18. 縁は異なもの、味なもの

酷く冷たく感じる手拭いを額に乗せたあと、ぱたりと意識が飛んでいたようだ。
夜のつらさはどこへやら、頭がスッキリしている。
ぐるる、と他人には聞かせられない腹の音が、可愛らしい雀の鳴き声と混ざった。

喉も乾いたし、お腹も空いた。
あんなに不調だった胃腸も元気にさせるなんて、新野先生のお薬って凄い。
とんでもなく苦かったし、土井先生の前じゃなければ確実に湯呑みに戻していたと思う。

食堂に行きたい所だけど、土井先生は食堂に取りにくるなと釘を刺して出て行かれた覚えがある。
何よりこんな姿で食堂に顔を出すのも、気が進まない。
大人しく部屋にいることを決め、汗でうねる髪を櫛でとき、まとめる。
緩んだ襟元も整えて、散らかっていた風呂敷の中身を、適当に引き出しに仕舞い込んだ。
部屋が汚くて、土井先生もさぞ驚いただろう。

空気を入れ替えるために戸を開ければ、「おや」と声が聞こえた。
顔を覗かせると、盆を持って歩いてくる立花くんの姿。

「起きていらしたんですね」
「おはようございます」
「朝食、伊作の代わりにお持ちしました」

部屋に入っても?と尋ねてくる彼に頷けば、文机に食事を置いてくれた。
美味しい香りが部屋に漂う。

「善法寺くんの代わりということは、不運対策ですか?」

伊作の代わりという言葉に思い当たる節があり、聞いてみれば立花くんはけたけたと笑っている。
善法寺くんが運んでくれていたら、ここまでご飯が無事な保証はきっと無いんだろう。
彼も大変そうだ。

「あいつの不運をご存知でしたか」
「は組のお二人と話した時に聞きまして」

文机に置かれた鍋の中身は、刻み野菜が多く入った雑炊だった。
見ているだけで食欲をそそられる。

早くお腹を満たしたくて立花くんの退出を待っていると、文机の前に座ったまま動く素振りを見せない。
お互いが「ん?」と首を傾げる、不思議な空間が生まれている。

「運んでいただきありがとうございました」
「いえいえ、温かい内にお召し上がりください」
「そうさせて頂きますが…授業、始まっていませんか?」

先程、鐘の音が聞こえたのは気のせいだろうか。
私が首を傾げていた理由が分かると、あぁと声を上げる。

「本日我々は自習なので、それで伊作の代わりにお運びしたんですよ。薬を飲ませて、盆を返す所まで依頼されているので、それまで私はここに滞在させていただきます」

私の事はお気になさらず、と言うなり、懐に忍ばせてあった本を取り出した。
要は、体のいい見張りという事だろう。
何もそこまでしなくても、出された薬くらいちゃんと飲むに決まっている。
不満を口にした所で状況が変わるとも思えず、せっかくの朝食が冷める前に手を合わせた。

お気になさらずというが、気にせずにいられる訳がない。
自分の部屋なのに、かなり居心地が悪く、立花くんを盗み見れば、配慮してくれているのか物静かに本の頁を捲っていた。

「あの…よければお話しませんか?」

静かな部屋に微かに聞こえる私の咀嚼音や、嚥下音が気になってしまい、結局蓮華を三度ほど往復させた所で耐えられずに立花くんに声を掛ける。
すると、吊り目を細めて楽しそうに笑った。

「予想より折れるのが早かったですね」
「黙って目の前にいられるよりは、その方がいいじゃないですか」

読んでいた本を懐にしまうと、話をしてくれるようで足を崩した。
そうしてもらった方が、私も気兼ねなく話せるのでありがたい。

「でも丁度良かったです。我々は貴方に聞きたい事が、山ほどありまして」

蓮華を咥えたまま、立花くんを見る。
山ほど?私の事が知りたい?なんで?
ぽんぽんと溢れてくる疑問に、ゆっくりと口の中の雑炊を噛む。

「答えられることなら、答えますが…」
「一年は組の連中から聞きました。土井先生の家の掃除をされていたそうですね」
「そうです。でもその話なら、私個人の域を超えるのでお話できる事は無いですよ」

