷の中身に、彼女らしくもなく雑に畳まれた事務の装束。
肝心の彼女は、かいまき布団に包まっていた。
とりあえず、眠れているのなら一安心か。

あらかじめ用意しておいたメモ書きとともに、文机におにぎりを置けば、はたと違和感に気づく。
布団から聞こえる浅い呼吸、髪が張り付いた額に滲む汗。
初夏とはいえ、まだそこまで夜は暑くないのに、首までしっかり被ったかいまき布団が苦しそうだった。
布団を胸元までずらしてやり、思い当たる節があって頬に手を当てると、人肌を超えた体温を感じる。
私に触れられたのを感じ取ったのか、ぴくりと瞼が震えて薄く目が開く。

「ん…どい、せんせ?」
「いつから無理をしていたんだ」
「うっ…怒ってます…?」
「怒るわけがないだろう。新野先生を呼んでくるから、少し待っていてくれ」
「大丈夫です。一晩寝たら治りますから」

ひとまず、汗だけでも先に拭いてあげたくて、懐から手拭いを取り出して額に当てる。

「汚いですから」
「病人がそんなこと気にしない。ここに置いておくから、好きに使いなさい」

なまえさんの枕元に手拭いを置いて、足早に部屋を出た。
新野先生の元へ診察のお願いをしにいき、その足で後片付けをしていたおばちゃんへ報告をして食堂を出る。

新野先生と合流して、なまえさんの部屋に向かい、戸を開けると、手拭いを握りしめて苦しそうにしていた。
すぐに新野先生の診察が始まり、そばで見守る。
人の気配に戸を見れば、山田先生が顔を覗かせていた。

「みょうじさん、具合が悪いのか」
「無理していたみたいで」
「そうか。宿題の確認は私がやるから、付いていてあげなさい」
「すみません」
「そこはありがとうで良い」

似たようなやり取りを、利吉くんが体調を崩して私から離れなかった時にした事を思い出した。
山田先生には本当に頭が上がらない。
山田先生も、名を呼んでも気付かなかった彼女の姿を随分と気にされていた。
落ち着いたらご報告しなければ。

「疲れが出てしまったんですかね。熱だけのようですし、手足も十分熱くこれだけ発汗していれば、薬を飲んであとは体温が下がるのを待つだけで大丈夫でしょう。明日は大事をとってお休みするよう、戻る道中吉野先生にお伝えしておきますね」
「そうして頂けると助かります。診察、ありがとうございました」

救急箱にしまっていた薬を置いて、部屋を出ていく新野先生に頭を下げる。
薬を飲ませる必要があるが、起こすのも申し訳ない。
しかし、今のうちに飲めば効くのも早い。
暫くすると、食堂のおばちゃんがお願いしていた粥と水を持ってやってきてくれた。
後ろには水を張った桶と手拭いを持った、保健委員長の伊作もいる。

「量は少なめにしておいたけど、食べられそうかしら」
「薬を飲むためにも、少しは胃に物を入れた方がいいんですけど。みょうじさんお辛そうですね」

相変わらず浅い呼吸に、私の手拭いを握りしめている。
滲む汗を拭う為に手拭いを取ろうとすれば、離すまいと入る力。
まるで子供のようだ。
汗を拭うだけだよ、と優しく声をかければ微かに聞こえた寝言。

「おいていかないで」

なんとなく見ている夢を察して、まだ交流の浅い人の前で話せるようなことでもないと、二人に礼を述べて後は任せて欲しいと退出をお願いする。

あんなにあっけらかんと話していたって、本心はどうかなど私たちには知る由もない。

「おばちゃん。元気になったら、優しく無理するなと叱ってやってください」
「任せてちょうだい」

一人で何でも頑張ろうとしたなまえさんに、ちょっとした罰だ。
食堂のおばちゃんは、胸を張って応えてくれた。

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