他人の事を言いふらすつもりはない。
本人たちがどこまで自分達の事を話しているのかも知らないし、私が口軽く話す事ではない。

「それもそうですね。では、いつから土井先生やきり丸と交流が?」
「初めて顔を合わせたのは、秋の頃です。あ、という事は、もう半年経ちましたね」

雑炊をゆっくり口に運びながら、視線を上げて当時を思い返す。
初めて手伝ったアルバイトが、きのこ採りだったからよく覚えている。
あれは、初めて二人と挨拶した次の日の事だった。

その後、帰ってくる度に複数の仕事を抱えては、納期がまずい!と喚くきり丸くんの手伝いをするようになって、随分と距離が縮まった。
もはや懐かしく、知り合って半年経ったばかりだという事に驚く。
一年は余裕で経っていそうな気さえするのに。

「我々は中々家に帰りませんが、短い期間で仲良くなられたんですね」
「きり丸くんのアルバイトの手伝いが一番大きかったですよ。いくつも仕事を抱えて戻ってくる姿を見たら、子供が一人でこの量を?って、見放す事は出来なくって」

学園でも日々アルバイトをこなしていると言っていたが、そんなきり丸くんに思い当たる節があるのだろう。
立花くんは納得したように頷いている。

出汁の染み込んだ雑炊はとても美味しく、ぺろりと平らげて、手を合わせる。
しまった。お腹が空きすぎて勢いのままに食べ切ってしまったが、昨日は粥で流し込んだ薬がまだ残っていた。
出された薬くらいちゃんと飲むつもりではいたが、こんなに元気になったのに、飲む必要はあるんだろうか。

「あの、立花くん」
「なんでしょう」
「この…薬のことなんですけど」
「駄目です」

間髪入れずに、笑顔で断られる。

「元気になっていようがなかろうが、絶対飲むようにと言われています。飲んでいただかないと私はここから出られません」

わざとらしく、やれやれという風に肩を上げる。

「立花くんには私が薬を飲む必要があるように見えますか?」
「さぁ、私は保健委員ではないので分かりかねます」

大人しく部屋にいるから、新野先生や善法寺くんに確認してくれたっていいのに。
むっとした感情を押し殺し、深く息を吐いて勢いに任せて薬を飲み干す。
嫌な苦味と独特な味が広がるが、ぐっと堪えた。
年下を前に、薬の味に苦しんでいることを顔に出すわけにはいかないという意地だけで乗り越えた。
じっと見ていた彼は、飲めた事を薄っぺらい言葉で褒めている。
絶対この子、私を見て楽しんでる。

「私、大人なのでこれぐらい平気です」
「そう言ってしまうと、子供っぽくなりますよ」

ああ言えばこう言う。
薬のためにと急須に入れられたのであろう水を湯呑みに注いで、口の中の嫌な味を流すために飲む。
そもそも喉もひどく乾いていた。
恐らく冷えていたであろう水はぬるまってしまったが、それでも喉が潤うことに変わりはない。
いきなり大量に水分を摂ってはいけないという気持ちに反して、喉はぐびぐびと音を鳴らした。

こんな風に立花くんの監視下にあるようじゃ仕事に向かえるわけもなさそうだし、出来ることなら早めに体をさっぱりさせたい。
一つの欲が満たされると、次の欲を満たしたくなるのが人というもの。

「お尋ねしたいのですが、こんな時間でも湯浴みは出来るのでしょうか?」
「お入りいただけますよ。私は立ち入れないのでお手伝いできませんが、誰か呼びましょうか」

配慮はありがたいが、たかが私のために誰かを呼ぶなんて出来ないし、そもそも十分動ける。

「一人で湯沸かしも湯浴みもできるので大丈夫です。ありがとうございます」

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